「ふるさとづくり2005」掲載
<市町村の部>ふるさとづくり賞 内閣総理大臣賞

「みんなが主役」のまちづくり
兵庫県 多可町(旧加美町)
「うちの村はこれだ」地区ごとの自慢づくり

 兵庫県多可郡加美町は、兵庫県のほぼ中央に位置し、南北18・7キロメートル、束西6・8キロメートルと細長い町である。南北に国道427号線と清流・杉原川が流れ、秀峰・千ケ峰を始めとした山々に四方を囲まれている。面績84・06平方キロメートルの町土の85%を人工林が占め、かつては森林王国と呼ばれるほど林業が栄えていた。現在、人口は7406人、高齢化26・0%県下でも長寿の町として知られている。
 中山間地域の加美町では、近年の急激な社会経済情勢の変遷により若年層の都市流出、後継者不足、高齢化等農業を取り巻く環境が極めて厳しくなった。高齢化が顕著に進んでいくなか、耕作放棄田の増加やそれに伴う自然環境の破壊が予想され、景観の保全・地域の活性化が命題となった。平成2年の加美町住民会議では26地区ごとに何か一つ「うちの村はこれだ」という名物・自慢づくりに挑戦することになり、各地区が主体となってむらおこしに取り組んだ。また、活性化を図るためには、よそから人を呼び込むことだとの観点で、“ひと昔前(昭和30〜40年代)、全国どこの農村でも見られた素朴な光景を再現して人々の郷愁・共感を得、都市住民の癒しを求める動きに着目し、豊かな自然・景観・文化・生産活動等を資源として活用する”という「いにしえの里づくり」構想を打ち出した。そこで中山間地域活性化推進事業(平成6〜10年)を導入し、景観作物の試験栽培や棚田オーナー制度・新作物の試験研究を実施し、特産品開発講座を開講した。


そば、わさび、棚田=岩座神地区

 岩座神地区は全部で11・8ヘクタール、334枚の棚田を有する地区で、町内でも特に高齢化が顕著である。平成7年から棚田でのソバとワサビの試験栽培に着手、石垣にはマンネングサを植えた。マンネングサは多年草で5月中旬から1か月にわたって黄色い花を咲かせるため、鑑賞用や石垣の落下防止を考えて植えた。当初は老人クラブで植えていたが、平成10年から神戸大学の学生約40人にボランティアで協力してもらうようになった。試験栽培を始めたソバは当初は町内の加工グループに販売したり棚田オーナーとの交流に使っていたが、平成11年からは「岩座神そば」として商品化し、道の駅での販売や、レストランでの提供を始めた。ワサビは地区の婦人会の有志8人が「わさびグループ」をつくり、平成11年より「葉わさび漬」を売り出した。また、平成9年には「棚田保存会」を結成し、棚田オーナー制度を創設して米づくりを体験する都市住民を募った。オーナーは会員とともに田植え・草取り・かかし作り・稲刈り・収穫祭・しめ縄作り・そば打ち等を体験した。平成9年は10区画だった棚田は翌年には20区画、平成13年には23区画に拡大した。


立木販売制度=丹治地区

 丹治地区では平成14年より共有林での「立木販売制度」がスタートした。国産材の低迷で人工林の間伐が長期間行なわれず、森林の荒廃が進んでいる中、何とか林業再生・森林荒廃防止につなげようとの試みである。この制度では、森林の地球温暖化防止効果を消費者にアピールし、木の二酸化炭素吸収量から価格を決めるという珍しい方式を採用し、流通コストの削減により低価格も実現させた。現在、9棟408立方メートル木材を出荷している。木材の地産地消を実現したこの取り組みは、新しい林業のモデルとして県内外から多く視察者が訪れ、町内にも波及している。


村芝居の復活=箸荷地区

 箸荷地区では平成5年、地区の消防団員で劇団「箸消興行」を結成した。加美町では昔から秋祭りの際に地区ごとに青年団が村芝居を演じていたが、昭和40年代後半箸荷地区を最後に途切れてしまっていた。それを復活させ、試行錯誤しながら、笑いあり涙ありの時代人情劇を次々と生み出した。この村芝居は地区の新しい名物となり、その活動は広範囲に及んだ。平成14年には、区長を代表に「むら芝居保存会」を発足させ、この会が主催した「全国むら芝居サミソトinはせがい」には新潟県・山形県・愛知県等全国から新聞、インターネット等をつうじて15団体100人余りが集まり、成功を博した。また、箸荷地区では女性の活動も活発である。平成14年に地元の主婦ら約30人で「箸荷紅茶の会」を発足させ、地紅茶の商品化に取り組んでいる。箸荷地区で昔から植えてあるお茶の木の二番茶に着目し、利用して特産品「はせがい紅茶」を生み出したのである。これは、日本初の「紅茶うどん」や「箸荷紅茶アイス」、「箸荷紅茶クッキー」にも使用され、道の駅等で好評を得ている。


