「あしたのまち・くらしづくり2015」掲載 |
あしたのまち・くらしづくり活動賞 内閣総理大臣賞 |
高校生と共に歩む町民駅中心のまちづくり |
山形県川西町 特定非営利活動法人えき・まちネットこまつ |
1.女子高生立ち上がる 平成17年、町の財政再建計画が町報に掲載され、町民駅を管理する町民駅業務管理組合の廃止計画があることを地元の置賜農業高校「えき・まち活性化プロジェクト」のメンバーが知った。彼女たちは、課題研究で地域活性化に取り組む12名のチーム。「業務管理組合の廃止は駅の無人化につながる。」こう判断した高校生は、有人駅の存続を訴える活動を平成18年4月から開始し、この活動は10年間もの長きにわたり代々受け継がれ現在に至っている。 まず1年目、彼女たちが取り組んだことは農業高校の生産物や加工品を販売する直売店を駅前で開催し、住民に対して「有人駅の存続」や「その必要性」を訴える活動を始めた。さらに駅周辺の美化活動や駅前通りの花いっぱい運動に取り組み、新聞等マスコミにも取り上げられて、住民からの激励や共鳴の声がたくさん寄せられるようになった。 そして2年目。毎週土曜日開店の駅前産直は定例化し、このことに着目したJR米沢駅から、イベント列車でのおもてなし等の要請が舞い込む。さらに、有人駅の必要性を訴える「えき・まちフォーラム」を開催し、180名もの町民が来場して有人駅存続の機運が高まる。以上の取り組みが町当局を動かし、町民駅存続に向けた「町民駅利活用促進検討委員会」が設立された。 2.高校生と住民のコラボレーションがスタート 3年目を迎えた平成20年、活動は加速する。東京都中野区のまちづくりNPOが川西町町長の紹介で来町し、高校生のまちづくり活動発表を傾聴し感銘を受けた。その中に、東京学芸大学教授の小海紀美子氏も出席し、彼女は自らが理事を務める住宅総合研究財団の活動発表会に推薦した。その結果「第9回住まい・まち学習実践報告・論文発表会」での発表が実現し、高校生のまちづくりに関する取り組みが全国から称賛を集めた。また、第2回を迎える「えき・まちフォーラム」には全国から200名を超える来場者が集まり、このフォーラムを機に、高校生と住民のまちづくり団体「えき・まちネットこまつ」の設立準備委員会がスタートした。 また、この年からまちなか活性化事業としての朝市開催や、駅から高校までの通学路を青春ロードと名付け、約1.2キロを花で飾るフラワーロードも住民と一体化した形で実現した。高校生の活動が住民に波及し、住民主体のまちづくりや地域活性化が浸透し始めた。 さらに、高校生の活動は産業振興分野にも発展し、地元の在来野菜紅大豆を活用した3色大福「みつ福」の市販化にも成功して、大きな話題を集めた。 3.有人駅の存続決定と観光甲子園グランプリ 4年目。「乗車駅としての役割だけでは住民全体の協力は得られない。」という総括から高校生が新しく取り組んだのは「コミュニティの拠点としての駅」つまり「町民駅を中心としたまちづくり」であった。まずは、住民が駅舎内で憩える場所を提供する「和Cafe」を創設。駅舎内で歌声喫茶や囲碁将棋を開催する「憩いの停車場」などコミュニティの拠点活動を展開した。また、動物駅長としてヤギ駅長こ〜ま君を誕生させ、テーマソングも作成して、駅の注目度が一気に向上した。 そして5年目は、有人駅の存続が決定した。平成22年2月に任意団体えき・まちネットこまつが誕生。同年4月から会員約200名を集めた住民団体は、町民駅の業務を町から受託され、3名の職員を雇用する形で有人駅が再スタートを切った。 この年、この駅を全国に紹介するビッグニュースがあった。駅を起点にまちなかを巡る観光プランが、全国高校生観光プランニングコンテストで最優秀賞グランプリに輝いた。川西町が直木賞作家で劇作家でもある井上ひさしさんの生まれ故郷であることに着目した彼女たちは「井上ひさしの故郷を歩く」というテーマの観光プランで、見事日本一に輝いたのである。この観光プランは今でも後輩に引き継がれ、JR東日本の「高校生おススメの駅からハイキング」として商品化されている。さらにこの年は、産業振興第二弾として「冷やしておいしい3色大福百恋(ひゃっこい)」も発売され、注目を集めた。 4.駅前通りの活性化に取り組む 5〜7年目。高校生と住民の公益団体として歩み始めた当法人のテーマは「町民駅中心のまちづくり」。