「ふるさとづくり'01」掲載 |
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞 |
手作り仲間が集い、生活を豊かに“アトリエマーケットNPO” |
奈良県田原本町 特定非営利活動法人 アトリエマーケットNPO |
阪神大震災で被災して奈良県田原本町に移り住んだ永島庸、力也夫妻は、平成11年、仲間とアトリエマーケットを設立。震災経験からボランティア活動などの在り方を再考し、身近な問題から社会に貢献できればと始めた事業、「アトリエマーケットNPO」が、平成12年、特定非営利活動法人に認証された。 地域活性化で手作り・物作りの大切さ伝える 阪神大震災で生活基盤を消失した永島さん夫妻は、奈良県の田原本町にある稲荷平野神社の社務所を住いに提供された。この地で、震災の経験から身近なボランティア活動で社会貢献ができればと、平成11年3月、手作り仲間とアトリエマーケットを設立した。 同年5月、「第1回アトリエマーケット」を開催した。廃材で作った椅子やテーブルなどの展示即売会には1,000人が参加。新聞社も取材にきた。7月の「野外コンサート」は、村おこしの一端を担えればと、自宅横の空き地を借りて開き、プロの音楽家たちが協力してくれた。また、暮には、桜井市の小学校に招かれて、家庭教育学科で木の温もりや木と触れ合う楽しさを話した。 12年1月、「丸山祐一郎さんと遊ぶ1日」は、参加者も空き缶で作った楽器(水カンリンバ)で演奏するなど、親子で500人が参加。また、廃材での木琴作りや手作り作品も展示された。そして2月、奈良県から特定非営利活動法人(NPO法人)に認証され、3月、「NPO認証を祝う交流会」を開き、廃材を扱う人や、古着・古紙などのリサイクル仲間50人が参加して親睦を深めた。 4月、田原本町主催の「さくら祭り」に参加して廃材家具などを展示した。また、「第2回アトリエマーケット」を開き、手作り作品やリサイクルに取り組む人たちで50店舗を出店し、2,000人が参加。売上金の内から10万円を、アメリカで心臓手術を受ける「かほちゃん基金」にカンパした。 5月、「老人と子どもの音と絵で遊ぶ、ひなたぼっこ」を開く。老人福祉ボランティアグループ「コスモスの会」の協力で、老人ホーム入所者と近所の子どもたちが、永島さんの家で演奏会や紙芝居で交流を深めた。核家族が進むなか、最初はとまどっていた子どもたちも、次第に打ち解けて演奏したり合唱したりで楽しい1日を過ごした。 鋸・金槌・電気ドリル…も、子どもがスイスイ 6月、「トトロの森で子どもも出来るリサイクル・アート展」は、通称トトロの森と呼ばれる稲荷平野神社と隣の休耕田を借りて、身近に出来るリサイクルの実践指導を行った。間伐材の生竹でマグカップ、新聞広告やチラシでハガキ、廃油で石鹸、古着の端切れでお手玉等を作り、流木・廃材でイスやハンガ―等を作る実演をした。参加者は500人。 7月、田原本町子供会「手作り教室」は、公民館で小1〜6までの45人が参加。夏休みの自由研究を兼ねた廃材・端材による木工教室は、現役の大工さんたち6人の会員が講師となった。日常、鋸や金槌、電気ドリルなど使ったことのない子どもたちは、初めは恐々としていたが、慣れると講師顔負けの作品が出来あがり、「今時の子どもは…」「危ないから…」「場所や時間がないから…」――と、大人たちが情緒教育に必要なものまで取り上げてしまっているのを会員たちは実感した。 8月、「トトロの森に夢の演奏家来たる!チャリティコンサート」は、音楽家の丸山祐一郎さんやオカリナ奏者、CM作曲家等プロのミュージシャンらがボランティアで協力、300人が参加した。この催しは、理事長・永島さん宅での工房にはスペースに限度があるため、より広い工房を作る必要上からチャリティコンサートとして開いた。 また、「近鉄百貨店上本町店に廃材作品展」を出展。障害者施設「たんぽぽの家」主催の「エイブルアート」に参加したり、「流木でクリスマスツリー作り」、TBSテレビ「ときめきマイワーク」に出演したりと、きめ細かく多彩な活動を年間を通して展開した。 13年2月、「流木・廃材で遊んでみよう、作ってみよう」は、大規模なワークショップで、奈良県立高等技術専門校の体育館を借りて開いた。50人余の木工の専門家も手弁当で指導に当ってくれた。この企画は「今、子どもたちが求めているものは?」「子どもと一緒に工作を!」――の趣旨で、今日の子どもたちに必要なものは「テレビゲーム」ではなく、「りんごの皮むき」であり、手と身体と頭を駆使して汗をかき、物を作る喜びを父や母、祖父や祖母らみんなと一緒に体験することに狙いがあった。 今年の活動は現在進行中だが、始めた当初は主婦数人の集まりだった。それが2年余で会員数300人に及ぶNPO法人に成長した。知恵を絞り、仕事の合間を縫って企画やイベント、広報、実践と走りまわって気が付くと、会は大勢の暖かい笑顔で満ちていた。 |