「ふるさとづくり2003」掲載
<市町村の部>ふるさとづくり賞 内閣総理大臣賞

燃やさない・埋めないを合い言葉に
北海道 富良野市
取り組みの発端

 ゴミリサイクルの取り組みは、旧埋立処分場の閉鎖問題に端を発します。当時、処分場は全量混合埋立処分としていましたので、悪臭やハエ等衛生上の問題、そこを餌場として群がるカラスによる農作物や家畜への被害が続発、街中のステーションでも野犬やカラスによるゴミ散乱は日常茶飯事で、生ゴミがこれらの原因であることは明白でした。
 そうしたなか、処分場の使用期限が迫り、新たな処分場の確保が大きな課題として浮上しました。
 しかし、住民感情から埋立用地を新規に設けることは至極困難な状況であり、切羽詰まった状況のなかで抜本的な打開策を模索、そうして見出した道が、生ゴミの分別をはじめとした"ゴミ分別とリサイクル"だったのです。
 まず最初に解決しなければならなかったのは、諸悪の根源たる生ゴミの新たな処理方法を確立することでした。
 「生ゴミを基幹産業である農業の土づくりに活かせないか」
 この発想から、全てが動き出しました。富良野の基幹産業である農業は、稲作、畑作、酪農と多岐にわたり、とくに畑作では非常に広範な作物が作られていますが、食料基地として生産性と品質の向上を図るには、有機物の施用が非常に重要です。
 直ちに生ゴミの堆肥化に関する調査・研究を実施し、昭和58年6月には"生ゴミの分別収集"を開始、富良野市は資源リサイクルの第一歩を踏み出しました。
 生ゴミの分別実施後、餌場を失くしたカラスは姿を消し、加えて早い時間にステーションから生ゴミを回収することにより、野犬などによるステーション荒らしも激減、大自然に囲まれた田園都市富良野ならではの美しいまちづくりに大きく貢献しました。


現在の富良野市のゴミリサイクル

 当初、「生ゴミ、乾電池、その他」の3種分別からスタートした当市のゴミ分別は、「分ければ資源、混ぜればゴミ」の合い言葉のもと、昭和63年「固形燃料ゴミ、空きかん、空きびん」を加えた6種(8分類)分別に発展、生ゴミから製造したコンポストの畑への施用も、農協の協力により軌道に乗り、また、紙くずや繊維類を粉砕、圧縮、固化して生み出される固形燃料は、生ゴミなどの難燃物が予め除去されていることから、燃焼時は石炭並みの熱量を発揮するという優れた商品性が認められ、現在は製紙工場のボイラー燃料として活用いただくなど高い評価を得ています。
 こうした富良野市のゴミ分別とリサイクルの取り組みは、その革新性から富良野方式と呼ばれ、生ゴミの堆肥化と固形燃料化を中心に全国の自治体のお手本となりました。
 その後も排出方法や区分に見直し・改良を加え、平成5年には粗大ゴミの有料化を実施、同年、資源化率は56%に達し、さらに平成9年の容器包装リサイクル法を契機に、空きびんの広域処理を開始するなど、効率化と資源化率のさらなる向上を図ってきました。
 また、平成12年以降はペットボトルやプラスチック類などの分別区分を段階的に加え、平成13年10月には、現在の形態である14種(24分類)の分別を実施するに至りました。
 本市が最もこだわったものとは、「燃やさない・埋めない」、つまり廃棄物の処理を焼却と埋め立てに依存せず、可能な限り資源化するという理念です。
 これは、昨今危機的状況にある「地球温暖化問題」や「大気・土壌汚染問題」の大きな要因のひとつとして、廃棄物の安易な処理があげられるとの認識によるものです。
 これらの問題を少しでも改善するため、「分ければ資源、混ぜればゴミ」という当初の理念を最大限尊重しつつ、排出段階における徹底的な分別をおこない、最終的には99%を超える資源化率を達成しようというものです。本市のリサイクルは、生ゴミは堆肥に、プラスチックは石油に、紙は紙に、缶やびんなどもそれぞれ鉄・ガラス原料として資源化されるようルートにのせる、いわゆる"マテリアルリサイクル"を基本としています。
 また、汚れの著しい紙くずなど、初期の素材のままでの活用がどうしても不可能なものについては、固形燃料化して熱利用します。
 こうした取り組みにより、それまでの60%台前半までにしか至らなかった資源化率は、新分別への移行後わずか1年半で、実に90・3%に達するという大きな飛躍を遂げたのです。
 ゴミの分別は、容器包装リサイクル法の施行や、全国的に大きな広がりを見せている環境問題改善に向けた取り組みなどにより、現在でこそ広く定着した感があります。
 20年前、ゴミ分別実施以前の埋立全盛時代にあっては、ゴミはゴミ箱一つに放り込むだけで済んでいたわけですが、ある日を境に別々に扱わなければならなくなる、これはすなわち、毎日の生活のなかに新たな思慮や動作を組み入れなければならないということですから、「相当に面倒なこと」と感じられていたに違いありません。
 しかし、そうした手間を克服し、現在の成果に結びついた原動力は何か、それは他でもない、住民・事業所など市民全体の深いご理解と、毎日弛みなく続けていただけている分別や、ゴミステーション管理などのご協力によるものに他なりません。
 ここに、ある市民の方から実際に寄せられた声をご紹介致します。
 「以前、旅行である所のホテルに宿泊したのですが、ゴミ箱が一つしかないのです。ホテルの部屋にゴミ箱が一つというのは、これはどこのホテルも同じ、至極当然なことだと思ったのですけど、いざゴミを捨てようとすると、とても困るのです。普段の生活では、毎日無意識のうちに分別してるじゃないですか。それが突然ごちゃまぜで捨てていいと言われても、とても気持ちが悪いんですよね。でも、あのゴミって、あの後どうやって処理されてるんでしょうかね?」
 昭和58年から実に20年にも及ぶリサイクルのまちづくりは、その歴史とともに、市民の皆様に深く浸透していっているのだということを、改めて実感させられた言葉でした。
 こうしたゴミ分別の取り組みを通して、市民の皆さんのなかに環境問題や廃棄物処理問題に対する関心が、いつしか育ってきたのだと思うと、何か嬉しい気持ちがこみ上げてきました。
 また、転入者に対するゴミ分別方法の窓口説明の際には、「マンションの大屋さんから聞きましたが、富良野のゴミ分別は凄いらしいですね。でも、ここで修行をすれば、他のどの街に転属になっても、ゴミの分別で困ることはないと思うよと言われました」と話されたお客様がいらっしゃいました。
 市民の方は、富良野のゴミ分別の取り組みは、他のどのまちにも負けないという自負を持ってらっしゃるのだということを、そこからうかがい知ることができました。
 市民の皆様の深いご理解とご協力というもの、市民の皆様が抱かれているわが町に対する誇り、そして長年にわたるこうした取り組みがもたらした市と市民の信頼関係は、今、そして未来に向けたまちづくりを進めるにあたって、何物にも代え難い大切な財産であると感じられてなりません。

住民も「環境会議」を自主的に結成し様々な活動が始まった