「ふるさとづくり2004」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

子どもの視点で町を考える
大分県湯布院町  ゆふいんFamily
活動が生まれた経緯・きっかけ

 子育てを考えるフォーラムの開催を契機に会を結成、子どもの視点からの地域づくりに取り組む。
 子どもを持っている母親が行き場のなかった時代に、「ただ嘆くだけでなく、楽しいことを自分たちで企画しよう」と小さな子どもを抱えた新米の親たちが集まり、親子で楽しめるイベント“うたってHappy”を開催した。
 子どもにとっての必要な遊び場、母親だけの仕事と決めつけられがちな子育てのあり方への疑問などを話し合う中で、行政に対して「アレをつくってくれ、コレをしていくれ」ではなく、「私たちはこう考えているが、他の人はどう考えているのか」という想いからアンケート調査を行なった。
 自分たちの仲間に対して声をあげたかったのと同時に、そういう枠でない人とどう結んでいけるか、地域の子どもとしてどう育てていくのか、私たちの声だけではなく、子どもというテーマでこのまちの未来をどう考えているのか、みんなで一堂に話してもらおうと1995年1月に“ゆふいんFamilyフォーラム”を開催した。
 フォーラムには、約100人が集まり、子どもが育つ環境について幅広い層の人たちから意見が交わされた。実行委員会はこのフォーラムをきっかけとして“ゆふいんFamily”を結成し、様々な地域づくり活動を始める。


活動内容

 連続学習会・イベントの開催。
 “子ども”をキーワードとして毎年テーマを定め、自分たちの問題意識を深めるような会合と調査を継続している。95年〜97年には、児童館・育児支援センターや図書館についての学習会を開催する。
 「自分たちのグループが企画したことであっても、みなさんとどれだけ共有できるかという話ばかりなので、より多くの人に伝えていく。それには、フォーラムや講演会が必要だが、それを準備するためには、まずは私たちが勉強しないと始まらない、見に行かないと始まらない、ということで取り組んできた。」
 97年には、バリアフリーについての学習会がスタート。バリアフリーフォーラムを開催したときも、県内では早くからバリアフリー、ユニバーサルデザインという言葉を使わせてもらったが、それも大きなところから始めたのではなくて、ベビーカーを押しながらというところから始めたのが無理がなかったように思う。それは、生活者という部分があったから言えることである。
 98年からは毎年「こどもメン食い絶叫大会」を開催し、現在では誰もが集まれる公園づくりに取り組んでいる。


