「ふるさとづくり2002」掲載
<市町村の部>ふるさとづくり賞 内閣総理大臣賞

ふるさとづくりは共生学校づくりから
岐阜県 山岡町
はじめに(地域の概要)
 山岡町は、岐阜県の東南端に位置し、東は岩村町、西は瑞浪市、南は明智町に接し、総面積60・96km2、東西約14・2km、南北9・2km、町の中央部を東より西へ小里川(庄内川水系土岐川支流)が貫流し、これにそって盆地を形成している。人口は約5600。周りを山に囲まれた小さな村である。山や滝などの景観が美しく、石仏群・古墳・城址などの文化財にも恵まれている。
 気候は、内陸性及び高地性の気候で気温の差が大きい。近年の平均気温は約12.6度、特に冬季の冷え込みが厳しく、最低温度-10度以下になる日が続くこともある。これは地勢の関係から冬期に降雪日が少なく、晴天が続き放射冷却により気温が下がるためである。
 産業面においては、良質な耐火粘土に富み江戸時代からその採掘が行われている。また、前述の気候風土を活用し、細寒天の製造も盛んである。これは、昭和初期に農家の副業として始まり、現在では日本のシェア90%を誇る。


具体的方策
(1)「彩りのある町やまおか」をめざして
 山岡町では昭和49年に「豊かで住みよい町づくり」、昭和57年に「活力ある住民連帯社会/ふれあいのふるさと山岡」、平成4年には「四季の詩/へルシータウン山岡」をそれぞれ町づくりのテーマとして進めてきた。平成13年には『彩りのある町やまおか』をテーマとし、「住んでよかった町づくり」「住んでみたい町づくり」「一度行ってみたい町づくり」を基本方針とし、それを進めるキーワードとして「三世代物語」を掲げた。「三世代物語」とは、親子・家族・地域の方々との活動の中から、「親子の絆」「地域の絆」を深め、様々な物語を作っていこうとするものである。これは、今現在『山岡親子学園』の中で行われていることそのものである。

(2)「山岡親子学園」構想
 「山岡親子学園」の発端は昭和50年代に起きた様々な事件にある。校内暴力・家庭内暴力・いじめ・不登校等がそれである。そこで、山岡町は全国に先駆ける形で昭和51年11月に「教育の町」宣言を行った。この時はハード面の整備が中心であった。そして、20年の時を経て平成8年8月「新教育の町」宣言をすることになる。これは、ソフト面の整備が中心であり、生涯学習と心の教育に力を注ぐ内容になっている。宣言以来、新教育の町推進会議の4部会を中心に地道な活動を続けながら、今までの社会教育・生涯学習に関わる部分の見直しを図り、平成11年4月「山岡親子学園」構想を打ち出したのである。
 「山岡親子学園」のねらいは、学校・家庭・地域社会が一体となって、心のふれあいを大切にした教育をしようとするものであり、いわば地域における「共生学校づくり」と、地域コミュニティの育成をすすめようというものである。目的は、「新教育の町」宣言文の中にある「感謝とやさしさの心」育成=地域社会の行動規範に立った新しい学校像や教育理念を地域のみんなで作り上げ、そして、地域や家庭や学校が子どもたちと一体となって教育を進めていこう=にある。
 以上のように、地域の教育力向上(ふるさとづくり)や子育ての視点をこの「山岡親子学園」一本に絞り込み、町ぐるみで推進していこうとしたのである。


実 践
 山岡親子学園を始めるにあたって、最大の課題は教授(山岡親子学園では、地域の先生方のことを教授と呼ぶ)の確保であった。教育委員会はもとより、町職員の知り合い、噂の名人等々、情報を得た方々や各団体の長にはとにかく電話でお願いをしていった。また、学校へ出向いたり現地に子どもたちを呼んだりしてふるさとを学ぶ時間を設定し、町長を筆頭に教育長や各課の課長は全て教授とした。さらには、教授の方自身が知り合いを連れて来て、その方が教授となった事例も生まれてきた。現在では、200名を超える教授陣を擁している。
 年度別の実績を簡単に紹介する。平成11年度は9プログラム45コースでの出発となり、1年間の参加延べ人数は7163名であった。町の人口が約5600ということを考えれば、上々の滑り出しだったと考える。平成12年度は「定着と還元」をテーマに、8プログラム58コースで実施した。1年間の参加延べ人数は6708名であった。人数減となった原因は、体験的な活動のマンネリ化が挙げられる。そこで、平成13年度は「広がりと還元」をテーマに、新設のサタデータイムを含む7プログラム74コースで実施した。1年間の参加延べ人数は1万573名であった。
 さて、平成14年度は「つながりと還元〜未来へ向けて!〜」をテーマに掲げ、迫ってきた町村合併を睨んだものとし、学園の再構築を図った。刷新された山岡親子学園は、三つの柱と一つの基盤がある。それぞれについて具体的に述べる。

