「ふるさとづくり2003」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

特産品の開発によるひとづくりと地域振興
山口県福栄村 福栄村特産品開発グループ
道の駅オープンがきっかけ

 福栄村は、人口2600人の農業主体の村で、高齢化率4割という典型的な過疎地です。
 農作物も米を初めあらゆる作物がとれますので、見方を変えたらこんなに恵まれているところはないと思います。だからとくに切羽詰まっているわけでなく、新たな特産品づくりの気運もなかった状態でした。
 平成9年に村内に道の駅が完成したことがきっかけでした。特産品を並べてみると、ほとんどの商品が村外の産品で埋め尽くされました。地元の道の駅なのに地元の特産品がない。初めて意識として「なにか福栄村らしい特産品が欲しいね」という言葉が出てきました。それをきっかけに地元商工会の旗振りで、老若男女問わず村の有志約40名が集まりむらおこし事業に取り組みました。
 委員のみなさんから地域で眠っている資源をどんどん提案して頂きました。
 とにかく「ひと」の力を中心に会議を頻繁におこない、多数の意見が出て活気がでてきました。意見が言えるこうしたきっかけを皆さんは待っていたのです。


ふくふくゼリーの誕生

 10年度には、特産品開発事業を取得し、9年度より引き続いての委員を中心に産品開発の会議を何十回も重ねていきました。
 会議を重ねていき、「福栄村の農産物を使った産品を作ろう」と、村でよくとれるメロンとぶどう、柿を使ったゼリーの試作に委員で取り組みました。ネーミングも福栄村の福をもじって「ふくふくゼリー」と名付け、パッケージデザインや容器の形状などもみんなで意見を出し合いました。
 このゼリーの完成を機に委員の意識は高まっていったのです。
 ゼリーは安易でどこにでもあるものだからという躊躇はありましたが、このゼリーの完成をきっかけに、委員に自信が芽生え、連帯感も生じ「自分たちの意見が形になるんだ」の意識で、次からどんどん産品が開発されました。
 最初から否定せず、まず実行したことがむらづくりへの意識を強めていきました。


ヒット商品「香福鶏」の誕生

 意見が飛び交うなか、ハーブを使った特産品をつくろうと考えました。
 まずハーブソーセージの案が出たので、早速豚肉を使って自分たちでハーブソーセージを作ってみました。すると委員の一人が「地元に大きな養鶏場があるから鶏肉を使った方がよい」となり、何回も試作を重ねて完成いたしました。
 次はネーミングです。このころになると委員はこの産品づくりの会議が楽しくなり、どんどん意見が出てきました。「ハーブの香りと福栄村の福をとり幸福になれるように『香福鶏』と名付けよう」と・・・。
 こうして、「香福鶏」は村の人たちの手で完成したのです。
 それからすぐ、「しあわせ」の産品が8品目になりました。


福栄村特産品開発グループの設立

 たくさんの特産品が開発されましたが、加工、販売する主体者がいないのが課題でした。それなら今まで活動してきた委員で会社を作ろうということになり、むらおこし会社「福栄村特産品開発グループ」が11年6月に設立されました。任意団体ではありますが、広く村民から出資を募り、老若男女問わず約50名から出資を集めることができました。
 商工会が裏でバックアップしてくれ、12年度に入ってからは自主自的にPRをおこない、自分たちで物産展などに参加しました。
 12年11月に、商工会関係の「中国四国むらおこし展」という物産展があり、そこでおこなわれた特産品コンテストに香福鶏を応募したところ、3位のグランプリ銅賞を受賞したのです。さらにその翌月おこなわれた全国商工会連合会主催の日本全国むらおこし展に応募したところ、食品部門では第1位の中小企業庁長官賞を受賞しました。評価として、小さな村で郷土の材料を利用して、村民が一丸となって9年度からむらおこし事業を実施していることが評価されました。幸福なネーミングや将来の期待度も考慮されたそうです。
 この受賞により、グループ員の大きな「自信」につながっていきました。


軌道にのるグループ活動

 売上も軌道にのり、やっぱり自分たちの手でつくりたいと加工場を商工会の敷地内に設置しました。最初はひとづくりの活動から始め、軌道にのってから箱物を建てろという方策は成功いたしました。
 また、加工場があれば気軽に何でも作れるので、メンバーのやりがいも向上し、小回りもきくようになりました。
 このころから、産品がよく売れるようになり、商工会が産品の注文を受けたり、また村役場も窓口になるなど、村のいろいろな機関がこのむらづくりグループを支援していくようになりました。このような応援もあり、またひとづくりを徹底したおかげで、すぐ産品は20品目に膨れあがりました。


