「ふるさとづくり2002」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

「お田植祭」「水車」の復活できれいな水を残す
鹿児島県福山町 佳例川を語る会
佳例川の位置

 われわれの佳例川地区は鹿児島県の大隅半島と薩摩半島の付け根部分にあたり、鹿児島空港から車で約50分、近隣の国分市街地から約30分のところにある。地区名が示すとおり、川のきれいな農村地帯である。


「佳例川を語る会」の発

 佳例川地区の青年団が解散してから、地区の活気がなくなり寂しさを感じていた人々が集い「佳例川を語る会」を発足させた。平成7年の夏のことである。青壮年層が地区内居住者だけでなく出身者も集い佳例川の活性化を考えていくことにした。会費や規約をしっかり決めて運営にあたろうという意見もあったが、楽しみながら「できる人ができる時に」を方針に運営していこうと決定した。1000円程度の実費をその都度徴収することにした。会長も決めていないが6人の発起人が中心になり、運営している。主だった計画を話し合い、準備を充分し、忙しいメンバーは当日参加型である。青年団の経験者も多くイベント等の運営面ではさほど苦労していない。名称の語る会は佳例川の夢を語ることであり、田舎でしかはぐくめない夢を実現させたいとの願いで名付けた。
 「ホタルの飛び交う里にしたい」・「親水公園が欲しい」などの夢が当初語られた。活性化のために何かできないか。地域性や自然を生かしたイベントで、さらには歴史性のあるものができないか検討された。


お田植祭の復活

 手始めに昔あったお田植祭が復活できないか検討することにした。水利の問題や転作・借地など色々なハードルがあったが、地区民の協力をいただきながら一つ一つ解決していった。水田は飯冨神社の境内下に確保でき、平成9年6月に65年ぶりに復活することができた。飯冨神社は五穀豊穣を司るサルタヒコノミコトが祭神となっており、戦前まではここでお田植祭が行われていたのである。
 子どもたちに楽しみを与えながら「農」にかかわってもらいたい。そして佳例川地区を盛り上げたい。いろいろな思いが込められた復活であった。田植えで水と土に親しむだけではなくもっと子どもたちにどろんこになってもらいたい。一工夫して田植えの後にウナギのつかみどりをはじめた。子どもたちはどろんこになりながら夢中でウナギを追いかけ、親公認で服を汚すことができた。
 半世紀以上の空白を埋める大仕事に何回も話し合いが持たれた。子ども会は今年の活動を田植えや稲刈りの作業体験に絞込み、神社部は昔の農機具探しや作業の説明役で活躍した。文化的な要素を盛り込もうと「農」を理想に燃える芸術のような仕事ととらえた宮澤賢治の詩も朗読したりした。


収穫祭へ発展

 お田植祭復活のなかで古代米とよばれる黒米の栽培にも取り組んだ。収穫では石包丁を使い、さらには手鎌・バインダー・コンバインなども体験し、収穫道具の時代変遷も学んだ。
 実りの秋を迎え、収穫祭も行うことにした。当初、交流のある太鼓グループ(福山町のむつみ太鼓や国分市の川原清流太鼓等)に出演いただいていたが自分たちでも何とかできないかとなり、太鼓は高価で購入できないので、竹太鼓にすることにした。子どもたちを中心に編成した。生涯学習講座で太鼓を学んだ地区民2人も協力していただいた。同時にお田植祭の歌も町内勤務の方2人に作詞・作曲していただき祭りを盛り上げた。平成11年の春のことである。そこだけが絵にかいたような鎮守の森が浮かびあがる神社の境内で演奏がはじまると静けさを突き破る竹太鼓の響きに躍動感を感じた。
 収穫祭では稲の切り株に賞品番号を隠して見つける宝探しや田んぼゴルフ・田んぼ弓道大会・田んぼウォークラリーなど田んぼにこだわったイベントを行った。
 切り株を利用した宝探しは昔こんな遊びをしたことがあるとのメンバーのアイデアからうまれた。田んぼを懸命に子どもたちが走り回る姿に企画の醍醐味を感じた。
 このような内容を町内の町おこしグループ(ふくふくネット21)の事業ともタイアップさせ多くの参加者にも体験していただく試みもした。おいしい新米を町内の全児童・生徒にも味あわせようと学校給食センターヘも米を提供した。


