「ふるさとづくり2004」掲載 |
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞 |
里山の文化と自然を大事にした地域づくり |
福島県石川町 中田区 |
中田区は、福島県石川町の東部にあり阿武隈高原に抱かれている人口約800人(世帯数175戸)の地域である。面積は、約1200ヘクタールでそのうち山林が65%を占めている典型的な里山である。本地域では、明治7年以来幾多の困難を克服し小学校(児童数60人)を維持しており、小学校を核とした地域が形成されている。秋の小学校の運動会は、区と共同で開催しており区民総出の大運動会である。 地区東部には、石川町最高地の景勝地「二本ブナ」(616メートル)があり、那須連峰や磐梯山が眺望できる。石川町で唯一のブナの自生やニッコウキスゲ、スズランなどの亜高山帯植物の植生が見られる。また、無形文化財である民俗芸能「中田のささら」が伝承されており、八坂神社の祭礼には、三匹獅子舞、神楽、四方固め、白鍬踊りなどが奉納される。黒炭窯で有名な「大竹式炭窯」は、本区出身の大竹亀蔵が考案したもので、高品質の木炭の生産ができるためその技術は関東、東北の各県に普及されたことからその顕彰に取り組んでいる。 本区では、こうした里山の歴史・文化・自然などの地域資源の発掘に努め、これらを活用し地域を活性化するために区(自治会)に特設委員会を設置し、昭和62年の小学校移転改築問題から活動を続けている。 中谷第二小学校改築促進委員会(1987年〜1997年) 本地区にある中谷第二小学校は、明治7年に中田村が真言宗浄明山観照寺を借りて発足した。明治22年には中谷村立になり、大正2年に火災で焼失、このとき中谷第一小学校との統合が村議会で議決されたため、中田区分離請願書を福島県知事に提出し、調停により中谷第二小学校存続を勝ち取り、新校舎が建築された。昭和14年には、高等科設置をめぐり再び議会で紛糾し、区単独で高等科(中田義塾)を開設した。昭和30年に石川町立となり38年に改築、平成3年には移転改築し現在に至っている。 平成3年の校舎づくりに際しては、昭和62年に特設委員会(33名)として「中谷第二小学校改築促進委員会」を設置し、木造校舎建設の要求と複式学級解消の取り組みを行なった。石川町の木造老朽校舎廃止という政策の中で、学校を移転し木造の校舎を建設するということは、多くの困難があった。地域的には児童数の減少が進み、複式学級化を解消しなければならないという課題も重くのしかかった。小学校は、区民の精神的シンボルで地域の活性化と密接に関係しているため、区民に実態を話し地区出身者の呼び戻しを提案した。数家族がこの要望に応えてくれたため複式を免れ、区が提供した土地に校舎を移転し、平成9年までには、プール、体育館まですべての学校施設を完成し10年間にわたる活動が終了した。石川町で一番の学校と自負しており、区民の誇りとなっている。複式問題は、平成16年度までは生じておらず、全国的に少子化が進行している中、区民全体での取り組みが成果として現れているものと考えている。 また、これらの取り組みに呼応し平成元年から「自遊工房」という地域づくり団体が組織され、10年間海外奏者など一流奏者を招聘し小学校体育館で開催したクラシックコンサート「中田の森の音楽会」、木炭技師「大竹亀蔵」の顕彰、巨樹・古木の調査、地域づくり講演会など文化・環境事業に取り組んできた経緯がある。「中田の森の音楽会」は、地区外から300人以上の参加者があった事業である。これらの取り組みにより地域外から中田を見る目が変わってきたと言われている。 旧中谷二小跡地活用推進委員会(1998年〜1999年) 明治7年の開校以来、平成9年まで123年間小学校として本区のシンボルとして存在した旧小学校跡地は、学校敷地に接してある観照寺及び福栄稲荷神社とともに本区の聖地とも言える場所であるため、この土地の活用を考える組織を平成10年に設置した。