「ふるさとづくり2002」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

"新ふるさと"創造イベント『古宇磯祭り』
静岡県沼津市 古宇磯祭り実行委員会
過疎に埋もれた埋蔵金探し

 私たちの故郷は伊豆半島の付け根。駿河湾を囲い込むように大瀬岬にのびた、沼津の長い海岸線の中ほどに位置する静岡県沼津市西浦古宇。この小さな地区こそが私たちの愛してやまない"わが故郷"なのです。戸数60戸人口200人余りの地区の主たる産業は蜜柑の栽培。全国の例を出すまでもなく後継者不足と高齢化の波が、30年程前から少しずつ押し寄せその数年後には、波は津波の如くに地区の若く優秀な能力と労働力を、何のためらいもなく向う岸までさらって行ったのです。「時代の流れには逆らえないよ。」と肩を落とす地区住民の姿をみて、私たちは「時代に流されない地域づくりが必ずあるはずだ。」と考え、昭和61年の3月に 21世紀の新ふるさとづくり"をテーマに、地区の若い人たちを集め勉強会を発足したのです。独自の活動を続けながらその1年後に『Kou Resort2000 Conception』という9項目のわが町の基本構想をまとめました。公園法・農地法・漁業法などの法規制や、蜜柑栽培に軸足を置いてきた地区の産業形態の陰にかくれ、長い歴史の中に埋もれ続けてきた地域資源の発掘と再発見こそが、時代に流されない地域づくりの核になると確信し、不便さや煩わしい風習も地域資源となり得ると発想の転換を図ることとしました。そしてその作業は私たちに冒険心と遊び心を目覚めさせ、それはまさに過疎に埋もれた埋蔵金探しであったのです。『古宇磯祭り』は勉強会の基本構想9項目のなかの、"エップタイドパーク(引き潮公園)計画"をベースに企画したものであります。


リゾート開発と『古宇磯祭り』

 平成元年頃よりリゾート開発計画が全国を駆け巡り、ご多分にもれず古宇地区も『古宇マリーナタウン構想』という、開発計画が舞い込んでおりました。私自身地区の開発委員に選出をされ、企業側との折衝に臨んだのです。企業側のリゾート開発計画と私たち勉強会の基本構想との突き合わせの話し合いとなりました。そこで企業側の事業の採算性と地域振興とは、相当部分相入れないものであることを再確認致しました。しかし同時にシンクタンクの人たちの時代のニーズを的確に捕らえ、それを形容化する能力と集客のノウハウには大変感心させられたのです。その一方で私たちはこの地区の歴史・文化・四季の自然・人情、そしてそれらとの関わり方や遊び方を知っているオーソリティーであり、新しい故郷づくりのシンクタンクにならなければならないという使命感がありました。
 そんなリゾート開発ブームの最中の平成2年に新宿―沼津間が"あさぎり号"の電車開通により直通となり、同時に沼津の開発構想の中に沼津港―古宇湾をフェリーで結ぶプランが浮上していたのです。私たちはこの状況を好機ととらえ、古宇という小さな地域から情報を発信することを決意しました。イベントを開催し実際に"あさぎり号"で首都圏の人達に沼津駅まで来てもらおう。客船をチャーターして沼津港と古宇の湾を結ぶ海上ルートを運行してみよう。企業側のいう古宇のポテンシャルを確認してみようと考えました。
 どんなイベントを開催するのかの答えはすぐに出ました。前述の"エップタイドパーク計画"の原作を冒険心と遊び心満載のシナリオにして、古宇の磯浜と海をライブショーのステージとしたのです。タイトルを『古宇磯祭り』として平成3年6月2日(中潮)に開催することが決まりました。実行委員は若い世代を中心に男女合わせて35名。新聞社に協力をお願いし沼津市の広報に載せて、首都圏に150名、沼津市近郊に150名の合計300名の募集を懸けてみました。「町おこしのイベントは無料があたりまえ。」と言われる中で、資金のない私たち委員会は「料金を払っても参加したくなるイベントでなければ、"新ふるさとづくり"にはつながらない。」という、開き直りの発想をもって企画を作りあげました。
 設定料金は船参加(沼津港―客船―磯祭り会場)は大人3000円、子ども1500円、車参加(自宅―車―磯祭り会場)は大人2500円、子ども1000円、ともに3歳以下無料といたしました。イベントの内容につきましては後段説明をさせていただきますが、このような参加料の設定で果たして参加者がきてくれるのだろうかとの、私たちの不安をよそに701名ものハガキでの申し込みがあったのです。しかしイベント運営初体験の私たちには、701名もの参加者に対応できる自信がありませんでした。そこで申し込みの先着順で参加者を350名と限らせてもらい、緊張の中で第1回『古宇磯祭り』の開催を迎えたのです。


