「ふるさとづくり'01」掲載
<企業の部>ふるさとづくり賞 内閣総理大臣賞

誰もが暮らしやすい社会づくり
大分県別府市 ホンダ太陽株式会社
障害を持っていても同じ人間同士

 「心身に障害はあっても仕事に障害はない」と唱え昭和40年、大分県別府市に社会福祉法人太陽の家を設立し、わが国における「福祉」の先駆的存在であった、故・中村裕博士。その博士の考えに共感し「ホンダもこういう仕事をやるんだ!」と叫んだ、本田技研工業の創業者、故・本田宗一郎。この2人の心がホンダ太陽株式会社を生んだ。
 本田技研工業の特例子会社として昭和56年に設立された当社は、重度の障害を持った人たちの雇用の促進と職域の拡大を目的に平成7年5月に別府市に隣接する日出町に日出工場を建設した。現在、別府・日出の両工場で162名の従業員が在籍し、うち重度71名、軽度32名の合わせて103名の障害を持った人たちが共にホンダの2輪車・4輪車などの部品組立てや福祉機器の研究・開発を行っている。
 当社の基本理念は「何より人間―夢・希望・笑顔―」であり、これは障害を持っていても同じ人間同士として認め合い、共に暮らすことのできる社会を目指す「人生に障害はなし」を表わしたものである。


「地元が誇ってくれる会社」目指し

 日出工場の建設に当たり、テーマとしたのは「緑に囲まれた潤いのある公園工場」である。それを展開する上で“人・自然・地元”との3つの調和を揚げた。このうち、特に「地元との調和」については地元に誇るのではなく「地元が誇ってくれる会社」を目指し、これを具現化して行った。つまり、当社が地元(社会)と共に何ができるかを考えることから初めた。地元のために何かをやってやるのではなく、一緒にやれることをやろうと提案して行った。
 平成7年の工場竣工時に真先に気にかかったのが28世帯しかない田舎の地域に、工場に隣接する住宅に、単身が中心とはいえ40世帯の重度の障害を持った人たちが転居してくる。果たして大丈夫だろうかとの懸念が生じた。そこで竣工式の前に地元の人たち28世帯全てに声を掛けて工場を案内したところ65名の人たちが来てくれた。食堂で懇親会をやっていたら、いつの間にか半数近くが居なくなっていた。帰ったかなと思っていると隣のカラオケルームで従業員との合同カラオケ大会が始まっていた。その日以来、今日まで6年間も毎週第4金曜日には合同カラオケ大会が行われ、すっかり地元の恒例行事となっている。
 また、地区の公民館も地域の人たちが自らスロープを作ったり、トイレを車椅子でも使用できるように改良するなど、住民として認め合い接している。また、工場竣工を期に始まった夏祭りも、当社が主催してやるのではなく、会社と地域の婦人会の人たちが共催して、地域の活性化を図る目的で開催しているが、今日では単に祭りをやるのではなくスポーツや文化活動の紹介なども含めた幅広いイベントとして日出町全体を巻き込んだ行事となってきた。
 当社には障害を持つ人たちのスポーツ活動を推進する目的で車椅子マラソンを中心とした公式陸上部がある。昨年のシドニーパラリンピックの銀メダリストも在籍し、各方面で目覚しい活躍をしている。大きな大会に出場する前には地元の人たちも一緒になって工場の広場で壮行会を実施するなど、会社の代表であると同時に地元の代表であると区長さん以下の皆さんが応援をしてくれる。もちろん日出町も、町長さん初め多くの町民の方々がまるで自分のことのように喜んでくれる。町内広報にも積極的に取り上げるなど、町を上げての応援ぶりである。選手が近くの練習場で練習していると声を掛けてくれたり、差し入れをもらうなど、住民の皆さんの心温まる気持ちに選手たちの志気も高まってくる。また、文化活動においても陶芸や手話教室などに地元の人たちが参加するなど、地域のコミュニティの場として、工場のみならず多方面で真に地域そのものとなっている。


