「ふるさとづくり2003」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

ユートピア太良庄の創造
福井県小浜市 太良庄ふるさとづくり推進会議
 私たちの集落は、日本の片隅、小浜市の中山間地域、山と田圃に囲まれた、73戸300余人の小さな集落だ。集落は中世の約250年間、京都・東寺の荘園であったことから、祖先が東寺と交わした文書の数々が国宝になっている。この文書から500年以前の、往時の生活ぶりが生き生きと伝わり、私たちの祖先の暮らしを偲ぶことができるのだ。遡ること江戸・戦国の時代を超えて鎌倉・室町の時代のことで、500年から750年間の窓だ。今私たちはこれから500年先に、この太良庄にユートピアを築こうと、大きなロマンを夢みている。
 小さな灯りだが、いつも輝いていたい。いつまでも点し続けたい。金なし・知恵なし・人なし・時間なし。ないないづくしだが、心のふれあいを大切にしながら。飛ばすと疲れて続かないから、時がかかってもよいので、“急がないで無理をしないで”を合い言葉に、むらづくりに取り組んでいる。


発足のきっかけ

 推進会議の始まり。平成3年に岡山県新見市で発足した東寺領荘園サミットへの参加に遡る。東寺の荘園だった縁で結ばれた、市町村のサミットだ。このきっかけを作ってくれた、新見市さんは生みの親である。参会者は、むらづくりの必要を痛感し、決意を固めて帰った。構想を練りあげて平成5年1月、区民総意の会議が発足した。

 特徴・・・あすの福井県を創る協会より団体指定を受けた発足当時助成を得たが、行政等へは指導や予算要求はしないで、個性を活かした独自の運営をしている。


活動の記録


 東寺領荘園サミット。初回より12年を数えるに至ったが、毎年10余人が参加して関係市町村の荘園と交流を深めている。第5回京都での東寺サミットは平成7年9月。年貢米納付の古式を真似て、荘園米進上駅伝を実施。こしひかり6俵を東寺へ進上。スタートは日枝神社でランナーと区民総出で安全祈願。進上駅伝の「たすきがけ」の青年27名のリレーで京都までの80kmを完走。交流会会場へ6俵担いで入場し進上式。大喝采を受ける。ほか30名は芸能踊りで出演した。区民の総参加者70余名。多くの時間と100万円を超える出費があったが、不満の言葉はひとつも出なかった。何故だろう? こころがひとつになって、楽しみが発見できたからに違いない。
 第6回小浜・東寺・サミット。小浜市に協力して、太良庄のよなべ会で交流。語り明かした。手分けしての民宿。家族とはさらに深まりを見せた。翌日は社寺仏閣の散歩ジウム。そして第4回荘園まつりへ招待した。
 荘園まつりは10回を数えたが毎年区民の8割以上の参加で盛り上がる。荘園そばと餅や芋煮など身近なものを無料で振る舞う。荘園まつりの下地をこう考えている。まつりは大きな目標達成へのプロセスなので、とくに広く人集めはしない。自作自演の区民のためのまつりだから、区民のふれあい心を育む場としたい。また準備した人もお客なので、外から人集めすると区民がお客になれないかも。小さいながら活気ある情報の発信ができればよい。それが元気を誘って跳ね返ってくるから。
 そばつくりは産業部の初仕事だった。今庄のそば道場へ入門から始まった。初年はそばはできたがどうしよう。いっそのこと区民みんな集まって試食しよう。カラオケのひとつも・・・が、まつりになって今も続いている。
 8月の下旬に蒔いた種は、白い花をつけて10月下旬に実を結ぶ。11月の中頃に収穫して天日干し、下旬のまつりでは、前日の砕だてから打だて・湯がきだてのそばを振る舞う。自慢はこの、旬の「そば」なのだ。人呼んで、いつの間にやら「荘園そば」になった。当地ではちょっと有名になってしまったし、また同好会も発足して、若い後継者も出ているので長く続くだろう。
 今庄から移入した種は、今では丹波の篠山市へ種分けして、大山の庄で育っている。
 まつりの内容。毎年の芸能には、若いお嫁さんたちも、積極的に出し物に参加して、ピチピチギャルぶりを発揮している。かつての出し物の最高のでき栄えは、年配のご婦人方の演じた「明治の嫁さん」だった。きっと記録に残るだろう。ゲームやカラオケも賑やかだ。
 風船飛行の交流。青空に舞い上がる風船でご縁を得てお付き合いがどんどん広がってゆく。愛知の阿久比町、豊橋、静岡に輪が広がって今も交流が続く。
 昨年と一昨年、NHKラジオ第1と会場とでお話をしたので、全国で着信されて、携帯へ電話があった。便りも届いた。
 マリンピアへ出場。小浜市の夏まつりは、事業所がゆかた着に編笠の衣装が通例だったが、私たちは集落単独で、はっぴに鉢巻姿で威勢よく出場しているので、市民から注目されている。また子どもの参加も初めてだったので、夏まつりに一石を投じ、まつりの盛り上げに貢献していると良い評価を受けている。
 表彰は、第1回小浜まち景観賞の、活動部門で優秀賞を受賞。15年5月にむらづくり運動10年の活動が認められ、知事表彰を受賞した。
 荘園の歴史を知ろうと、日本の中世研究の第一人者、網野善彦先生にお越しいただいて「荘園・太良庄語り」を開催。また「百合文書に見る太良庄」の講演も開催した。
 たんぽぽの会。福井県の「むらの達人隊」として、藁細工・伝承料理に名人芸を披露する知事認定のグループは、この分野で交流を広げて活躍している。
 好きなもの同士の集まり、料理講習同好会「たらの芽会」は、京都川勝漬物での糠床つくりを開いたのに続き、毎年講習会を開き好評を得ている。
 子どもとのふれあい活動は、歴史散策として戦国時代の山城跡、賀羅岳城へ登山して古老が山城語りを。また古い社寺仏閣が多いので、各社寺を古老に担当してもらい、老若交流を兼ね、子どもたちに由来・縁起を説明して歴史感を植え付けている。


