「ふるさとづくり2002」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

躍動するNPO じねんじょ自然生クラブ
茨城県つくば市 特定非営利活動法人自然生クラブ
 平成2年に「心身にハンディキャップをもつ人も自立し、生きがいを持って自己実現していける社会をつくろう」と小さな勉強会がつくられました。さまざまな障害をもつ人、その父母、そして、ボランティアが集まり、それぞれの夢を語りました。その夢は、筑波山麓の一軒の農家にあつまり、自然生クラブが生まれたのです。試行錯誤を繰り返しながら、失敗しても、常に明るく、前向きに進んできました。そして、現在はしっかりと地域に根を下ろしました。現在、古い農家は自分たちの手で改修され、共同生活寮となっています。スタッフ3名とハンディをもつ青年たち4名(メンバー)は一緒に暮らして、有機農業を中心に自然環境と共存する生活をし、そこから生まれた感性を太鼓などの演奏活動で表現しています。平成13年の4月に、私たちの活動はNPO法人となりました。10年の活動は、様々に展開し、活動の幅をひろげていきました。より確かに継続して事業を行うために、NPO法人化したのです。


共同生活寮 山の家

 自然生クラブの活動の拠点は、筑波山南麓に明治の初期に建てられた水車小屋でした。昭和30年代に、その水車小屋としての役割を終えました。私は、筑波山麓の自然の豊かさと、自然と共生するその生活の有り様にとても興味をいだきました。障害者とともに活動するチャレンジのフィールドとして、とても魅力を感じたのです。ただし、私の頭の中に福祉施設をつくるという考えは、全くありませんでした。障害者をお世話するための施設は、必要ありませんでした。彼らとともに生活をつくっていく場所があればよかったのです。山裾の田園で、米作りを教わることになりました。農業体験で地域を活性化していこうという計画がすすんでいました。農業を本格的にやったことのない私にとって、これはチャンスでした。地域のお年寄りのところへ行っては、昔話を聞きました。農業のこともたくさん聞きました。私と、障害をもつ青年たち、そして、ボランティアで手伝ってくれる仲間によって、農家は改修され、共同生活寮「山の家」となりました。


コミュニティ農園

 米づくりの体験農業をしながら、私たちは、有機農業の実践に取り組みました。しかし、素人農業のうえに無農薬、有機栽培は難しく、失敗の連続でした。たくさん作付けしては失敗し、草取りが間に合わなくなり、収穫しても売るあてがないという、悪循環でした。そのうち、仲間たちも生計の見通しがない重労働に疑問を感じるようになりました。米作りの方でも草取りが間に合わず、農家の人に叱られるようになりました。有機農業へのあこがれと現実の厳しさにうちのめされました。しかし、私たちの活動を支えてくれる人たちが、少しずつ少しずつ増えていきました。野菜を買ってくれる固定客も少しずつ増えました。数年してから、私たちは、自分たちの農園は自分たちのものではない、と考えるようになりました。私たちは、売る野菜をつくっているのではなくて、自分たちの自給する野菜をつくって、同じように、100軒分の仲間の自給野菜をつくっている、と考えるようになりました。つまり、生産者と消費者という関係ではなく、食を関係としたひとつのコミュニティをつくるんだと、考えたのです。有機農業の難しさや、天候に左右されることも全部通信で報告しました。食を関係とした共同体をみんなでつくっていこうと呼びかけました。これが、信頼関係のはじまりです。家庭から出る生ゴミの回収もするようになりました。堆肥にする落ち葉を近くの公園から集めてくれる人もあります。山の涌き水を汲んでいってあげたり、ホタルの情報を流してあげたりもします。食の関係から、さらに自然保護へビジョンが展開していきました。


田園ミュージアム構想

 有機農業を実践していくということは、ただ、農薬を使わず有機肥料を使うということではありません。水や空気、土、自然環境、生活のあり方まで含めて、自然と人間のライフスタイルから生まれるのが有機農業です。筑波山麓には、豊かな自然が残っていますし、人間の暮らしの中に自然循環が保たれています。そのありのままを田園ミュージアムとして位置付け、農村の生活スタイルを大切にしていこうという試みが、筑波山麓田園ミュージアム構想です。この計画には、国や県、市もそれぞれの立場から無関係ではありません。私たちは、農業と自然保護の立場から運動をおこそうとしています。私たちの所有する水田は、ちょうど生態系の豊かな地域で、ゲンジホタルが棲息し、ホトケドジョウが棲みます。谷津からながれる細草川には、生活廃水が流れ込みません。この川の周辺を保全して、環境教育ゾーンにすることを提案しています。谷津にある棚田でも、三つのグループが、体験農業をすでに行っています。土地改良事業、さらには河川改修事業にも積極的に関わっています。県は、田園空間博物館として、この地域を指定しています。土地改良、河川改修の計画の際、県はコンサルタントをとおして、地域住民とワークショップを開きました。私たちも参加し、意見交換をした結果、地域ぐるみの自然保全運動がうまれました。環境教育のための体験ゾーンを整備することも提案されました。自然生クラブはその中心的な役割を担います。これから本格的に田園ミュージアムの計画がすすみます。特に、地域の小学校の子どもたちとの共同作業が大切です。これまでも、炭焼体験や米作り教室で協力してきました。さらに、子どもたちの発想を取り入れて、冒険キャンプ場づくりや、川遊びの場所の整備にもとりかかりたいと考えています。


表現活動 太鼓・ワークショップ

 表現活動に、ハンディはありません。その表現でいかに自己実現したかが問題です。「ありのままでいる」ことになんの躊躇もない人たちにとって、自己表現の方法さえ分かれば、あふれる泉のごとく、表現は尽きません。自然生クラブでは、自分たちの演奏スタイルを確立してきました。農的生活で養われた感性と、共同生活の中から生まれる協調性、逆に個性のぶつかり合い。そういったものをいつも生のまま、舞台表現の中に織り込んでいきます。練習も、決まったパターンの練習はせず、ワークショップの形式で行われ、つねに、グループダイナミックスが働くように、こころを自由にしておきます。太鼓を叩きたいという気持ちが大切で、自分の演奏に飽きてしまうような練習はしません。この方法は特に知的な障害をもつ人たちに適します。このようなワークショップの方法は、演劇や絵画、造形、ダンスなどの分野でも取り入れられ、若いアーティストがこの実験的なワークショップを積極的に行っています。


田井ミュージアム

 表現活動の場、地域文化伝承の場、田園ミュージアム構想の拠点として、多目的に活用できる手作りミュージアムを開設しました。そのきっかけは、地域の集落の中心にあるJA倉庫が新しいライスセンターの建設で全く使われなくなったことによります。JAと自然生クラブとの話し合いにより貸借契約が結ばれました。地域の区長会との話し合いも持ち、営利目的に使わないことや公序良俗に反しないことなどを約束しました。地域に馴染みやすいような内容のもの、楽しめるもの、子どもや障害者、年寄りたちも参加できるような企画、さらに、地域の文化伝承にも一役かえるものとしたいと考えています。これまでに、地元の伝承を題材にした創作舞踏の公演、市民劇団による小劇場、地域の小学生の春の展示、狂言、ダンス公演、箏の演奏会などが行われました。また、月に1回、ダンスや絵画のワークショップも行われました。さらに、ミュージアムの扉絵は、ベルギーの障害者アート支援NPO団体CREAHM(クレアム)を招聘した際、自然生クラブのメンバーと共同制作したものです。地域のみなさんも、今後の展開に注目してくれていますし、楽しみにしてくれています。