「ふるさとづくり2004」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 内閣官房長官賞

自然を活用したふるさとづくり
栃木県茂木町  ゆずの里かおり村
発足のきっかけ

 栃木県茂木町にある山内元古沢地区は、町の中心部より15キロほどの北東部に位置し、北と東は茨城県に隣接する人里離れた山間にある。当地区は、もともと薪炭や葉たばこの生産が盛んで田畑も森林も管理が行き届いていたが、昭和45年以降、それらの生産が斜陽化し、働き手の大部分が外に働きに出るようになり、田畑はクズフジに覆われ、集落の荒廃が目立つようになっていった。過疎化が進んだこの地区には、人が訪れることはほとんどなく、訪れるのは郵便局員や新聞配達人ぐらいであった。
 田畑が荒れ、嫁も来ないこの里になんとか人を呼ぼうと、地区内に残る樹齢100年を超える「ゆず」の大木をヒントに、全戸参加(16戸)で地域おこしに乗り出した。「ゆず」栽培は、比較的病虫害に強い、野菜作りよりも手間が省ける、収穫期が長く労力の配分が効果的にできる、生食用販売と加工販売ができ低温貯蔵も可能であるなど利点が多く、地域の気象条件、地形的条件など「ゆず」の生育に適していると考えられ、地域おこしの指標となった。地区内には気兼ねなく集える場がないことから、納屋を改造した手作りの公民館(集会所)を設置して、みんなで夜の更けるのも忘れて思う存分話し合いを重ねた。
 この結果、地区の合意形成が一段と進み、昭和60年に荒れた畑に3000本のゆずの苗木が植えられ、昭和61年には「八溝ゆず生産組合」を発足し、「みんなでヤッペーゆずの里」を合言葉に、減気を元気に変えるプラス思考で、全員参加型のゆずの里づくりを始動した。ゆずは、収穫に至るまで10年の期間を必要とするので、その間、先進地視察研修を重ね、道路の整備、休憩所やバンガローの建設、川や道路の草刈り等、環境づくりに全力を注いできた。
 平成元年、待望のゆずの木に実がなったのを機にゆず祭りを開催し、人を呼び込もうとしたが、地図にも載っていないこの里に果たして人が来るのだろうか。人を呼ぶためにはマスコミに取り上げてもらえる面白いイベントが不可欠と「大ぼら吹き大会」を企画したところ、500人もの人が訪れた。この地区始まって以来の出来事であった。小さな里が大ぼら小ぼらで元気が出たので、毎年11月23日を“大ぼら吹き大会のゆず祭り”とし、2000人の参加者が定着し賑わっている。イベントのマンネリ化は飽きられるので毎年変化をつけ、15年が経過している。


ゆずの里かおり村開設

 ゆずがたわわに実をつけるようになった平成5年、年会費1口1万円でゆずの木1本のオーナーになってもらう「ゆずの里かおり村」を開設し、都市住民を中心としたお客さんを「かおり村の村民」として登録し、継続的に交流できるシステムづくりに取り組んだ。オーナーは年始めに募集し、春にはくじにより自分の木を決める開村式、薬味用の青ゆずの収穫に適した9月には「翡翠祭り」と銘打っての村民交流会、11月にはオーナーと地域住民が一緒に楽しめる収穫祭・ゆず祭りと時期に応じたイベントを開催している。地区のお母さんたちも総出で、ゆずなどを使った手作り料理を振舞い、地区全体での取り組みが定着してきた。初年度98人であったかおり村の村民は今では936人、来訪者は年間2万人を数え、1万本のゆずの木が植えられ、名実ともにゆずの里が形成されている。また、東京のオーナーに協力してもらい未婚女性22人を募集、里の未婚男性との交流会を実施した。ふるさとの人情と食の文化などをPRしたところ、16戸の小さな里にこれまで6人の嫁と1人の婿がやってきた。