【親子タイム】柱の<1>
 全町民が対象。平成14年度からは町村合併も睨み、恵南地区5か町村全てにも広く門戸を開いた。様々なことに挑戦したりふれたりする、体験活動が中心のプログラム。平成11年度の学園開校以来続けてきたプログラム。コース設定の際には、山岡町独自のものやこの地方(東濃地域)の歴史・風土を体験できるものを多く取り入れるようにした。親子、またはおじいちゃんおばあちゃんと一緒の参加が基本。(例外あり。独身男性が将来自分の子どもができた時にと、単独で参加したこともある)
 (1)チャレンジ(2)学習(3)スポーツ(4)カルチャー(5)三世代物語支援(6)ふるさと(7)パフォーマンス(8)どんなことでも相談(9)トラベルの九つのプログラムに、町特産の細寒天を使った「ふるさと料理」、町長自らが町内を案内する「ふるさと巡り」等80のコースを開設した。

【サタデータイム】柱の<2>
 平成13年度新設。小学校3年生〜中学校3年生までを対象とし、縦割りで継続的な活動を行う講座。この時間を設置した意図は、1回限りの体験的な活動のマンネリ化打破と、『完全学校週5日制』ヘの対応準備であった。一つのことを続けることで、子どもは自分の力を発揮できたり、その活動の良さが分かったりできる。また、縦割りにすることで子どもたち同士のつながりも広がると考えた。
 設立の発端は、山岡親子学園への中学生の参加が少ない、毎週土・日が休みになると小・中学生はいったいどうなるのか? という平成11年度の振り返り(評価)にある。そこで打ち出したのが、小中学校の土曜日の授業を使って実施するサタデータイムであった。平成12年度は、小・中・教委及び教授・新教育の町理事と論議に論議を重ねた年であった。論点は大きく5点あった。1点目は、子どもたちが本当に参加したいと思うようなプログラムをいかに作りだすのか。2点目は、小・中縦割り集団のため発達段階の違いをどう補うのか。3点目は、授業として実施するため評価をどうしていくのか。4点目は、小・中の日程調整及びバス運行計画など細部に渡る問題をいかに解決していくのか。5点目は、教授の確保である。(私感だが、こうした論議がふるさとづくりの原点であるような気がする)
 結論、スポーツ・国際理解&情報・地域&芸術・環境・特別講座の五つのジャンルに14のコースでスタートした。年度末のアンケートでは、88%の子が良かったと答えた。平成14年度は、スポーツ・文化・環境の三つのジャンルに、山岡独自の踊りアンジャレや環境学習などの20コースを開設した。

【フロンティアタイム】柱の<3>
 平成14年度新設。小・中学生全員を対象とした講座。子ども自身が持つ才能を伸ばすための時間。言い換えれば、個性の伸長を主眼とした専門講座。これも、サタデータイム同様論議を重ねたが、今回は、子どもたちのアンケート結果も参考にしながら、PTAとの話し合いも持った。
 結論、スポーツ・文化・各教科の三つのジャンルに、「インラインスケート(陸上)」コース、国語や算数・数学・英語等の知識的な力を伸ばす「山子屋」コースなどの6コースを開設した。この山子屋コースの特徴は、山岡町出身の現職教員及び教員OBが教授になっていることである。現在200名程の子どもたちの参加がある。

【SK学習】基盤
 親子学園を支える基盤。Sは生活、Kは教科の略。生活面や学習面の基礎基本徹底を主眼とし、小・中学校教育の中で日常的に実践するもの。具体的には、町単独で補助教員(6名)を雇用しその徹底に努めている。


おわりに(地域の方の言葉)
 ふるさとづくりは物を作るばかりではない。人づくりも大切なポイントだと思う。山岡町では、共生学校を作ったことにより、世代を越えた絆が生まれつつある。ある方の言葉を紹介してまとめとしたい。
 『サタデータイムの始まった頃は私に対する中学生の態度が気になった。だから、やってる方もつまらなかった。でも、回を重ねるうちに態度も段々と良くなり、やる方も嬉しくなってきた。やっぱりふれ合いが大切。ちょっと出会った時もあいさつができるようになったし、嬉しくていい関係になっている。』