「ふるさとづくり2004」掲載
<企業の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

特産品の開発等による地域活性化の活動
北海道風連町 有限会社もち米の里ふうれん特産館
はじめに

 北海道・旭川市より国道40号線を稚内方面に北上すること約1時間30分。人口約5600人。北海道第二の長流・天塩川が流れ、果てしなく広がる肥沃な大地、開拓の鍬がおろされて100年余り、農業を基幹産業とする風連町。
 稲作の北限地帯に位置する名寄盆地では、かつて主流だったうるち米にかわって、冷害に比較的強いもち米への転換が進んできた。そんな中1981年、若手農業者によって風連町もち米生産組合(現在は良質米生産組合の部会に改組)が設立され、産地銘柄を確立したり、うるち米の混入を避けて品質の向上を図る活動に取り組んだ。しかし、ただもち米に切り替えたといって簡単に所得が安定するものではない。当時一村一品運動など、農業生産物に付加価値をつけて農業展開をすることが盛んになってきていた頃、何か物足りなさを感じ始めていた。


北海道産もち米の評価

 主に『はくちょうもち』という品種が多く栽培されている。うるち米なら日照時間と気温が出来具合に影響するが、早生種のもち米だから短時間で熟する利点があり、さらに臼杵で搗いた餅のねばりとコシの強さ、そして柔らかさが好評だが、北海道のもち米の評価は非常に厳しかった。おかき等の原材料として使用されていたが、菓子メーカーからは固まりづらいという性質が逆に加工には適さないと酷評された。しかし、毎年末に搗いた餅を道外の親戚に送ると、とても美味しいと言ってくれるし、自分で食べても決して他府県の餅に引けをとっているとは思えず…自分たちの育て上げたもち米を餅に加工し、直接消費者に届けることができれば必ず評価されるとの信念は揺るがなかった。


ふうれん特産館

 (有)もち米の里ふうれん特産館は、当時の『もち米生産組合』が基礎となっている。夏はお互い農業に係わり、技術、品質、農業等について議論を重ね合うが、11月頃からは皆、出稼ぎに出ていかなければならなかった。残された家族は父親のいない寂しい冬を過ごしていたので、何とか打開をしたいと常に考えていた。
 また、農村の後継者の妻は、まだ家計を任されていない現実もあって12月にいくばくかの現金収入を得られる職場が必要だとも考えていた。そうした中で、農業としての年間サイクルを作り上げることがこの地域の最大の課題であるし、冬期の雇用対策とともにもち米を生産するだけではなく加工・販売を行なうことで、より多くの人たちに「風連のもち米」を届けられる。勇気を振るい『もちを作って売ろうじゃないか』と呼びかけ、当時約200戸程の組合員の中からその趣旨に賛同してくれたのは、たった7戸。しかし、人数ではなく、夢と希望は意思のある行動によって実現されると信じてのスタートだった。
…趣旨…
@風連産のもち米でもちを製造し販売する
A夫婦2名による参加を原則とする
B男性については5年間無報酬とする
C出資金50万円を要する


もうひとつの想い

 昨今、家庭で餅つきをすることが少なくなってきた。20年くらい前の年末には家族総出で餅つきを始めたものだ。朝早くからもち米を蒸す匂いが立ち込める中、祖父と父が競い合いながら杵を振るい、母が素早く手水を打ち、搗きあがった餅を祖母が慣れた手つきで、のしたり丸めたり…などという光景があった。しかし、そういった光景が見られなくなり、当然餅つきを見たことも、体験したこともない子どもたちが増えている。私たちは、餅製造の傍ら『餅つき』『餅の食べ方』『冠婚葬祭餅』等の“餅文化”を次世代に継承していかなければならないと考えている。