孝行の里=市原地区

 市原地区では平成8年から全国を対象に「ちょっと照れくさい孝行のメッセージ」と題して100字前後の短文の公募を開始した。これは、けがで働けなくなった父親に代わり15歳で一家の大黒柱となり、献身的に孝行した森安小春さんが市原地区に住んでいたことがヒントになった。全都道府県からの応募は年々増加し、平成8年は1188点、平成9年は2855点、平成10年は4663点にものぼり、中には韓国・米国等海外からの応募もあった。平成13年には、1〜5回目までの優秀作品から10点を選び石碑をつくった。石碑は「孝行の道」と名付けた道路沿いに建て、作品を読みながら散歩ができるようになった。平成14年には5年間の入賞作品275点から156点を取り上げ、単行本を出版した。単行本は初版の9000部が完売し、さらに2000部増刷するほど好評を得た。こうした活動の積み重ねによって、市原地区は「孝行の里」として親しまれるようになり、国内ばかりか世界中の人たちとメッセージをとおして心と心のふれあいが楽しめるようになった。


各地区で競い合う

 この他にも、秋祭りで青年団が神楽を舞う豊部地区、700年の伝統を持つ「曳山おどり」を復活させた山寄上地区、長く途絶えていた「おせったい」を春の行事として復活した山口地区等のように祭りや伝統行事を再現・保存して名物とした地区や、「こんにゃくの里づくりを提唱し「ザ・こんにゃーく」を商品化した棚釜地区、ホタルの乱舞を復活させようとホタルの養殖に取り組んだ的場地区・大袋地区・清水地区、自然薯の特産化に取り組み平成13年商品化した三谷地区等26地区すべてが住民会議の提案を受け入れ、競い合うように活動を展開した。


特産品開発講座も開設

 鳥羽地区に平成8年、東・北播磨初の道の駅「R427かみ」が誕生した。それに先立って平成7年から「かみ特産品開発講座」を開設した。講師として鞄圏mナッツ食品より松延皓氏を迎え、特産品を開発するだけでなく、保健所への対応や苦情処理の仕方、パッケージのアイデア等売り方まで指導いただいた。町内の高齢者・主婦等11グループ58人が受講し、約1年間かけて商品を開発した。出来上がった特産品は道の駅で好評を博し、住民からは「もう一度講座を開いて欲しい」との要望が高まった。その声に応えて、平成10年度に第2期、平成15年度に第3期かみ特産品開発講座を開催した。講座を受講したグループは、平成10年「かみ特産品クラブ」を結成した。現在15グループ141名で構成しており、県内各地で開かれるイベントヘの出店や、都市との交流、広報の発行等特産品を通じて町のイメージアップやPRに貢献している。


開発講座受講グループも活躍

 クラブに所属する個々のグループの活躍も目覚しい。地域の伝統料理を掘り起こした「とりめしの具」を作る「みつばグループ」は、その活動が認められ、平成9年に全国食アメニティコンテストで会長賞、平成10年には農山漁村生活改善活動コンクール農林水産加工の部で県知事賞を受賞、平成11年優良ふるさと食品中央コンクール国産原料利用部門で農林水産大臣賞に輝いた。平成16年にはひょうご食品認証制度の第1号を取得し、パートを4名雇用するなど地域の農業振興や雇用創出にも貢献し、女性起業家の先駆的な役割を果たしている。
 また、加美町が誇る伝統工芸品「杉原紙」を加工して人形・小物作りや手作り教室を開いている「杉原紙同好会」は、杉原紙の普及やPRに貢献したことが認められ、平成14年にコミュニティ・ビジネス離陸応援事業の助成を受け、自分たちのお店「紙匠庵でんでん」を開店した。
 ほかにも、地元産の原材料にこだわり、「しぐれ漬け」がひょうごブランド商品の認証を取得した「すぎなの会」、県の募集する「食と農の健康リーダー」に登録し、町内の保育園児を対象に農作業体験を通して食育を行なっている「さくらグループ」等その活動は多岐に渡る。
 加工品が次々と誕生するなか、その製造に適した加工施設がなかったため、クラブの要望に応えて平成11年山村振興等農林漁業特別対策事業の助成を受け、特産品開発センターが完成した。また、平成15年にはアグリチャレンジャー支援事業の助成を受け、農畜産物の販売拠点となるジェラテリア「ふれっしゅあぐり館」が完成した。このように、まず勉強をして技術を磨き、開発に目処がつき、商品が出揃ったところで、それを後押しする施設を建設するという、ソフトが先行しそれにハードがついてくるといった形は、県下の優良事例として取り上げられ、多くの方が視察に訪れ、全国各地に波及していった。


自分たちでもやればできる

 加美町のふるさとづくりは、行政が先頭に立って引っ張るというものではなく、後ろに回って背中を押すという「みんなが主役」のものである。住民が主体となって築き上げたふるさとの魅力は多くの人を惹きつけ、この気運は県下にも波及し、地域全体が輝きだした。自分たちの活動が認められたことで、住民のふるさとへの誇りや愛着はより強いものとなり、“自分たちでもやればできる”という意識的変化は、新たな活動へと繋がった。年々自発的に活動するグループは増え、加美町は内からも外からも活気づいている。加美町は今後もこのような活動を後押しし、サポートしていきたい。