「ふるさとづくり2002」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

"愛夢惣利(あいむそうり)"を合言葉に地域の活性化
福岡県春日市 惣利好いとう会
 ドコドコ ドコドコ ドーン! ドーン!
 仲間たちの打つ太鼓が、公民館いっぱいに鳴り響いています。汗を流しながら練習をするその姿を見ながら、私は7年前のことを思い出していました。


魅力・元気のない地域に危機感

 平成7年7月7日、近所の有志約15人が私の自宅に集まり、バーベキューを楽しんでいました。その有志とは、ほとんどの地域がそうであるように、魅力・元気のない地域の現状に危機感を抱いた私の呼びかけに応じた仲間たちです。酒を飲みながら語らいつつ、とにかくグループを結成し、なにか活動をしようという話になり、こうして「惣利好いとう会」が誕生しました。「好き」を博多弁で「好いとう」といいます。惣利という地区を、大好きな魅力あるまちにしようという思いを込めて名づけました。そして会長には、言い出しっぺの私が就任いたしました。
 まず初めに企画したのは、7月の行事である地区祭りへの参加でした。模擬店でビールを売り、収益をあげると同時に、地域の方に会を認知していただこうと花火を打ち上げました。発足したばかりで予算などほとんどない状況でしたが、皆で出し合った約10万円で、花火を仕入れてきたのです。空高く打ちあがった花火に歓声を上げ、喜ぶ地域の人々、そして仕掛け花火で浮かび上がった「好いとう会」という5文字を見ながら、あ〜よかったなぁと思うと同時に、これからの会の活動を考え、わくわくする私でした。


ゼロからの獅子舞

 9月になり、夏祭りの反省会をするとともに、今後の活動について話し合いました。会員の中で、無形文化財、博多独楽の宗家の方がいらっしゃり、「お正月に獅子舞の門付けをしてみませんか? 道具は貸してあげますし、指導もいたしましょう」との提案をいただきました。それから約3か月間、猛練習を重ねた結果、全くのド素人集団が、まがりなりにも人様にお見せできるレベルにまで達しました。
 そして迎えた平成8年1月1日。午後1時より、予約された約40件の家々を1軒1軒、獅子舞をして廻りました。どこの家庭でも大歓迎でした。獅子舞という伝統文化を生で見られたこと、そして地域活性に一生懸命に取り組む私たちを喜んでくださったのでしょう、私たちの想像を越えるご祝儀をいただきました。経済的に自立できる目途がたったということよりも、喜んでいただいたという感動のほうが大きかったことを覚えています。
私たちの活動はたちまち地域のうわさとなり、時をあけず、出演依頼が舞い込んできました。春日神社の神殿新築落成の記念式典というとても大きな舞台でした。私たちは話し合い、獅子舞に太鼓を組み合わせることにしました。8個の(これもまた借り物)太鼓で、3月の出番まで約2か月という短い期間、またもや練習に次ぐ練習です。会員みんなが必死でした。そして本番、前夜までなかなかうまくいかなかった太鼓も、ドンぴしゃりでした。大勢の方の前で初めて太鼓をたたくのはとても緊張しましたが、うまくいったときの爽快感! そして共通する目的と意織を持った仲間と、ひとつのことをやり遂げた充実感! この気持ちは、仕事では得られないものでした。そのとき私は、惣利好いとう会の将来に、確かな手ごたえをつかんでいました。


一対150万円の獅子頭購入

 平成8年の春、初めての総会で、大きな問題が浮上してきました。獅子舞を活動のひとつの柱にすることには全員の意見が一致しましたが、獅子頭や太鼓は借り物。特に、正月は、宗家の方たちも繁盛期です。今年はたまたま借りられたのですが、来年もまた借りられるという保証はありません。それならいっそ購入してはということになったのです。そこで、東京・浅草の80歳になられるという美術工芸品の職人さんに見積もりをしていただきました。すると獅子頭は、一対なんと300万円もするのです。私たちは、お願いをしました。「私たちは営業で獅子舞をするのではありません、地域おこしとしてやるのです。グループを結成してまだ1年足らずでお金がありません」と。すると、「わかった、それでは半額にしてあげよう」という思いがけない返事が返ってきました。しかし、それでも150万円の大きな買い物になります。会は賛否両論が渦巻きました。なかなかまとまらない話し合いが4〜5か月続いたでしょうか。この間辞めていく会員もでてきました。けれども私は、とことん話し合おうと決めていました。なぜなら、すぐに採決をして、しこりを残してはいけないからです。思えばこの期間が、会としての一番危機的な時期だったと思います。
 8月末頃、購入しようという結論になりました。反対していた人たちも、時間をかけて話し合った甲斐あって、納得されていた様子でした。資金は私の父から、「利息なし・返済期限なし」という条件で借りました。これが勢いというものでしょうか。結成してまだ1年というグループが思い切ったものです。けれども私には、うまくいくだろう、という予感がしていました。


