「ふるさとづくり'01」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

絵画の道づくりを目指して
茨城県水海道市 ギャラリー絵の里芸術の泉友の会
 地域おこし、あるいはまちづくりなどといった考えは微塵もなかった。ただ、大好きな絵を飾り、道行く人に見てもらいたい、そんな気持ちで1人の女性画家が、平成11年12月、水街道駅前で自作の油絵を飾り「ギャラリー絵の里」をオープンした。
 そして、ギャラリーを利用する愛好家や商店街役員が集まり、平成12年4月「ギャラリー絵の里芸術の泉友の会」を結成した。
 同会は、ある日、商店街の様々な表情をモチーフに写生会を開催したところ、市内外から予想外の参加者があり、これが刺激となって、商店街の人々の間に自然と「絵画」への関心が高まっていったのである。 その作品を、イーゼルに飾って道行く人を楽しませている。
 また、自宅秘蔵の絵画をショーウインドウに飾り、それが連鎖的に広がって、商店街全体がギャラリーのように生まれ変わった。
 この状況を、わざわざ遠方から見にくる人もあり「シャッター通り」などとやや自嘲気味に言われた商店街に、ささやかながら活気が戻った。今、車社会への対応の遅れから、全国的に旧商店街の地盤沈下が問題視されているが、ここでは「絵画の道」通りと名付け商店街は活気にあるれている。


ギャラリー絵の里開設

 昭和20年代、30年代の水街道は、この地方商業の中心地であった。特に、駅前通りとTの字に交差する大通りの宝町、これに隣接の栄町、諏訪町商店街は、周辺町村からの買い物客で賑っていたのである。
 しかし、現在その面影はなく、取手、守谷といった周辺地域が、東京のベッドタウンとして急激に都市化したのと裏腹に、旧態依然の商店街で、周辺の発展から取り残された状態である。駅前通りの人影も絶え、シャッターを降ろした空き店舗が目立ち、商店街は、まるで倉庫街のような印象を与えていた。
 何より、商店街の人々自ら「この通りは見捨てられたも同然、ご覧の通りのゴーストタウン、何をやっても駄目だ」と、諦めたように語る姿がたまらなかった。
 埼玉県草加市で絵画教室を開きながら、芭蕉の「奥の細道」を辿り、芭蕉の心を絵画に表現すべく、励んでいた女性作家が、平成11年9月、実家の都合で30数年ぶりに、水街道に帰ることになったが、郷里の商店街に昔日の面影はなかったのである。
 そこで、駅前通りの寂れは、車社会から取り残されたためではないか。ならば、車から降りて、歩く通りにすればよい。そして、ひらめいた着想は、駅前にギャラリーを開くことだった。早速、駅前の一番目立つ角に20数坪の空き店舗を借り、自分の絵画、書道教室に使用するほか、プロ、アマを問わず作品展示会場に無料開放することとし、「ギャラリー絵の里」をオープンした。
 オープン当初「どこの馬鹿が始めたのか」などの陰口も聞いたが、しかし、子どもや大人の生徒が次第に集まり、今では隣町から電車で通う生徒もいる。作品展示会場も切れめのない利用状況である。それから、日頃ギャラリーを利用する絵画、書道、彫刻愛好家、地元商店街役員ら60人で「ギャラリー絵の里芸術の泉友の会」を結成した。
 同会最初の企画は、平成12年8月に開催した写生会である。衣料、果物、食品店、食堂、旅館等商店街の様々な表情を、油絵、水彩画に表現する試みで2日間開き、市内外から延べ100人を超える参加者が各所で、思い思い、街の表情を描いた。1人で2点完成の人もいて作品は120点に達した。
 その後、駅前通り商店街30か所にボードを設置し、作品を展示した。各ボードの前には、大勢の見物人が集まり作品に見入っていた。この光景を見て、絵画を常設展示することで、商店街に客足が増えるかも知れないと直感し、草加時代教室で使ったイーゼル20脚を用意し、協力を約束した商店に一脚ずつ立て、写生会の作品を展示した。
 これは、非常に好評を博した。「今まで通行人は、素通りだったが、絵を見て、店の中を覗き、中に入り品物を手にするようになった」と、喜びの声があちこちに上がった。
 この活動は、県庁にも聞こえ、県商工労働部長の講演や対話集会を開くに至った。


「絵画の道」誕生

 それから、同会と地元商店街の間で駅前通りを「絵画の道」と名付けることが決まり、今年3月3日、誕生会と開通式を行った。駅前広場で、県知事代理、市長、県議、商工会長らによるテープカット。市内小学校の鼓笛隊100人を先頭に、一般参加者を合わせ500人が商店街を行進、誕生を祝った。
 一方、大人、子どもそれぞれが150号キャンパスに合作の写生を行い完成した。題して「飛翔」。絵画の道の目玉として展示している。現在、店先を飾るイーゼル数120脚各店自主管理下で絵画の彩りを添えている。