「ふるさとづくり2005」掲載 |
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞 |
雁木を活かしたまちづくり活動―「雁木通り時代まつり」に取り組んで― |
新潟県上越市 上越市南本町三丁目まちづくり協議会 |
まちづくりプラン作成から出発 私たちの南本町3丁目(454世帯)では平成15年度町内史誌(A4判365ページ)の発刊をきっかけに「400年の町の歴史を活かしたまちおこしができないか」との声があがりました。当町は高田城築城以前から北国街道の町として栄え、江戸時代には伝馬人足や飛脚の町でありました。 明治の時代には商人町として呉服、金物、飴屋、八百屋、小間物、陶器、下駄、鍛冶など様々な店があり、現在も昔の面影をのこす建物や商店を見ることができます。近年、後継者不足、大型店の進出に伴い商店数も激減し、70店舗程度とさびれつつある現状を憂慮して商店街活性化協議会を8年前に立ち上げ、商店振興対策にと取り組んでいます。 「自前のまちづくりに取り組もう」との声の中で雁木の町並みを活かしたまちづくり事業を展開するため、平成15年6月に町内各階層からなる「南本町3丁目まちづくり協議会」を発足させ、まちづくりプラン策定のため「より快適で、より住みやすく、より賑わいのある」環境を目指して地域と行政の役割分担を踏まえたまちづくりの内容について、調査検討を重ね先進地の視察、コーディネーターを招いた検討会、町内タウンウォッチングなどを経て町内独自のプランをつくりました。 雁木町並み保存の取り組み 上越市の雁木通りは350年の歴史を持ち、高田地区だけで18キロメートルという日本一の延長を維持しています。これは昔から雪国の冬期通路として利用されてきましたし、当町内の雁木は通りの両側500メートルにわたっています。当町まちづくり協議会では雁木の保存、再生のために上越市の地域指定を受ける取り組みを平成17年3月にいたしました。雁木を活かし、住む人に、訪ねる人に、快適で人に優しい歩行路として雁木で繋がるまちづくりと歴史と文化の香るまちを再構築することを基本理念として街区全世帯の合意を得て、任意協定書を締結し、雁木のガイドライン(新築、増改築など)の指針まで定めました。そして、雁木の保存意識の高揚にも努めています。 雁木、歴史と文化の町を発信 当町には400年の貴重な歴史があります。雁木の古い町並みを中心に創建400年近い八つの寺院、新潟県内で一番古い松尾芭蕉の句碑、十返舎一九ゆかりの飴屋(国の有形文化財指定)、市文化財指定の時の鐘、大銀杏の木、仏教学者の金子大榮生誕地などがありますが、これまであまり宣伝力もありませんでした。 そこで、16年度のまちづくり事業として、歴史、文化のまちづくりのため歴史案内看板や表示板、さらに小学校児童も協力した手づくりの木製花壇50個、ベンチ20個などを町内の人たちと共同でペンキを塗り、組み立て、作製いたしました。また、花壇の植え込みには住民の協力で町中に季節毎の花が潤いを与えてくれています。「雁木どおり時代まつり」などの取り組みがマスコミからも注目され上越市からも高く評価され、17年度市のガイドマップの中に当町界隈が紹介されるようになりました。 雁木通りにレトロ調の雁木灯、しだれ飾り 町内の雁木(延長1000メートル)を利用して毎年春は桜、夏は青葉、秋は紅葉のシダレ飾りに取り組んでいます。さらに16年に雁木の町並みの景観を考えてガス燈をイメージしたレトロ調の街灯を70個、水銀灯16基を設置して夜間の防犯、防災対策面からも配慮した取り組みをしました。これは平成に入ってから当町雁木通りで4件の大火災が発生いたしました(平成元年12棟、平成10年5棟、平成14年4棟、平成16年5棟の火災)。家つづきのため被害がひろがります。火災によって失われる雁木。住民の防火意識の向上をはかるために16年6月から雁木通りの住民が2軒1組で、昔ながらの拍子木を鳴らし「火の用心」と声を出して町内雁木通りを、1日もかかさず巡回しています。今冬の寒い夜に雁木灯のほのぼのとした明かりが雪に映えて雁木の景観をひきだしています。 以上のような経過のなかで私たちの先人が守ってきたこの町の歴史、文化、雁木をいかしたまちづくりに向けて「雁木どおり時代まつり」に取り組むことができました。 「雁木通り・時代まつり」に5000人が来町! 大成功 (1)実行委員会の立ち上げ 16年10月3日(日)に雁木を活かした時代まつりを開催いたしました。「小さな町の大きなイベント」に挑戦いたしました。一町内の規模で全市に向かって宣伝し、「南本町3丁目のまちおこしの意気込みを示そう」との計画で6か月かけて準備いたしました。初めての交通止めに伴う各行政手続きに加え、バス会社にも何度も足を運びました。