様々な活動を積極的に展開

 ゆずの里かおり村の設立以来、里に埋もれている自然・天然を掘り起こし活用しながら、来訪者のために里を様々な形でデザインすることに取り組んでいる。
 標高250メートルの差又山(さしまたやま)には、落差約50メートルの「雨乞いの滝」、遊歩道の「七福神長者街道」、山頂付近の「山桜つつじ自然公園」を整備してきた。川辺の遊歩道には三つの橋をかけ、「縁結び橋」、「子宝橋」、「永生き橋」と命名した。高さ約40メートルの山肌には大きな猿の顔の形をした「猿岩」、河川敷には一対の「夫婦(鶴亀)石」、フジ棚の横にあるカエルの形をした「無事(フジ)かえる石」など五つの奇岩があり、いずれも、自然にあって隠れていたものを草木や土砂を除去して、散策しながら楽しめるよう整備した。遊歩道の両側には、紅梅、八重桜を植樹し、周辺の山林には山つつじ、山桜、やまぼうし、ねむの木、額あじさいやみかん、すもも等を植栽して、年間を通じて楽しめる安らぎの場づくりに努めている。また、原野、土手には野ぶき、みょうがを植えて採取開放している。現在では姿を消した5月の薬草しょうぶを8アールの棚田で保護に努め、沢蟹、蛍等の生育にも力を注いでいる。
 中でもユニークな施設「大黒神社」はイベント広場のすぐ横の差又山頂にある。オーナーの皆さんの知恵と工夫により、建立した。神社へ登る参道約200メートルから眺める元古沢地内の絶景は四季折々、参拝者の目を楽しませてくれる。聞くところによると最近、宝くじが当たったとお礼参りに訪れる人が多く、オーナーから注目されているとともに、近い内に億万長者が誕生するのではないかと大きな期待が寄せられている。里には交流施設も設置しており、バンガロー、私設公民館(研修所)、薬草五右衛門風呂など、常時無料開放している。これらの設置費は補助金に頼らず全額自費で賄っており、景観づくりや地域活性化の原動力となっている。
 また、この地区に伝わっていた民俗芸能「百堂念仏舞」は、戦後の混乱期に途絶えていたが、昭和58年、36年ぶりに復活させた。この芸能は2頭獅子舞と念仏踊からなる神仏混合異色芸能で特に2頭獅子は3頭獅子の元祖である。日本でも数少ない中世紀のもので850年の伝統芸能を復活。翌年、町の文化財、昭和60年に栃木県の無形文化財に指定された。毎年8月7日から15日にお盆行事として小学1年生から大人が参加、人づくり、ふるさとづくりに大きく役立っている。最近、少子化のため存続が危ぶまれているので、小学校に協力を依頼して地区を越えての伝承に意欲的に取り組んでいる。
 なお、この里に小学生が訪れるようになり、竹炭焼やゆずの木の手入れなどを体験学習として実施している。


活動の成果と今後の取り組み
 「ゆずの里かおり村」の開設で、荒廃地はよみがえり、山間の地に多くの人々がやってくるようになった。共通の目的と共同の責任を重んじ、人と人との交流で心のふれあいができ、活性化への道が開けた。現在、オーナーは936名を数え、趣向を凝らした各種イベントを企画することで、多くの観光客も訪れるようになった。また、平成13年、15年にはNHKの生中継によって日本全国に紹介され、全国各地から数多くの視察団を受け入れており(年間多いときには84団体、少なくても30団体くらい)、本年度も7月までに佐渡や宮城などから24団体が訪れ、地区全体が活気に満ち溢れている。ゆずの里に取り組んで20年、これからも、近隣の地区を巻き込んだ「フルーツ村構想」を掲げ、年間を通じた果物狩りを楽しめる地域づくりに取り組んでいく。当地区が先駆事例となり、すでに、山内フルーツ村では「ブルーベリー」、生井地区むらづくり協議会では「プラム」などの取り組みが生まれている。数年前から収穫ができるようになった果実は、町内にある道の駅もてぎなどでも販売され、瞬く間に売り切れてしまい、お客様から好評を博している。
 今後は、加工品開発により付加価値を高めることや観光を取り入れた夢のある「ゆずの里」の実現などの課題を踏まえながら、これからも大いに躍進するよう、里全体がやる気と本気で「来る人の気持ちでよくやるかおり村」を理念として、「ふるさとづくり」に取り組んでいきたいと思っている。