水車へ夢ふくらむ

 お田植祭が復活し、収穫祭で自然の恵みを味わった。次に考えたのがこの米を精米する手段である。水車が欲しいとの意見がでてきた。もちろん、田舎のシンボルマーク的な広告塔としての水車ではなく、実際に精米・製粉できる施設としてのそれである。幸い「ふるさと水と土ふれあい事業」を佳例川地区は導入しており、このなかで実現できないか相談した。古老に聞くと佳例川地区には昔水車があり精米をしていたとのこと。写真を探すがなかなか見つからない。ようやく郷土誌のなかに存在の記載があり、復活ということで平成13年に直径5mの水車が完成した。親水公園も同事業で整備いただいた。ここは人々の憩いの場所はもちろん、近隣の小・中学校の遠足場所や総合的な学習時の稲作体験の場としても活用されている。ホタルのエサとなるカワニナも親水公園に放流した。当初描いた二つの夢が図らずも実現したのである。


活動情報の発信

 様々な活動も自己満足だけではだめだと考えて、地区公民館と一体となりホームページの開設にも取り組み平成14年の1月から運用を始めた。情報伝達の威力はものすごく、東京や大阪などの子や孫の方が佳例川在住の親より早く佳例川のニュースを知る立場にもなった。ふるさとへの愛着が一層深まったと思う。一連の村おこしの様子が伝わり田舎の原風景として農業関係のカレンダーにも採用された。各集落の公民館や代表的な風景・話題・季節ごとの農作業風景などを織り込みながらふるさとを離れて暮らす出身者へも意識的に情報発信をしていく計画である。
 自分たちでは気づかない宝、例えばホタルの飛び交う情景や川のせせらぎ、山の緑と静けさなど当然のものと受け止めているものを佳例川のホームページを開いた人たちがメールでわれわれに知らせてくれるようなネットワークになったらと考えている。


ふるさとの絆

 農耕の祭りの「羽山まつり」が行われる場所に手づくり施設の「農舞台」(間口5m×9m)家1棟が平成13年度にできたが、これなども地区公民館と一体となって地区内外のボランティアで整備することができた。「農舞台」づくりは短期間の3か月で造成から全てを終わらせたが手づくり施設なので多岐にわたる職種の人々や地区民の協力がありがたかった。参加した人々から「自分の持ち場・得意分野で協力できる。」「若い者が頑張るのであれば年はとっているが協力しよう。」などうれしい言葉をいただいた。
 どこかでふるさと佳例川の連帯で深く強く結ばれていると感じた事業であった。


これからの展開

 今後は、空家を利用して佳例川に親子で山村留学してもらうことや水車を利用した発電などにも取り組みたい。水車発電については町おこしのネットワークをとおしてモンゴルで風力発電をすすめる宮崎県の国立都城工業高等専門学校の先生方と知り合い、協力をいただきながら現在検討中である。
 佳例川を語る会は村おこし団体であるが、活動を理解し支援してくれた佳例川地区公民館の存在が大きいと思う。
 暗中模索のなかではじめた佳例川おこしであったが、まさしく地域遺伝子の機能に導かれ、地域にあった「お田植祭」や「水車」が復活できた。その過程で「お田植祭の歌」・「竹太鼓」・「収穫祭」などが生まれた。農耕の安全を祈る羽山まつりの「農舞台」整備にはじまり、稲作関係でひとつの物語となる佳例川おこしができたのではないかと考える。
 「お田植祭」復活をとおして水のきれいなこの田園風景を次世代に残す契機づくりができたと思う。