「ふるさとづくり2002」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 主催者賞

ゆずの町からこんにちは
和歌山県古座川町 古座川ゆず平井婦人部
 私たちの住む和歌山県古座川町は紀伊半島の東南部にあります。
 和歌山県で一番面積の大きな町ですが、96%は山林、山も急峻で、農地は古座川流域にわずかに点在するのみの典型的な山間地域です。
 65歳以上の割合は42・6%と県下で最も高く、過疎化・高齢化の進行が著しい町です。
 私たちのグループがある平井地区は、古座川町の北部にあり、町役場から車で50分、最寄りのJR古座駅からは1時間もかかります。戸数96、人口210の平家の落人伝説が残るひときわ山深い小さな集落です。


加工品づくりの気持ちが芽生え

 活動のきっかけをお話します。
 昔から酢に搾られて貴重な調味料として使用されてきたゆずを、町の特産品にしようと植栽が始まったのが昭和40年でした。51年には古座川柚子生産組合が結成されました。組合員74名、栽培面積18ha、県下でゆず生産量は第1位です。この内の45戸、10haが私たちの平井地区にあり、地区内にある搾汁加工場で搾って、柚子酢として販売しています。
 その搾りかすが取り入れを終えた水田に山積みに捨てられ、辺り一面がゆずの香りと黄色の世界でした。でもその香りも日にちの経過とともに腐り異臭を放ちました。なんとかしたいと誰もが思っていましたがなかなか取り組めませんでした。
 生活研究のいろいろな研修会に参加するうちに、加工品づくりの気持ちが芽生え、地区内のゆず栽培農家の婦人と話し合いをして、昭和60年、有志20人で加工グループを結成、活動をスタートさせたのです。


希釈用ドリンク「柚香」が誕生

 1人1万円の出資金では鍋とコンロしか買えませんでしたので、ゆず組合の加工所を間借りして、今まで家庭で慣れ親しんだジャム、マーマレードを作り始めました。昼間はゆずの収穫作業があります。皮をきざんだり、煮詰めたり、ビン詰めの作業は夜の仕事になりましたが、みんなで1か月あまり1日も休まずに作り続けました。しかも全くの無報酬。今思えばよく頑張ったものだと思います。ラベルを貼ったジャムを最初に手にしたときの喜びは今でも忘れることができません。次は部員一人ひとりが営業マンです。自ら購入して親類に送ったり、近隣のお土産店を回ったり、イベントヘ出かけたりと総出で売りました。おかげで2月までには完売し、100万円余りの売り上げがありました。売り先のあてもないまま加工を始めた私たちには、自分の作ったものが完売しお金になったということは、驚きであり、初めて味わう喜びでもありました。次の年には、試行錯誤を繰り返しやっと希釈用ドリンク「柚香」を誕生させました。名前やラベルなども部員で知恵をしぼった苦心作です。柚子酢との詰め合わせセット等もお土産に珍重され、この年にはジャム類8000本、希釈用ドリンク5000本の販売量になりました。そろそろ専用の加工施設がほしくなり、加工所建設を目標に、報酬の少ない奉仕作業が続きました。


念願の加工所も完成

 そして3年後の平成元年、県と町の助成を頂き、念願の加工所を建て、設備も整えることが出来ました。わずか20坪ですが、年中いつでも自由に使える施設で本格的な加工活動の始まりです。町長さんもゆずの町で売り出そうと力を入れて下さり、役場、農協、農業改良普及センターのご指導とご協力をいただいて、ストレートドリンク「柚香ちゃん」と大根おろし入りドレッシング「柚子たれ」を新しく商品化することが出来ました。大根は部員総出で休耕田で栽培して適した品種をさがし、加工用の大根の栽培も始めました。今では地域の方々に栽培してもらっています。その後、ゆずゼリー菓子「柚里花」、「柚子シャーベット」、「柚子みそ」と商品を増やし、農協から柚子酢のビン詰め受託を含めると12種類の加工品を作っています。


