「あしたのまち・くらしづくり2013」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

釜ヶ崎芸術大学―釜ヶ崎のまちで、出会い、学び、生きてゆく―
大阪府大阪市西成区 特定非営利活動法人こえとことばとこころの部屋
 NPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)は、大阪市西成区の通称「釜ヶ崎」地域に拠点を持つ。商店街の中に「インフォショップ・カフェ ココルーム」と「カマン!メディアセンター」をひらき、訪れる人々と表現の機会をともにすべく活動している。
 一般的に表現といえば、個人の思いを、その人が持つ技術によって表すことがイメージされるが、ココルームでいう表現はそのようなものに限らない。
 その場をともにする人と正直に向き合い、相手の思いに耳を澄ます。それを受け取った自分の心をまた見つめる。そのような関わり合いの中で、自分の思いを表す、それを受け止めて反応を返す、あるいは自分の中に起きた変化を黙って見つめる。そうした態度をその都度、誠実に選んでいくこと。そのひとつひとつを表現と考えている。
 日雇い労働者のまちとして知られる釜ヶ崎には様々な背景をもった人が集まる。多くの人が、その背負った事情から、生きるなかで選択の機会を奪われてきている。このまちの人たちと一緒に、先述のような表現を探っていくことに大きな意味があるのではないか。そう考えて模索を続けている。

 そうした考えから、ほぼ年中無休でカフェやメディアセンターを開き、大小様々なイベントをやはり毎日のように行なってきた。6年が経過するなかで、まちの変化を感じた。
 これまでマスメディアが暴動などを取り上げてきたために「危ないまち」のイメージが強かった。誇張や歪曲があるにせよ、これは確かにまちの一面を示すものだったが、今ではそのようなある種の活気もない。全国的な現象である高齢化が、このまちでは極端に進行しているからだ。全国の高齢化率が23%であるのに対して、西成区では34%(2010年)。釜ヶ崎ではそのほとんどが単身の男性である。一足先に超高齢化社会を迎えているこのまちでは、暮らす人々の行動範囲が非常に狭く、0.62平方キロメートルといわれるあいりんエリアの中だけで過ごす人が少なくない。ココルームが拠点を置く商店街はその端にあり、日常的に足を運ぶには遠いのだろう、年々人通りが少なくなってきた。
 これまでアーティストや識者を招いてワークショップや様々な講座を開いてきたが、定期開催であってもその頻度は多くて月1回。身体が衰え、不安定で先の見えづらい生活をする高齢者にとって、1ヶ月先は遠すぎる未来だという声も聞いた。
 そこで、まちの中心部のあちこちで、より集中的な日程で。そんなまちの要請に応えるべく企画したのが「釜ヶ崎芸術大学」だった。
 それ以前にもメディアセンターで「釜ヶ崎大学」と題して、研究者や学生を講師に招き、話を聞く会をひらいてきた。大学に行くという選択がはじめからない人生を送ってきた人が多いが、不思議なことにこの名前に対して好意的な反応が多かった。集い、学ぶことの魅力を信じて、より広がりのあるイメージを求めて「釜ヶ崎芸術大学」と名前をあらため、3ヶ月間で42コマの授業を企画した。分野は「哲学」「天文学」「音楽」はたまた「ファッション」「感情」と幅広い。場所はまちの中心部に近く、地域の人にとって馴染みのある3施設を使用させてもらった。広報はいつもと変わらず、まちで会う人に地道に声をかけ、まちの人が集うことの多い施設などにチラシを置いた。敷居を下げるため、また連絡手段を持たない人も多いので予約は不要。これもいつものことだが、やってみるまで参加人数の予測もできない。

 不安だらけで迎えた開校だったが、初日から20人以上の参加があった。それから連日の授業に休まず通う人も多く、授業態度も真剣そのもの。「哲学」では熱く議論を交わし、「書道」では書に集中して場が静寂に包まれる。疑問があれば納得がいくまで質問し、講師やほかの参加者に対して面と向かって批判的なことを言う人もいた。飾らず、物怖じしないその姿勢に、スタッフとしてはハラハラすることも多かった。それは「アクシデントが起きたらどうしよう」という不安でもあり、不慣れな状況への戸惑いでもあった。私たちが経験する学校の授業では、そういう状況に出会うことはあまりなかったように思う。しかし学びとは本来、一方的な話を聞くことではないはずだ。実際に教育の場ではそのような反省から、学生が主体的に考えるための工夫が叫ばれているが、この大学では参加者たちが自然とそのように振る舞っていた。学ぶことから遠ざけられてきたからこそ、画一的でない学び本来の有りようを知っているのかもしれない。

 授業が進んでいくうちに、毎回のように参加する人もあり、好きな授業を選んで参加する人もあり、それぞれが自分に合った参加の仕方をしてくれるようになってきた。ある人は夜の授業でこう話した。
「普段はこんな時間まで起きて何かしていることがないです。もう寝るだけ。遅くまで一生懸命、勉強して考えてられるのが嬉しいね」
 またある人はアンケートに書き残した。
「今日も寝たきり老人を免れた」
 授業の時間が充実しているというだけに留まらず、通うことが生活のリズムをつくっているように感じる。
 参加者は普段ココルームのイベントなどに来ることのない方が多く、最初ほとんどの人が互いに初対面だった。通ううちに関係ができていき、授業の前後に言葉を交わしたり、鉛筆を貸しあうなどクラスメイトらしい様子が見られるようになっていった。授業以外の時間にも一緒に過ごしたり、ココルームのカフェに足を運んでくれるようになった人もいる。行動範囲が限られ、人間関係も固定化しがちなこのまちの人に、風通りのよい変化が起きたのは嬉しいことだった。
 釜ヶ崎芸術大学には、ほかの地域から参加する人も少なくなかった。このまちに興味を持つ人、地域に根ざしたアートに関心のある人など様々だったが、それぞれにこのまちの人の学びに対するエネルギーに圧倒されたり、なにかしらの感慨を持って帰っているようだった。それは画一的な語り方をされやすいこのまちに対する眼差しを変化させることへつながっていくように思う。

 最後に行なった成果発表会では参加者同士が思い出を語り合い、次の学期が待ち遠しいという声が多く聞かれた。それは単に勉強することへの欲求でもなく、仲間同士で集まる楽しみを望んでいるだけでもないように感じる。様々な人が集い、絶えず変化する関係の中で共に学びあうダイナミックな体験があり、その熱のかけらが生活の基調となって毎日をいきいきしたものへ変えていく。お互いの人生をていねいに交わらせた大学生活だったからこそ、続けたいと願うのだと思う。

 現在、週1回のペースで「自主ゼミ」と題して講師の推薦図書を読む会を開きながら、次の学期を準備中である。始まったばかりの、しかし決して小さくないこの流れを絶やさないため、場を開き続けていきたい。

※2013年9月より第2期 釜ヶ崎芸術大学開校