「ふるさとづくり2005」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

甦る葛畑農村歌舞伎
兵庫県養父市 農村歌舞伎 葛畑座

 兵庫県の北部、但馬地方に位置する葛畑区は、標高1510メートルの氷ノ山の麓にある小村である。その中に国指定重要有形民俗文化財「葛畑の舞台(芝居堂)があり、区の組織に「文化部」という部署を設け、先人のきづいた文化財の保存を行なってきた。
 葛畑の舞台(芝居堂)は明治25年旧暦3月28日に建築されたもので3名の大工を大阪の歌舞伎小屋に派遣し、舞台について研究させ、それと同じ舞台を葛畑に建てたと言われている。葛畑の農村歌舞伎興行について、明治39年発刊の「七美郡誌」によると安政5年9月28日氏神社の祭礼にて「百姓の鎧着て出る祭りかな」「幾年も地狂言ある祭りかな」という発句が残っており、江戸末期から明治にかけて葛畑での農村歌舞伎の活動が盛況であった様子がうかがえる。明治3年に葛畑座の座長となった藤田甚左衛門は、17歳から大阪の歌舞伎小屋の座員に加わり、芸を身に付け、葛畑に帰ってきた。その後明治3年に座長となり、村の若い者に芸を指導していた。葛畑区には、衣装や小道具も数多くある。衣装の管理などを行なっていた上紺屋や舞台の背景づくりをしていた中紺屋、座員の化粧付けや衣装付けれていた下紺屋があり、それぞれ役割分担していた。このように葛畑の農村歌舞伎は上方歌舞伎の影響を受けた地芝居である。以前は蚕飼いが終わる農閑期や雨乞いの祈願に、また秋の収穫祭や村まつりに村民自らの手による地狂言を演じたりしていた。昭和9年までは毎年行なわれ、27の外題を上演していた。


区民あげて農村歌舞伎の復活

 しかし住民が自らの手で行なう農村歌舞伎は、昭和41年の第2回復活公演が最後となってしまった。その後国指定重要有形民俗文化財に指定され、区民あげてこの舞台の保存を行なってきた。平成11年、播州歌舞伎の上演を招聘したのを機に「この舞台で農村歌舞伎を」という機運が出てきた。この舞台で行なわれていた農村歌舞伎は、農村である区の住民が会場設営から行ない、区の住民が演じ、区の住民が舞台を動かすなど区民あげて行なうものだった。平成14年からこの地に伝わる上方歌舞伎の流れを汲む農村歌舞伎を復活すべく「ふるさと文化再興事業5か年計画」を作成し復活に向け取り組んでいる。


人材育成にも力を入れて

 平成14年に37年ぶりに葛畑農村歌舞伎公演が3日間にわたり行なわれ、子どもから高齢者まで住民をあげて実施された。平成16年9月に第2回公演を2日3公演行なった。公演のチラシ作りから会場設営、稽古、公演運営まで区長を中心に区民あげてこの再興事業にたずさわっており、子どもたちが「誇り」に思える伝統芸能となっている。
 葛畑区では、高齢化・少子化・過疎化が急激に進んでおり、区長を中心に「葛畑の歌舞伎と葛畑の土人形など文化財を活用した地域の町おこし事業で地区の活性化」と「葛畑農村歌舞伎の復活」するしかないという思いがあった。「子ども歌舞伎」で復活するのではなく、「まずは大人が復活する」という目標を持ち、行なっている。兵庫県では、葛畑の歌舞伎以外に大人たちが公演を行なうところがない。
 葛畑の農村歌舞伎復活には、役者の養成とともに舞台機構の操作ができる人材の養成も必要であり、20代〜60代の往民が中心となって取り組む体制を整えた。平成14年から5年計画で復活伝承・公開事業を進め、継続することにより民俗文化財を活用したまちづくりを推進し、文化財の価値が見出され、住民が誇りを持って農村歌舞伎の保存伝承を行なうことができる、と考えている。
 平成14年に、ふるさと文化再興事業5か年計画を区で作成し「農村歌舞伎伝承者と公開事業」「舞台機構操作伝承事業」「ふるさと案内人養成講座」「特産品」の事業計画を立てた。
 農村歌舞伎伝承者事業では、上方歌舞伎の影響を受けていたということで上方歌舞伎の流れを汲む振付師に指導をお願いし、葛畑区の20〜40代の世代が中心となって、役者を行ない、農村歌舞伎を実施しようという盛り上がりを見せた。
 また、37年前の復活公演で上演した経験者も立ち上がり、20代〜70代の住民が協力し、「今しか復活の機会がない」という危機感をもって行なった。
 舞台機構操作伝承事業では、昭和41年の復活公演等で舞台操作をした方を講師に招き、舞台機構の操作が出来る人材の養成を行なった。名称や使い方など知らない若い世代の住民に機構の使い方や説明をし、起工を実際に動かし、舞台装置の点検もあわせて行なった。
 また、平成14年には農村歌舞伎の復活にあたり機運を高め、地域の文化を知る機会としてふるさと案内人養成講座を行なった。地域住民が地域の文化財を活用し、地域を再発見するため実施した。
 同時に葛畑区にある13の文化財を子どもたちの体験学習の場として活用するための人材を葛畑区の住民が中心となり養成した。葛畑農村歌舞伎や舞台の機構の説明などはじめ、実際にミニチュアの茅葺の屋根を作成した。
 平成15年10月の復活公演は、70歳を超える老人から小学生までの地区住民が、裏方から役者まで一丸となり、地区住民総出で実施するまさに地芝居の復活であった。この復活公演には葛畑区の住民以外に市内、兵庫県内、あるいは全国から約1000人の観客が集まり、熱演を鑑賞し、公演会場は、舞台と客席が一体となった「感動体験」の場となった。
 また、葛畑座の復活に向けて行なっている葛畑区の住民の活動に触発され、平成15年関宮町内の子どもたちによる「せきのみや子ども歌舞伎」が誕生し、合併した養父市全体に歌舞伎を始めとする伝統文化尊重の機運が醸成されるなど、葛畑座の復活は地域文化振興に多大な貢献をした。


ナンバーワンではなくオンリーワン

 公開事業としては、平成15年は3日間の復活公演を行なった。平成15年の公演は9月に3公演行ない、ふるさと「葛畑」をなつかしむ葛畑出身の多くの観客が訪れ、37年前の昭和の復活公演を懐かしみ、郷土の文化を誇りに思っている。平成17年度は葛畑の舞台以外の場所での公演を行なった。葛畑区の子どもたちが農村歌舞伎葛畑座の座員として歌舞伎を修得し公演を行なう予定である。葛畑区以外の観客が年々増加している。演技もレベルアップし観客も笑ったり、泣いたりしている。公開事業には、市内のボランティアの参加があり、葛畑区だけでなく市内の住民に広がりを見せ、会場案内、舞台操作を手伝っている。葛畑区から周辺地域へ輪が広がりみんなで支える伝統行事「歌舞伎公演」となった。平成16年度の公演では、駐車場から舞台までの約500メートルの間に約250本の竹灯篭を設置し、夜公演の観客が迷わず会場まで行け、また幽玄の世界を体験してもらうため新しい趣向も取り入れた。
 「この葛畑区でなればできない」ことをやっていこうとナンバーワンでなくオンリーワンを目指し、区長以下住民が協力して村づくり、ふるさとづくりを行なっている。