売上高も2000万円を超えて

 平成2年、この上ない大きな励みになる出来事がありました。ストレートドリンク「柚香ちゃん」が、ふるさと全国食品フェアで農林水産省食品流通局長賞を受賞したのです。役場での表彰状の伝達式には、全員制服の白衣を身につけ出席しました。私は謝辞を述べたあと、今までのことを思い出し涙がこみ上げてきて、皆で苦労したことが報われた思いでいっぱいでした。
 「柚香ちゃん」には、もう一つお話したいことがあります。数年前のことですが、長崎県に住むがんの患者さんが食事は全くのどを通らないのに、1日1本の「柚香ちゃん」だけは喜んで飲まれるというお手紙を頂いたことです。「柚香ちゃん」がお役に立たせていただいているということに感動し、よりいっそう真心を込めて作らねばと気持ちを新たにしたものです。その方には毎月30本を1年余り送り続けました。
 平成3年には、観光名所の一枚岩に物産販売所が建設され、私たちの製品もそこに並べられるようになりました。これまではギフトなど個人宅配中心の販売でしたが、これを機会にお土産用としての商品揃えの必要性を感じ始めました。次第に商品数・内容は充実してきましたが、商品のラベルやパッケージの統一感がなくなっていました。そこで、ラベル、パッケージとパンフレットの一新を平成6年から2年間かけて行いました。思い入れのある商品ばかりなので、色やデザインなど何度もやり直して皆が納得のいくものを目指しました。こうして商品性が向上するとともに卸売り先も増え、売上高も2000万を超えるようになりました。こうなると税金面のことが心配になりだし、きちんと払いたいと思うようになったのです。普及センターヘ相談して、法人や税金の勉強会を重ねましたが、それまでの帳簿付けでは本来の決算書が作れないと知らされました。でも簿記のことは知りません。パソコンを使えば集計してくれるというアドバイスも頂きましたが、ワープロさえも出来ない状態です。迷っていたころ、40代の若い方が新しく入ってくれました。これはチャンスと思い、その方の意向を聞いて思い切ってパソコンを購入したのです。普及センターの定期的な指導をお願いし、帳簿や伝票の改善、タイムカードの導入、規約の作成、給与規定の改善もあわせて行いました。平成8年度から法人並みの税金を納めていますが、パソコンの操作はもちろん、棚卸や売掛金の整理など初めてのことばかり。担当者の夜勤が続き、決算書提出の締切日に何とか間に合わせましたが、この後何度も修正しなければなりませんでした。本当にほっとできたのは、3月に税金を振り込んだときでした。これでやっと安心して加工販売が出来る、社会の一員としての責任を果たすことができたという思いでした。
 私たちは「東牟婁地域農産加工グループ連絡協議会」に加入し、研修会や情報交換会に積極的に参加していますが、私たちと同じように、組合を設立しパソコンを使い出した組織も出来て、同じ志を持った仲間が増え、大変心強く思っています。


ファーストフード店で「ゆずドリンク」売り出す

 この活動を通じていろいろな方々と出会えました。
 地域内の小学校をはじめ、町内の中学校、高校での社会科の授業での見学や作業体験で加工所へ来てくださるようになりました。小学校の生徒さんがあとで送ってくれた手紙の一部にこんな文章がありました。「僕は最初、加工所がどこにあるかわかりませんでした。平井分校に行く時先生が教えてくれました。こんなところにあったのかとびっくりしました。そしてこんな人が働いているんや〜と思いました。」こんな感想が出るのは当たり前です。山の中にある、本当に小さな加工場で、しかも自分のおばあちゃんくらいの人たちがせっせと働いているのですから、驚くのも無理はありません。生徒さんだけではなく、商品を買いにわざわざ遠くから訪ねてきてくださるお客様や見学の方、マスコミの方等、皆さんが口を揃えて同じようなことをおっしゃいます。
 皆さんがそろって驚かれるようなこんな山間の地での加工活動も17年が経ちました。今年の5月に大手ファーストフードショップの(株)モスフードサービスと契約し、6月から南近畿のモスバーガー店(46店舗)で古座川仕立て「ゆずドリンク」の販売が始まりました。原料、工場設備、製造工程など厳しいチェックが何度も行われましたが、私たち婦人部は2年越しにそれら一つ一つに対応してきました。「古座川のゆずを広く知っていただき、多くの方に味わっていただきたい。」という気持ちがあったからこそです。


製品づくりだけでなく古座川の自然も愛してもらえるよう

 現在部員は11人、60歳以上は6名です。一番気がかりなのは後継者の問題でしたが、近年30代、40代の方々が入って下さり、明るい兆しが見えてきました。作業しやすい加工場の建設という将来の夢も芽生えてきました。
 これからも皆様に喜んで頂ける加工品作りに努力を続けていくことはもちろん、お客様へのお便りなどを通じて私たちの町ヘ、里へ来て頂けるような交流活動にも取り組んで生きたいと思っています。そして、製品だけでなく、古座川の自然をも愛してくれるファンになって頂きたいと思っているのです。
 これからも皆様に喜んで頂ける良いゆずや加工品作りを続けていけば、若い方が戻ってきてくれたり、外からやってきてくれることと思います。それを信じて、これからも頑張っていきたいと思います。