お炭つきの誕生

 グループの産品で大ヒットした「お炭つき」という商品があります。この産品の完成のきっかけもグループ員の提案によるものでした。
 グループ員のなかに趣味で野菜などを炭にする方がいました。そこで、グループの会議でその野菜炭を持ち込まれどうにかならないかと相談がありました。
 早速カゴに盛って、グループ員のひらめきで「お炭つき」と名付け、パソコンでラベルを作成しその日のうちに商品にしました。
 物産展で売っていくうちに、お客様からアドバイスを受けカゴの形状や盛り方などが工夫され、今のような形になり少しずつ売れ出してきました。
 そして、火がついたのが13年4月の全国放送のニュースで紹介されてのことでした。
 東京のテレビ局のスタッフがたまたま訪れた東京のバーにお炭つきが置いてあったのをみて私どもに問い合わせがあったのがきっかけでした。そのバーは私たちが物産展で出品したお炭つきを購入された方だったのです。


田舎の産品は都会で売れる

 3〜4分ほどの短い放映でしたが、全国放送だけあって、注文の電話が鳴りやみませんでした。そして問い合わせや注文のあった方を整理していくと、そのほとんどが首都圏等都会の方でした。やはりこういう田舎のものは都会で売れるというのがよく分かりました。
 この放映をきっかけに、全国から視察に来られる方も増え一段とグループは忙しくなってきました。最初は、私どもが先進地の視察に行き、お話を聞く立場であったのが、今では多数の方が福栄村にお越しになられます。みなさんを私どもの加工場に案内するとみな唖然とされます。それは建物が質素で簡易であるからです。でも視察に来られた方は「むらおこしは建物ではない。このような施設でもできるんだ」と自信をもって帰られていきます。
 商工会内の作業場もフル回転で、常時5名のパート雇用の場を提供し、賃金を安定的に払える体制にもなりました。
 これだけ盛り上がると、地元行政や県が新しい地域振興策のひとつだと喜ばれ、広報に紹介してくれたり、地元行事の引き出物にも使ってくれるようにもなりました。また、県からイベントヘの出展依頼やコンテストへの出品要請もあり、強く推奨してくれるようになりました。


むらおこしは「役割分担」

 私どもはひとの得意とするところを多いに活用していきました。お年寄りの知恵から若い人の発想までいろいろなものを結集していったのです。
 「お炭つき」ひとつをとっても、
・野菜を栽培し調達してくれる人(農家、お年寄り)
・炭にする人(炭焼き)
・野菜炭をきれいに盛る人(グループのおばちゃん)
・カゴを作る人(竹細工やさん)
・シールラベル作成者(パソコンに強い若手)
・物産展で売りに行く人(グループ員)
・物産展情報や経理、経営指導(商工会)
・補助金等のバックアップ(村、県)
 その他、中小企業団体中央会や農協、県の農林部などさまざまな部署からご支援いただきました。これもひとつの役割分担といえます。


グループが商工会館を建ててくれる

 グループの活動拠点であった福栄村商工会はプレハブの建物で、県下でも有数の簡素な建物でした。ですが、地域振興のための産品開発の場所や会議の場として、効率よく活用してきました。
 その甲斐あって、県や村が新しい商工会館建設を強く推進してくれるようになり、15年2月に新商工会館が完成しました。
 まさに、福栄村特産品開発グループの活動が商工会館建設まで導いたと言えます。


法人化に向けて

 最初、年280万円程度だった売り上げが、平成14年度には1500万円以上になりました。
 任意グループなので、利益は全て出資者に還元し、毎年約1割の配当をおこなってきました。
 しかし、売り上げが伸びることにより税務上の問題や積み立てができないなどの課題が発生してきました。
 そこで、グループのなかに法人を立ち上げようと検討され、山口県や山口県中小企業団体中央会の提案で、優遇制度の多い「企業組合」という方法を選択しました。
 こうして、平成15年1月8日にめでたく「福の里企業組合」が設立されました。組合員はグループ員の中心的メンバー7名で組織されています。
 設立総会時には、県の役職の方など多数の方がご臨席され、取材もたくさん受けました。このようにみなさんに見守られての設立となりました。
 今までの福栄村特産品開発グループ(現在出資者68名)は親会社的存在として組合を見守っていくしくみをつくり、ともに活動していくようにしました。


楽しくむらおこし

 私たちはとにかくひとを大切にし活動して参りました。そして、いろいろな方のお力を借り、手作りのむらおこしをおこなってきました。箱物は必要最小限で充分です。ソフトである「ひと」がその箱の機能を何倍にもしてくれます。「むらづくりはひとづくり」からの理念と「よいと思ったらすぐ実行」で村民一丸となりがんばっていきます。