古宇磯祭り存続の危機・助成金なしでイベントは続けられるのか

 第1回『古宇磯祭り』は参加者をはじめ行政・マスコミなど、地区外の方々にも高い評価をしていただき私たちも第2回に向けたプランを、参加者のアンケートの分析をしながら進めていたのですが、大きな落とし穴が待っていたのです。それは古宇の自治会との関係でした。私たちは実行委員会の組織を勉強会のメンバーを組み入れ構成したのですが、同時に私達自身も地区の開発委員という立場でもあり、第1回の実行委員長を古宇の自治会長に就いていただいていたのです。しかし平成4年は自治会役員の改選の年に当たり、新役員の役員会に於いて準備期間が足りないという理由で、第2回『古宇磯祭り』は中止になってしまったのです。この時に私たちが磯祭りの実施に対し強い意志を通すことができなかった原因に、古宇自治会と別の委員会からの助成金の問題があったのです。ちょうど市の地域振興課の担当の方が磯祭りを評価してくれ、その立ち上がりに運用のできる新しい補助金のシステムをつくってくれた矢先でした。地区の中にも「地域の金を使って接待してやれば誰でも喜ぶよ。」というような声が、当初磯祭りを評価してくれていた一部の人たちの中からも聞こえはじめました。
 「古宇の自治会とは切り離そう。」「助成金なしでできる方法を考えよう。」1年後の古宇自治会の総会において、第2回「古宇磯祭り」を有志で開催することを提案し満場一致で可決されました。資金不足は参加者の人数を増やすことと、有料で参加のできる新しいコーナーを企画することで対応することと致しました。
 不思議なことに有志での開催となってから、お年寄りを中心に地区の人たちが今まで以上に磯祭りを支持してくれるようになったのです。実行委員長は田村康治さんが趣旨を理解していただき、本年第11回『古宇磯祭り』まで10年務めていただいています。こうして第2回『古宇磯祭り』は平成5年に720名の参加者を招き、有志だけの実行委員会で助成金なしでの開催をクリアすることができました。参加人数も第3回に1000名とし、それ以後は毎回約1200名の参加者を迎えています。そしてありがたいことにスタッフ不足を三島の日大国際関係学部の学生たちが、第4回頃からボランティアで来てくれているのです。また昨年からは中央大学の学生を中心にしたサークルも来てくれるようになりました。現在学生スタッフの総勢は50名ほどです。町おこしのイベントで語りたくないことなのですが、私たちにとっては"利益を最小限に押さえて採算割れを起こさないこと"こそが、『古宇磯祭り』をこれからも続けていく条件であり、"新ふるさとづくり"の夢を掴めるかどうかの生命線なのです。


『吉宇磯祭り』が地域を変えてはくれない

 沼津の47kmに及ぶ海岸線は沼津の宝だと言われながら、道路の拡幅と埋立てにより浅瀬や磯がその姿を消していきました。そして車窓から見える海岸線はどこも同じような景色になっていったのです。磯の幸や磯がある風景や海を浄化する磯の役割などを、磯遊びを通してて考えてもらえたらと私たちは思っています。
 また「古宇の地域は磯祭りをやって何処が変わったんだ。」と良く聞かれます。私は「磯祭りが古宇を変えてはくれませんよ。」と答えます。磯祭りが地域を変えてはくれないけれど、磯祭りを続けていくことで必ず人が育ち、同時に地域資源も育ってくれる。その時こそ一気に地域が変わっていく。地域は人が変えてきたものであるし造ってきたものであると考えています。


手づくりの『古宇磯祭り』

 私たちの古宇地区は背に蜜柑の段々畑がつらなり、前に広がる駿河湾を自然の入江が囲いこみ、その先に裾野を長く引いた海越しの富士山が、実に艶っぽい姿を見せてくれるのです。
 磯祭りの会場は満潮時には全て消えてしまいますが、大潮か中潮まわりの干潮時の約8000m2の磯浜を利用して、潮が満ちてくるまでの最干潮をはさんだ6時間の中で『古宇磯祭り』を開催しています。今年も5月26日(大潮)に"磯は遊びのテーマパーク!"をテーマに第11回『古宇磯祭り』を開催しました。

(1)[潮干狩]古宇の磯浜は日頃からアサリがたくさん採れるのですが、磯祭りでは1t以上のアサリを特別に撤きます。

(2)[カニレース]磯浜の石を持ち上げて見つけたカニの中から、一番元気そうなカニを選びます。カニレースは選手探しがスタートです。レースは1m50cmのレース盤の上で行われます。

(3)[海の魚の掴みどり大会]潮が引いた浅瀬にまわした網の中に、タイ・ハマチ・アジ・スズキなどの魚を放ち、200人ぐらいずつの人たちが一斉に入り本部で用意をしたタモや素手で魚を掴まえます。捕った魚は全て持ち帰れます。

(4)[ヨットクルーザー体験乗船]古宇の海には50艇ほどのヨットが係留してあり、そのオーナーさんたちの協力でヨットクルージングが体験できます。

 他にも人気の[釣り堀]・[アサリの輪投げ大会]・[伊豆水軍埋蔵金探し]・[大物狙いダーツ大会]・[磯祭りセリ市]などがあり。昼食は地元のお母さんたちの作る水軍鍋と磯御飯が振るまわれます。磯祭りで使う施設や道具のほとんどはスタッフの手作りです。カニレースのレース盤・掴みどりの網・釣り堀の水槽・輪投げの道具・ダーツ台・水道施設・橋・全ての看板等がそうですが、今年の磯祭りでもう一つ増えました。『古宇磯祭り』のイメージソング"♪カニカニROCK"のCDです。地元の人に作詞作曲をお願いして編曲もして演奏をし歌を入れ、日大のダンス部の先生に振り付けをつけてもらい、地区内で録音をしました。
 私たちは将来古宇の磯浜を『引き潮公園』として整備していきたいと考えています。アサリ・トコブシ・カメノテ・イソモノ・ニシ・コブノリ・イワノリなどが生息しやすい環境の整備と、同時に様々な夢のある造形物を磯浜に造っていきたいと考えています。ただしそれら造形物は全て干潮時に生物の住家となる、潮だまりができる構造であることが条件です。これからも磯浜の大切さ素晴らしさを伝えていける活動を、続けていけたらと願っています。