その第一弾は駅前通りの活性化だった。シャッター街化が進む駅前通りの空き店舗をリニューアルして高校生と若者のチャレンジショップ&まちなかCafeを開店。さらに向い側にはまちなか交流プラザも開設した。さらに、秋には駅前通りの歩行者天国も開催して、現在では町の産業フェアと一体化したビッグイベントにまで成長している。さらに、駅前夕市やサンセットコンサートの開催、七タフェスタ、冬の駅前イルミネーション、雪まつりなど年間を通した賑やかしの事業開催等、駅中心のまちづくりは軌道に乗ってきている。 そして、8〜9年目は、次世代育成と新しいまちなか巡りの創設である。小学生を中心にした地域の宝探しと継承講座は踊り、ペーパーダリヤ、わら・つる細工、絵手紙、昔語り、郷土料理におよび、延べ500名以上の子どもたちが受講した。また、講師は高齢者等の大人世代、さらに高校生もシニアリーダーとして中心的な役割を担い、異世代が交流する地域活性化のモデルが出来上がりつつある。さらに、踊りのメンバーが町の花ダリアを冠名したダンスチーム「ラダリア」を結成し、大きな注目を集めた。また、新しいまちなか巡りも完成した。明治11年(1878年)に、英国人女性旅行作家イザベラ・バードが横浜から日光、新潟、山形を経て北海道までを旅した旅行記「日本奥地紀行」は近年注目されているが、高校生はこの旅をもとにしたまちなか巡りをプランニングした。テーマは「イザベラ・バードのセカンドタイムトラベル」。バードが米沢を中心とした置賜平野を「東洋のアルカディア」と称賛した諏訪峠古道や、宿泊したといわれる金子邸を中心に往時をしのぶまちなか巡りは、先に完成している「井上ひさしのまちなか巡り」と共に、観光客の定番になりつつある。 このような活動が認められ、平成26年3月には新駅舎も完成。越後街道の宿場町でもあった本町にふさわしい新駅舎は、駅中心のまちづくりの象徴としてJR東日本の機関誌でも紹介された。 5.高校生から住民有志へ、そして地域創生へ いよいよ10年目を迎えた「高校生と共に歩む町民駅中心のまちづくり」は、大きな発展をみることになった。平成26年度、総務省の過疎対策事業として認定を受け、まちなか交流プラザの2階を、地域生活サポートセンターとして整備し、駅前通りに新しい住民拠点が完成すると共に、従来の1階フリースペースを活用した様々な住民や若者の研修講習は50回を超えた。地元の宝物を首都圏に紹介し、農村と都会の交流を促進する事業もスタートし、交流による産業振興の芽吹きも生まれた。 その事業がさらにバージョンアップした形で27年度も継続される。総務省の過疎地域支援事業である。この事業は四つの内容に集約され、一つは情報受発信事業。つまり地域コミュニティライブスペースの整備と運営、さらに地域情報動画サイト発信を目的とした事業である。これは空き店舗の一部を活用した地域コミュニティライブスペースを整備し、情報の受発信センターとしながら、「まちなか旅レシピ」などリアルタイムな地域情報の動画サイトを制作、発信するという内容でSNS活用の情報発信を目的としている。二つ目は人材育成事業。ものづくり講座・リーダー養成講座及び視察研修・小学生講座によって次世代育成を狙う。三つ目は、まちづくり事業。拠点施設整備と運営・大学と連携した景観づくり・エコ&まちカフェの運営を目指す。四つ目は、交流事業。観光交流や農都交流、まちなか回遊と整備などを目的に、町内一の観光地ダリヤ園とまちなかの観光客回遊を目指す。 以上のように、高校生の駅に対する純真な思いからスタートしたこの取り組みが、住民有志のモチベーションとなり、高校生と住民が一体となったまちおこしにつながり、今、地域創生のレベルまでバージョンアップしようとしている。 この10年間の取り組みは、高校生が先輩から後輩へとたすきをつないできた活動であり、次世代の主役たる若者が地域の課題解決に向けて息長く継続してきた所産でもある。さらに、その若者の気概や取り組みを真摯に受け取った大人が、サポートだけでなく共有や協働の取り組みにまで発展させた結果、住民の自治意識醸成や数々の活性化事業への発展実現へとつながり、駅舎改築まで実現した。 地方の疲弊や衰退は一朝一夕には解消しない。しかしながら、若者の熱い意識や行動、さらにはそれを育み共に歩む大人、それらの組織化や意識の共有がある限り、地域創生は必ず実現するという好例がここに存在する。 |