活動の中から学んだこと

 まつり会場には区民自作の、飾りの歓迎旗・風船メッセージ・似顔絵・短冊などを吊るして飾る。事前に準備のため各戸へ依頼するが、作品は、家族全員で作っていることに気付いた。このことは家族のコミュニケーションに大変役立っていることを知った。イベント当日のみでなく、前準備の中でも人づくりができていることを発見した。
 また、お金もないので何かにつけて、区民の手仕事の参加型を基本に考えている。当日の行事への参加も大切だが、前準備の手作り部分、例えば旗・のぼり・プランターの花づくり等に時間をかける中で、お互いの心のふれあいを深めている。のぼりは完成品を買わずに、竹竿の先にクリーニングの針金ハンガーをL字に曲げてのぼり旗を作ったし、旗のミシン懸けもみんな手分けして、全部手仕事でやった。このことが結束を固める原因になっていると思う。
 まつりへの参加を促すには、たとえ小さなことでも、手伝ってもらうことで気楽に参加できる。かつて、おばあさんに芋の皮むきを頼んだ結果、遠慮しないで当日来てくれた。ひっこみ思案の心に、きっかけをつくることの大切さを知った。
 はっぴTシャツは個人所有だが、約100枚(約50万円)近くある。これを持っていると急な行事参加も意志決定だけで、簡単にできる。マリンピア出場も持っていたから、勢いで直ぐ出場できて、今だに続いている。学んだことの多いこと。


これからやりたいこと

 太良庄平成百合文書箱を作ったので内容の充実を進めたい。東寺百合文書で中世を知ることができるように、500年先の西暦2500年に太良庄の姿を残したい。タイムカプセルとして意義があると思う。お年寄りには、忘れ去られようとしている集落の昔のことを聞き、書きとめて箱に入れておくことも始めた。
 会議としていずれやりたい長期計画は、既にたくさん書き残してある。紙に書いてあるので、プランの時はここから拾えばよいことになっている。今なら例えば(1)懸案の荘園太鼓は是非やってみたい。お金がないので樽太鼓からでも始めるか。(2)顕彰規定を作って貢献者を顕彰しよう。等々盛りだくさんだ。
 小さいことでもいい。好きなことを、得手に帆を上げて、できる人が、できる時に、できることを、細長く続けて行こう。こころのふれあいを大切にしながら。ユートピアづくりはいつかは大願成就すると信じて。