「ふるさとづくり2005」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

小粒の種から広い地域にコミュニティの花
静岡県浜松市 浜北少年科学クラブ

 学ぶところは学校外の地域にもあるとの思いを静岡県立観音山少年自然の家に赴任してから一層強く感じこのクラブの創設を思い立った。この家は社会教育施設で子どもたちが山野を学習の舞台として、集団宿泊生活をしながら、自然そのものや友の生き様に触れながら人間の生き方を学ぶところである。この施設で、子どもたちの宿泊生活や野外活動の指導をしている高校生や高齢者を目の当たりにして、教えるのは学校の先生に限らないこと、地域の人々が相互に教え合うこともできること、また、教育の場は校外地域の至るところにあること等を今さらのように強く感じた。ちょうどこの頃、日曜日になると家の近くの小学校のグラウンドに子どもたちの歓声があふれるようになった。子どもソフトボールの練習の声である。見れば、若いスポーツ達者の父さんたちが先生になって母親等の声援を背景に奮闘している。


星を見る会(クラブ)を立ち上げる

 これを見ていて、思いついたのが夜空の「星」を見る集まりを作ることだった。近所の子どもたちに覗かせてやることならばうちの望遠鏡で自分にもできるということだった。この集まりを気まぐれな活動でなく、定常的・計画的にするために組織化する必要を感じ、指導部門、子ども管理部門の協力者を広く求めることにした。まず、協力の依頼に小中学校を訪ね「指導部」の先生8人を確保した。参加する子どもの親たちには「育成会」を組織して子どもの安全管理と会計の部門を受け持ってもらうことを提案したところ快諾された。かくして一つの組織体「浜北少年科学クラブ」(育成部・指導部・子ども部)が約1年の努力で形成され、昭和50年11月29日、首長、教育長等臨席の下、この町に珍しいクラブができて楽しみだと、大いに期待をされながら発会した。
 家族ぐるみの加入登録で小学3年生から1年間入会でき、年度が改まっても加入はいつまでも継続でできるということで活動が始まった。今まで約30年、途切れることなく、月1・5回くらいのペースで活動を続け、多くの子どもたちがこの会で星を眺め、植物・岩石・虫などに親しみながら、異なる年齢、異なる学校の友を作り、この会を通り抜けていった。
 会員(定員30)は毎年、子どもが30人〜80人。これに親や弟妹おじいちゃんおばあちゃんなどがついてくるから総数2倍強、さらに指導者が数人(協力登録数は現在約40人いるがこのうち担当者が出て指導する)がつくから、毎回盛況になる。子どもを連れてきた親たちは、子どもの監督をしながら、子ども以上に興味を湧かし聞き入って一緒に活動する。また、親同士で話しに花が咲き、子育て論、学校教育論まで飛び出す始末である。親の会は規約を作り、育成会長、会計、記録、理事などの組織を作っていたので、進んで役割を果たすように仕向けた結果、次第に会の運営に手が出せるようになった。やがて、慣れてきて、会の運営に全く素人で家の中に閉じこもっていた主婦たちが、若かりし頃の自分の実力を思い出し、再び活躍し始めたのである。
 社会的活動のおもしろさや大切さ意義深さに目覚め、子ども可愛さと相まって活動が一層活発になってきたのである。この親たちが、社会活動の意義を知り、自力に目覚め、会の運営に慣れ、人前で話しをすることにも慣れて、退会後に趣味の会を結成したり、地域の子ども育成会関連のところで活躍したりして、それぞれ発展的に地域で活躍するよい結果を招き、その地域のコミュニティ活動のひとつの渦を作る結果になったと思うのである。これは思わぬ成果であった。本会は、年1回、会員以外の市民にこの活動を公開する「星を見るつどい」を開催している。最近ではこれに家族ぐるみで300人〜400人が寒い冬の夜空の星を見に集まって来る。今、当地域の人気事業になっている。