バリアフリーではなくユニバーサルデザイン

 世の中ではバリアフリーという言葉が主流になっているが、現在、当社で行っているのは「ユニバーサルデザイン」という考え方である。「ユニバーサルデザイン」つまり人を分けるのではなく、同じ物、一つのデザインで全ての人が共通して使える環境づくりである。階段を作って隣にスロープを作るのではなく、最初から全体を緩やかなスロープにする。そうすることにより、誰でもが同じスロープを行ける。車椅子用トイレを特別に作るのではなく、車椅子の人でも使えるようなトイレを作るといったことである。バリアフリーは、障害を持った人や、お年寄りなどのために「特別に何かをする」ことであるが、そうではなく、誰でもが共通して使える物を作ることが今後は大事になるであろう。こういったものを地元を中心とした小学校や中学校などの社会見学・体験学習を通して子どもたちに伝えている。実際に車椅子に乗り、障害を持った人たちと直接、いろんな話をする。「障害を持った人もいるのが当たり前の社会である」ことを体で感じてもらっている。彼らが成長した時に障害を持った人を特別視することのない世の中を目指して。
 また、日出工場には竣工以来諸外国からも多くの人たちが視察に訪れているが、障害に国境はなく国が違っても同じ人間として認める。障害を持った人たちが活き活きと生産活動に従事する姿は一つのモデル工場として特に、アジアを中心とした国々にも少なからず影響を与えている。一例として、平成8年より実施している韓国の障害を持った人たちの工場との年2回の従業員派遣交流が揚げられる。
 また、これは他の地域ではあまり行われていない例だと聞いているが、当社を含めた近隣の企業6社と地元の人たち、小学校と日出警察署の4者が一体となって交通事故防止の活動を定期的に行っている。具体的には、春・秋の全国交通安全運動期間中、共同で街頭での交通安全の呼びかけと定期的な会合の実施、交通のヒヤリハット地図の作成などである。


地域との共同した取り組みに

 環境面に於いても平成12年11月、国際環境規格であるISO14001を認証取得し、環境保全活動にも積極的に取り組んでいる。環境問題は当社のみで取り組むのではなく地域も一体となって推進することが重要である。工場の緑化も地域の環境の一部と捉えている。誰でもが工場敷地内を自由に散策できるよう、門もフェンスもない。こうした地域と一体となった緑化の取り組みが評価され、平成13年度の全国緑化優良工場等通産大臣賞を受賞した。
 さらに平成13年3月に導入した生ゴミ処理機の地域との共同利用があげられる。工場から出る生ゴミの他、地元から排出される生ゴミも受け入れ、地域全体からの生ゴミゼロを目指した活動も開始している。これにより処理された物は堆肥として利用され工場内の樹木に還元されたり、地域の人たちが持ち帰ったりしている。
 日出工場では障害を持った人たちがアウトドアライフを積極的に楽しんでいる。このように障害を持った人たち、特に車椅子の人たちが街に出て行くことにより街全体が変わっていく。それは彼らを障害者として見るのではなく「お客として見る」こと、消費者として見ることが大事であることを語っている。1人の人間として当たり前に接する姿がそこにはある。
 これ以外でも大分県と一体となった「新しい大分の産業づくり(地方振興)」も福祉という立場から委員として参画するなど、その活動は数え切れない。
 こうした社会活動は当社の「社会の発信」という大きな経営理念に基づいたものである。冒頭でも述べた、中村博士の言葉、本田宗一郎の「夢に向かってチャレンジする」姿勢、これを受け継ぎ障害を持った人たち、自らが社会を変えていくことが真の福祉社会、つまり全ての人が、人として、人らしく生きる社会の実現に繋がると信じている。
 誰でもが暮らしやすい社会づくりを目指して21世紀も私たちのチャレンジは続いていく。