計画案、財政確立、208人からなる実行委員会の立ち上げ、各任務担当(本部企画、大名武者、交通安全、観光めぐり、よさこい、露店、物産、子ども、青年、商店街、婦人、町内作品展などの)係りごとに詳細に連日協議を重ねました。町に元気を取り戻そうという私たちの思いが通じ、当日はあいにくの小雨にもかかわらず、5000人が来町されました。 (2)はじめて大名・武者行列 時代衣装は、近くの妙高高原町立関川関所が所有している品々を借りる交渉からはじまりました。そして、9月に開かれた関川関所まつりには、当まちづくり協議会からも30人のメンバーが着付け指導を受けるために、殿様や武者役に挑戦いたしました。借り入れる際には貴重品である衣装の運搬と返却にも時間を要しました。時代まつり当日の行列には、当町の人たちは裏方役が多いため、公募して一般の協力をいただきました。児童、一般男女など60人が殿様、姫、侍、飛脚、股旅、忍者、鳥追い女、町娘、それに甲冑姿武者などの衣装に身を包み、時代まつりのメーンとなった行列で町中を歩きました。 当町は昔、北国街道の馬宿でありましたので、大名行列の中にみんなで手づくりした張り子の馬を6頭作製して加わりました。 さらに友情団体からは戦国の武将上杉謙信公の出陣武帝式に35人の演舞、陣太鼓、関町太鼓の40人、地域のよさこいグループ110人の協力もありました。 路上では、地元いずみ幼稚園児70人によるリングベル、南本町小学校児童42人の金管バンド、城西中学校生徒58人による吹奏楽の演奏が披露されるなど盛りあがりました。 (3)町内のミニ観光案内 ミニ観光の町を宣伝するために担当者のガイド学習会、大案内看板(ベニヤ4枚)、手作りのパンフレット作成の準備をいたしました。当日は午前に100人近い児童が「雁木通り・時代まつり子供探検隊」で歴史の学習に取り組むことができました。午後からは市内外から160人の一般参加があり、素人ガイドがマイク片手に案内することができました。今回の取り組みがきっかけとなって今春から市役所からのまちづくり活動の紹介で、さいたま市大宮自治区、新潟市の自治会などからの団体視察が相次いでいます。 (4)私たちの熱意にマスコミが後押し 一町内のイベントとしては大がかりのためかマスコミの協力による宣伝力が後押ししてくれました。県内の各新聞、テレビ局、ラジオ局、有線放送、地元雑誌、市の広報などに取り上げられたお陰と私たちの手作りチラシの効果が結合したと思います。 会場となった当町の雁木通りの道路は県道でバス路線であるため400メートル近い交通止めには、警察署、県土木事務所、県公安委員会、頚城バス会社の許可をいただきました。交通止めにご理解をいただき、実績をつくれたことは次年度の取り組みに弾みと自信をつけることができました。 (5)歩行者天国で物産、露天市 福祉作業所、物産、露店の出店で賑わいをつくることができました。福祉のポプラの家、金谷の里更生園の作品販売、物産では上越市観光物産センターをはじめ、近隣町村の特産品(地ビール、コシヒカリアイスクリーム、山菜、野菜、お菓子など)や露店では隣町婦人会の手作り品、お寿司、豚汁、青年会の焼きそば、雁木通りの商店の売り出しによる温泉招待の抽選会、フリーマーケットなどに取り組みました。 (6)雁木どおり町内作品展 町内には、様々な趣味を持つ人が多くいます。この時代まつりにあわせて10月1日〜3日まで町内にあるギャラリーを提供いただき、手芸、編み物、絵画、写真、書道、工芸などの作品100点余りを展示することができました。時代まつりが終わったあと地元の信用金庫南支店のご配慮で信金ギャラリーを会場に1か月間、南本町3作品展示会を開くことができました。 今年度の計画から (1)「雁木通り・ふれあい広場」の開催(三世代交流促進5000人規模で) 「雁木どおり時代まつり」の経験をいかして今年度は、小学校校区各町内会に働きかけて平成17年10月2日(日)に開催することで、去る5月27日実行委員会を発足させ準備に入っています。今年のテーマは「三世代交流の町づくり」です。 当町には、平成13年5月に上越市が2億5000万円で三世代交流プラザを建設し(土地は南本町3町内会が提供)、地域における三世代間の交流を促進し、地域の子育てを推進する目的で利用されています。今年の8月に4年間で利用者10万人を達成しますので、これを記念して時代まつり規模同様で成功させたいと計画しています。 (2)手づくり町内だより100号達成・縮刷版発行 当町内会の役員、商店活性化協議会が中心となって、町づくり協議会活動を推進しています。町内の動きを各世帯に毎月1回500枚を配付しています。B4判手書きのニュースです。平成9年5月発行から今年7月で100号になります。今年の8月に縮刷版を作製して町内史誌の補完的な活用のため全戸に配布いたします。町の活動情報をみんなで知るために、100号をステップにこれからも続けます。町内だよりのタイトルは江戸、明治時代の旧町名「横春日町」にちなんで横春日だよりで発行しています。 |