基本理念〜操業、商品

@もち米生産に付加価値をもたせる
A年間通しての農業とのかかわり
B冬期閑散期の雇用創出
C餅文化の継承
 スタート当時は、餅作りについては全くの暗中模索状態で参加メンバーはもちろんのこと町役場職員の応援を得て、臼杵による餅つき・さらに手でのし・包丁で切って・箱詰めして出荷する真の手作りだったが、現在は自動餅つき機・プレス機の機械を導入し、量産体制も整った。発足当時30俵からスタートした餅の加工販売は現在3000俵を超える量を消化している。
 主力商品は、年末の『切り餅ギフトセット』お歳暮等の贈り物に多く利用されている。また、通年安定販売ができる大福もちの中でも18種類揃えた『ソフト大福』が好評だ。定番の豆・よもぎはもちろん、北海道をイメージしたメロン、じゃがいも、バターコーン、ハスカップ、そして変り種としてみそ、キムチ等の大福もちバイキング。また、減農薬・減化学肥料栽培をしたもち米を使用した『玄米餅』はハンバーガーチェーンのお汁粉に採用されている。これは、生産者を中心とし販売・流通関係者を交え勉強会を開いている「北海道農業者サロン」という会合に参加し、同席していたハンバーガーチェーンの方とのやりとりが始まった。この『玄米餅』のポイントはつぶつぶ感。「口に入れて玄米の粒がぷちゅっと弾けるような餅」との難題。言われるイメージは分かってもなかなかできない。もちを作るには米を浸漬し蒸かさなければならない。ところが玄米だと薄い皮に覆われて水が染み込まない。試行錯誤の末、米にタテキズを入れる裏ワザを考案し、ようやく短時間で調理できる柔らかさと程よい歯ごたえの玄米餅が生まれた。


地域 生活への係わり

 11月から12月の最盛期には約40名のパートさん(農家の奥さんと農家の青年)で活気に満ちている。農業・農村は、男性だけのものではなく夫婦一対となって成り立っている。しかし現実はというと夫人は家庭内の労働に甘んじ、労働を通しての地域社会との交流は多くない。若者も同様、同年代間の交流はあっても異業種・異年代との交わりは多くない。だから農村の女性が当社で働くことによって地域社会と交わり、農村の若者が当社で働くことによって異業種・異年代と交わり、若者本来の感性を発揮できる環境ができる。そして、勇気と自信と希望をもって農業を続けられるようにと考える。


もち文化の継承活動

 近年、北海道内では風連町=餅・もち米とのイメージが少しずつ定着してきている。年間30回程、各地域のイベント等に参加させていただき、昔ながらの臼杵による餅つきを行なっている。子どもたちに参加を募って餅つきを楽しんでもらい、自分たちの搗いたつきたて餅をきな粉や餡にまぶして食べてもらっている。そして会場では、「昔は、10臼は楽に搗きあげたものだ」などとお客様との餅ディスカッションがはじまる。見ず知らずの人とでも共通の話題となり、懐かしい知り合いに再会したような気持ちになってしまう。何故か餅談話は盛り上がるのだ。きっと『餅つき』は、たくさんの人たちが経験したことのある「楽しい思い出」のひとつなのだ。
 また、地元周辺では『餅つきウエディングサービス』を行なっている。結婚式場で餅つきをするのだが、当然新郎・新婦にも協力してもらう。通常夫婦初めての共同作業は、ウエディングケーキ入刀なのだろうが、この時の最初の共同作業は餅つきだ。餅のように純白で、粘り強く、いつも仲良くひっついてとの意味で好評だ。もちろん搗きあげた餅は、祝い餅として会場の皆様に配られる。
 参加型イベントとして父の日には、「お父さんは力もち ファミリー餅つき会」と題して餅つきイベントを開催し、毎年たくさんの家族の参加をいただいている。
 このように「餅つき」を中心に「餅文化」を次世代に継承していきたいと考える。


提案

 平成13年に新社屋が完成し工場・店舗・レストランの3業態を結集した。工場で生産する餅は、従来どおり『風連産もち米』のみを使用するといった方針を貫いている。(そのため、昨年のような不作だと限られた収量の中、原材料米の確保にはたいへん苦労した。)
 また、新規事業として『餅料理』をご紹介するレストランを始めた。古き良き伝統、忘れかけそうな本物の餅の味、食べ方を今一度再確認していただけるような空間づくりを目指している。餅の食べ方も各地域・家庭で異なるので、ご来店いただいたお客様に「お宅の食べ方教えて下さい」とアンケートをお願いしている。今後そのレシピで料理を作り、『○○地方の△△雑煮』『○○さんちの△△雑煮』といった形でご提供していく予定だ。また、料理教室の開催を通して、餅料理の継承をしていく構想も持っている。


最後に

 何はともあれ、一番の基本となるのは、『もち米作り』。技術の向上、品質の均一化、安心して食べられる安全なもち米作りが大前提。そして、安全に生産されたもち米をたくさんの人たちに召し上がっていただきたいとの想いを込めて餅に加工をする。加工の手法は、特別なことはせず昔ながらのセイロで蒸して臼杵で搗きあげる方法。大手企業ではできないような多品種小ロット生産をこなしていく。そのためには人海戦術で対応する。また、今年も40名程度の農家の奥さんたちの賑やかな笑い声とともに年末を迎えることだろう。