自らの活動の課題・評価

■活動が与えた地域の変化
 様々な女性たちに勇気を与え、様々なグループがゆるやかに動き始める。
 他の女性たちに「自分たちの暮らしから見えてきたことを声に出して具体的にやっていく」ということがあり得る、という勇気を与えたのではないか。
 ファミリーから発生して、色々なグループが生まれて、より多くの人たちが伸びやかに動いている。
■活動に対する周辺の評価
 行政の委員会などで発言を求められる。
 行政の委員会などに入れてくれるようになった。「ファミリーの意見も聞こうよ」「この人たちかなり勉強していて、必要な視点を持っているよ」と、会のメンバーがなくてはならない存在になっているのではないか。例えば、青少年問題が取り沙汰されていて、様々な団体に声が掛けられる中で、ファミリーヘの参加要請も色々とある(「教育」は、自分の手におえるものではないが…)。
 私たちが望んでいる以上の評価、困るくらいの評価を受けている。実態はこれくらいの動きしかしていないのに、必要な部分があるのかな、と思う。
■活動が継続しているノウハウ
 自分たちのグループ以外の人とどれだけつながっているか。
 1人の女性が何でも背負うのではなくて、良い相棒がいて、自分たちの世代でない40〜50代の支援体制がある「ゆるやか」な組織であること。40〜50代は、時間的にも精神的にも余裕がある。地域とのつながりの中でその人たちがいると安心。わけのわからない若い人たちがやっているのではなくなる。
 同時に、外とのつながり、町内の色々なグループとのつながりをどう一緒にやっていくか。そういうことによって、私たちがやらなければいけないことは何なのか、確認し合える。外の力を借りないと、中で埋没してしまう。町のことだけ考えていると、人間関係だけでおわれてしまい、本質が見えてこなくなってくる。
 まちと関わるといっても、色々な関わり方がある。私たちは等身大のグループでいることが大事ではないか。あわてなくても自分たちのペースでやっていけば良いのではないか。
■地域内外へのネットワークのつくり方
 個人の動き
 助成先での交流
 従来の組織の中で20代の私がやるのは難しかったので、まず県内の女性グループとの動きを個人的にたくさんしていて、外とつながっていることが、私にとっては応援団になってくれた。
 最近は、行政との連携の中で、「コトコトまちづくり」を開催し、地域内のネットワークづくりを行なっている。
 例えば「安全・安心フォーラム」で出会ったメンバーや、東京での報告会で他の全国の団体の人たちと同席することによって、「私たちのやりたいことって何?」「この視点だったらこうよ」とか、多くの知恵をもらえる。最先端とはいわないまでも、このグループはこうだ、という特徴を常に持つ必要がある。外からの情報や、自分たちなりのネットワークは、このまちにおいて自分たちを守る手段となっている。
■今後の課題
 モチベーションの維持
 第二歩、第三歩の継続
 資金も人材も、やる気さえあればできる。だから、そのやる気をコアのメンバーが持ち続けられるか、ということが重要で、モチベーションを保つためには、外の力が必要。
 最初のコト興しは女性だからしやすいのかもしれないが、それを継続していく部分が難しい。第一歩が開けたとしても、第二歩、第三歩は突進型ではいかない。パーッと入り込んでいる分だけつなげるのが難しい。
■支援のあり方
 一緒のテーブルにつく
 育てる視点を持ってチャンスを与える
 行政の人とは、お互いを認め合うことが必要。私たちの話を聞いてもらいたいし、行政側がどう考えているのかも聞きたい。行政の人と一緒のテーブルにつけるような場を行政側からどんどんステージづくりをしてもらいたい。
 女性グループを育てる視点を忘れないでほしい。「育てる」でなくて「使う」ということになりがち。男の人は、あまりにも女性を荒く使いすぎている。使ってもいいのだが、使い道のある女性グループにしていくためには、育てること、本当に力のあるパートナーにしていくことが求められている。そのためには、場を踏んで勉強していかないとできないので、どんどんチャンスを与えて欲しい。


女性による地域づくりの課題・評価

■女性が取り組むことのメリット・デメリット
 生活者の視点で具体案に結実
 プレゼンが下手
■地域づくり活動における女性の役割
 暮らしと密着している部分で第一歩を開く
 今までにないような視点、暮らしと密着している部分で女性は第一歩がやれる。今までの社会の常識ではないような動きができる。従来の地域のしきたり、手順があるとしたら、その手順を超えて、やっていける。今まで動かなかったことの第一歩が、女性によって開けていけることもある。やり始めてしまえば、女性・男性は関係がない。
 従来のおじさん社会とは違う動きができるのが女性の役割。女性であると、男性のフルでやるまちづくりは到底できないが、全然違う動き方をしていたら、「ああ、この人たちはこうだね」と違う意味の認められ方をする。それは女性だから見えてくることではないか。
■女性が住みやすい、活動しやすい環境
 まちとつながりを持てる
 外の人を受け入れる
 住み良い環境をつくりたいという想いがあるので、そういうことのつながりがまちと持てる、細く長く関わっていけるようなシステムをつくることが女性にとって住み良いまちになるのではないか。
 そのまちが外の人を受け入れるまちであるかどうか。それぞれの価値観を認め合えるまちであるかどうかがこれから大きいと思う。そのまちの人が、外の力を認める、外の風が入ってくることによって自分たちも生きていけるという雰囲気が大事。そういう人が入りやすい町であれば、後の問題はクリアできる。
 ゆふいんは色々な場面、場面が用意されている。例えば女性グループだけの集まりだけではなくて、映画をする人たちや芝居をする人たち、交通問題を考える人たちがいたりして、同じ考えの、同じ人がいるのではなくて、テーマによって様々な人が入り込んでいる。そういうステージのある町が女性にとって住み良い町ではないか。
 これから市町村合併などもあるが、誇りを持てるような地域以外、女性は住みにくいのではないか。その誇りを持つためには、例えばNPOやコミュニティビジネスなど従来の自治体のサービス以外の部分で女性が活躍できるような素地があることが重要であるように思う。