この委員会は、旧中谷二小跡地活用推進委員会と称し、2年間にわたり活動を行なった。委員会では、まず、地域の良さを発掘しようとアンケートや地域づくり講演会を開催し、平成11年に「ささらの郷づくり構想」としてまとめた。構想では、旧小学校跡地にふさわしい施設として、区民の誇りでもある民俗芸能「中田のささら」を伝承していく「ささら伝承館」がふさわしいとなった。しかし、伝承の危機に瀕している「ささら」をどう保存するのかが先ということになり、第一に、里山の文化ともいえる民俗芸能の継承の取り組みを行なうこと。第二に、地域のシンボルで石川町最高峰の「二本ブナ」を中心とした里山の保存・復元に取り組むこととなった。二本ブナ地区は、古く元禄時代の故事から明治に官有林の払い下げを受けた115人の共有林であり、現在、中田造林組合が景勝地としてブナ林やニッコウキスゲ等の管理を行なっている。 ささらの郷づくり委員会(2000年〜2002年) 旧中谷二小跡地活用推進委員会の検討結果を踏まえ、平成12年から本区に伝承されている「中田のささら」の保存研究のため「ささらの郷づくり委員会」を設置した。 中田区に伝承されている民俗芸能「ささら」は、江戸時代中期から三匹獅子、神楽など奉納舞5種、余興5種が継承されてきた。しかし、近年、少子化や過疎化が進行し伝承の危機に瀕しているため、福島県や石川町からの支援を受け、「ささら」保存のための調査(ささら調査報告書の編集)、獅子頭などの修繕、ささら音楽の採譜、ささらには、全国的にも珍しい白鍬踊りの復活などに取り組み、うつくしま未来博、福島県民俗芸能大会、また、石垣島体験学習団による石垣市富野小中学校での交流、中谷二小総合学習などで発表を行なってきた。 平成14年には、小学校敷地の隣接地に「大竹式炭窯」の実物大模型を設置して炭焼きの奨励や顕彰を行なっている。また、地域づくり団体「自遊工房」の巨木調査を基に巨樹・古木の再調査を行ない、環境省基準の巨木15本を発見した。このほかに貴重な古木を加え20本を「中田郷巨樹」と認定し管理を行なっている。小学校では、これらを活用した親子での巨樹・古木めぐりハイキングを行なっている。 中田郷活性化委員会(2003年〜) ささらの郷づくり委員会としての3年間の活動を経て、里山の荒廃、県道の杉林による路面凍結問題、ダム建設問題、児童数の激減などの地域の存亡をかけた問題解決に取り組まなくてはならないことから組織替えを行なうこととした。平成15年からは、36名のメンバーで「中田郷活性化委員会」が設置された。平成15年度の活動は、「中田郷未来会議」で地域課題解決のための議論、地区公民館文化祭での「中田の郷」写真展、二本ブナ地区での「里山づくり」へ県立石川高等学校2年生が体験学習として参加、さらには、中谷二小総合学習「ささらを学ぶ」への協力などを行なってきた。特に里山づくりでの高校生の取り組みは、環境事業団が主催した「環境NGOと市民の集いin石川町」にて講師の民俗学者神崎宣武氏より高く評価された。 活動の成果と今後の展望 本区の特設委員会は、足かけ16年の歴史を刻むことになるが、特に中谷二小の複式問題を解決し学校移転と木造校舎建設を実現したことでは石川町で一番の学校を作ったという自負が生まれた。他地域では、著しい児童の減少が進んでいる中「中谷二小」は、昭和59年から児童数60人台で20年間ほぼ横ばいの児童数を保ってきたことは、積極的な地域おこしを行なってきた成果である。また、里山復元の活動の先生は地域の高齢者たちであり、元気なお年寄りを生み出している。 しかし、今日、本区には、かつてない過疎化の波が襲ってきている。これまで維持してきた児童数は、ここ数年で急激に減少することが予想され地域には動揺が走っている。これら過疎化の波を押し止めるには、都市との交流など新たな手法による地域課題の解決、さらなる地域資源の発掘、そして里山の自然と文化を活用した教育・体験プログラムの開発などによる交流人口を流入し、新たな地域おこしを区民総出で展開する必要がある。 |