「ふるさとづくり2001」掲載
<集団の部>ふるさとづくり振興奨励賞

うこぎ垣の保存と利用による地域の活性化
山形県米沢市 米沢生物愛好会
 上杉氏の城下町として知られる米沢市。江戸時代から残る家屋敷を囲う「うこぎ」は、食用としても好まれてきたという珍しいもの。このうこぎを使った「うこぎ垣」を保存・継承する活動を行っているのが「米沢生物愛好会」(代表・石栗正人さん、メンバー・103人)である。


マップやフェスティバルで市民にPR

 うこぎの仲間には朝鮮人参やうど等があり、いずれも食用や薬用として利用される。わが国にはうこぎ属が7種知られているが、米沢のうこぎは平安朝時代に中国大陸東北部から輸入されたひめうこぎ。葉や根が薬用・食用として優れていて、さらに低木で幹や枝に棘があることから生垣にも利用された便利な植物である。かつては各地で栽培されていたはずだが、いつの間にかうこぎ垣は全国から姿を消していき、同会が調査したところ米沢ほど残っている地域はなかった。うこぎ垣がなぜ米沢にたくさん残っているのかというと、1.米沢の気候風土がひめうこぎの栽培に適している、2.江戸後期に藩主上杉鷹山公がうこぎ垣を奨励した、3.米沢人はうこぎの風味を愛し貴重なビタミン源として利用し続けてきた等があげられる。
 だが、その米沢でも都市化が進み人々のライフスタイルが変化してくると、うこぎ垣は急速に減少していった。これを憂慮した同会は昭和60年頃から保存・継承の活動を始めた。市内を歩き回りうこぎ垣マップを作成。うこぎの重要性について市民に知ってもらうためフェスティバルを開催し、うこぎ料理を振る舞い、行政にも働きかけ市広報などで宣伝した。
 同会が投じた一石が大きな波紋となり、その後、行政・民間団体によって苗が配布され、うこぎ垣が増加してきた。そのうこぎを用いて市内食品業者がうこぎ茶やうこぎ麺などを販売するようになった。さらに市内小学校にうこぎ垣がつくられ、理科の教材・給食の材料として利用されるようにもなっている。
 よく知られている「為せば成る 為さねば成らぬ何事も」の名言は鷹山公が残したもの。困憊した米沢藩を節倹・産業奨励・荒地開墾・行政の革新などによって再建した鷹山公の精神は、同会によって平成の世に受け継がれたのである。