「起爆剤になろう」が実現

 それから約6年、NHKや民放TV、ラジオなどに数度出演。新聞にも、地域おこしの面白い存在としてたびたび取り上げられました。公の組織ではない任意の団体ですが、区に対してはいろいろな行事を提案。今では、「どんど焼き」「もちつき大会」など、日本古来の伝統行事が毎年行われるようになりました。そしてそのようなイベントのときは、子どもたちはもちろんのこと、日ごろふれ合うことのない大人の人たちが交流を重ねるようになり、とうとう昨年には60歳以上の方で結成された「ゲンキ会」が発足しました。当初私たちが考えていた「地域活性化の起爆剤になろう」という思いが、次々と実現しているのです。青年・中年層は私たち「惣利好いとう会」、熟年層は「ゲンキ会」、そしてその上に「老人会」、と各年齢層に分かれた組織が、お互いに連携し合い、うまく起動し始めたのです。例えば月1回の公園清掃。今までは老人会が市の委託を受けてされていましたが、やはり年を取られた方々だけでは大変だろうと考え、数年前から私たち惣利好いとう会もお手伝いをするようにしました。汗を流しながらの作業を通して、そこにまた日ごろ交流のなかった世代のつながりができていきます。そういう小さいけれどコツコツと歴史が積み重ねられていくのが、私は大好きです。最近聞いた話によると、春日市の地域おこしのモデルプランになっているそうです。
 当面の目標は、まずは、2年前より始めたチンドン屋のレベルをもっと上げていくこと。そして今年よりスタートする「蛇おどり」。主役となる子どもたちやゲンキ会の方々ヘの指導を通して、常に新しいことに挑戦するという、初心を忘れずにいこうと考えています。そして「獅子舞」「チンドン屋」「蛇おどり」といういまではほとんど見る機会がなくなってきた歴史的、文化的な伝統芸能遺産を惣利地区の三大名物として完成できればと考えています。そしてもうひとつ大きな課題として考えているのは、小・中学生たちの世代です。例えば、育成会という小学生の組織はあるのですが、役員さんたちも義務的に処理していくだけでうまく機能していません。また、つい最近、春日南中学校の運動会で獅子舞を披露してきましたが、この企画は、学校の現状に危機感をもたれた校長先生の希望によるものでした。家庭・学校と並び、地域教育の大切さは言うまでもありません。生徒たちと地域がもっとふれ合うことにより、何かよい動きが出てこないか、今後模索していきたいと考えています。そしてこの世代が充実してくれば、子どもから老人までの組織がすべて活性化して、相互に補完しあうのです。「あしたの日本を創る」のは子どもたちです。家庭や地域の崩壊に加え、学校教育のレベルが低下した現在、知識だけでなく人格を向上させる地域の環境がこのままでは、日本の将来は危ういのです。
 惣利好いとう会は、本当に小さな存在にすぎません。しかし、その小さな存在が少しずつ周囲に影響を与え、次第に大きな流れになってきました。もしそれが春日市、福岡県そして日本中に行き渡ったときには、日本はすばらしい国になっていることでしょう。リコーの創始者の唱えられた三愛精神。「人を愛し、国を愛し、仕事を愛す」。実は私の父も同じようなことを言っていました。「女房に惚れ、地域に惚れ、仕事に惚れる。この三惚れができた人はすばらしい人生が送れる」と。私の人生観にはこの父の遺伝子が入っているのでしょう。できるだけたくさんの人にこのテーマを伝えていきたいと考えています。
 平成14年7月7日。近くのレストランを借り切り、近所の方やサポーター、約100名に集まっていただき、惣利好いとう会の7周年記念パーティを開催する予定です。7周年を一つの区切りと考え、また新たな気持ちで次の活動を展開していきたいと考えています。
 がんばれ日本! 日本チャチャチャ!