できる人ができることを
―おみこし社会教育―

 さて、この活動を30年も続けさせ、今も隆盛なその根底の力は、子どものやる気、親の協同の心や指導者の熱意等みんなの善意、ボランティアの心であると考えている。こういった民間の善意の社会活動はあるがままの力を無理なく出すことが大切で、家庭や職場に無理を掛けることが禁物であるから、指導者がなるべく大勢いて、交替でやれるというシステムと指導者のやる気・熱意を引き出すことを考えた。まず、第一に指導者を多くすること、第二に無報酬であること、第三に出られる時に出てくること。とくに第三のことは、10分の指導でもよい、遅れて来てもよい、指導の担当になっていても早引けもよいとしよう、と相互理解を図った。また、家庭を犠牲にしてはいけないことを強調し、「おみこし社会教育」ということばを使ってこの会の運営の考え方を示した。
 みこしを見ていると、一団の中で力を出せる人がみこしを担ぎ、疲れて休みたい人はなんとなく担ぎ棒から外れ、周りで掛け声を掛け、威勢を作り、にぎやかしを演出する役に回っている。みこしは、相変わらず、担ぎ手が入れ替わっても威勢良く進んでゆく。同様に、このクラブも大勢の指導者・育成会の親等が交互に担ぎ手になることで威勢良く進んでいるのである。思うに無報酬が指導者のやる気を維持させ、会継続の大きい要素となっているのである。
 こうして、会の運営は今も成功している。今風にいうと、子どもの居場所として、また、子育てに悩みを抱える親たちの相互情報交換の場「子育てサロン」でもある。ところで30年間で延べ約1400人の主客の子どもたちは、どういう経験をして何を学び、いかなる夢を抱いてとおり抜けていったか…。
 会の指導者として戻って来た人、学校の理科等の先生になった人、東京大学大学院の助教授になって宇宙・生命科学を研究し、指導している人、自分の子ども(2代目)を入会させた人、いまだにOBになって事業の時、手伝いに来る大学生など様々である。千数百人がそれぞれ抱いた夢をかなえたのか、かなえつつあるのかも分かりませんが、たった8センチの望遠鏡から覗いた宇宙の神秘に魅せられて集まり、学習と遊び的活動の中で何かの「夢」を掴み、将来への躍動の動機を得て今を生きていると確信している。


クラブ活動を通して地域づくりの人材養成

 このクラブ設立の理念すなわち私の願いは、このクラブの活動を通して、その子が「天体に関する知識を得る一時期だった」という総括でなく、自分も人生の途上で「自分が育てられて身につけた何かの力を、今度は周りに浸み出させて、近隣地域社会の役に立つ」ことを思い立つ、ということである。
 これにより、生まれた地域はもちろん、全国いや世界に広がって生きるクラブ出身者が、その生活の場で地域社会参加、ボランティア参加を果たし、この精神を活かしてくれるものと信ずるのである。すると「各所にたくさんのコミュニティができる」と私の夢がまた膨らむのである。私たちは「夜間、野外などを厭わず行なった指導活動そのものと、一生懸命さ、熱意」が星の知識の注入だけではなく、ボランティアの心、奉仕の心を吹き込んだものと確信している。即ち、将来成人したとき、いつかどこかで、この科学クラブで頑張っていた人々を思い出して、「あ、そうだった」と、コミュニティ活動を思い立つであろうと。ところで、コミュニティづくりの原点かつ重点は、地域の人々が自主的にこぞって参加することである。この点で、親たちの会即ち育成会は、親たちの交流の場にもなり、主婦の母親たちが子どもを連れてこの会に参加することで交流が深まり、会の運営にも慣れ、即コミュニティ活動になっていることと、退会後は次の段階で別の地域コミュニティで中心になって活躍し出す例も出てきたことは前に述べたとおりで速効的成果である。
 また、もう一面に思わぬ成果があった。それは指導部の学校の教師たちである。先生たちは、日ごろ教室で行なう授業と異なる野外や現地で行なう授業の指導法を経験的に身につけ、そのやり方、経験を学校の総合的な学習の時間などの教育に活かし、自信を持ち、胸を張っているというのである。このことは「ボランティアは体験で得る知識技術が報酬」という実感を得た。学校以外の地域の教育活動に参加してコミュニティとしての校外地域の学習活動の充実に貢献してくださる少数だけれどすばらしい先生方に与えられた、価値ある報酬になったと考えている。
 こうして子どもも指導者も育成会の親たちもそれぞれに役割を果たしながら、結果として、子どもたちも親たちも科学的知識を生かすとともに、本命の目標「コミュニティづくりの基本行動を起こすこと」に向かって歩んで生きていると確信している。