「あしたのまち・くらしづくり2011」掲載 |
あしたのまち・くらしづくり活動賞 総務大臣賞 |
地域コミュニティ創出「コミュニティは大きな家族」 |
宮城県亘理町 NPO法人亘理いちごっこ |
東日本大震災後、避難所では満足な食事をとることが出来ない状況でした。私は家にある材料でパンやおにぎりを作り避難所に運びましたが、一個人の作る量は限られています。多くの方に配ることのできない物資は平等の名のもとに行政から拒まれてしまいました。そのうちに集中炊き出し所のお手伝いを始めました。1日2回、10時と16時に食事提供がなされました。初めは白いご飯を炊き、おにぎりにして供給されました。物資が集まってくると野菜をひたすら切り刻み、大きなビニール袋に入れて各避難所に運ばれました。避難所ではそれらをお味噌汁やスープにして提供しました。 1日2食。ことに会社勤めをしている人たちにおいては朝10時の食事を食べることはできません。また、16時に支給される夕食は帰ってきたころには固く冷たくなってしまっていました。冷え切ったご飯を冷え切った汁物に浸して食べていたのです。 栄養バランスの悪い食事を見かねて、炊き出しの合間を見ては少人数の避難所に個人ボランティアとして入りました。おひたしやおから入りをどっさり何度か作りました。行列ができ、瞬く間になくなってしまいました。家庭で作るにしては大量であったとしても、このおびただしい数の被災者の前には微々たるもので、すべての人にいきわたるものではありませんでした。 震災後、たくさんのボランティアの方たちが被災地応援にいらしてくださいました。行政は自己完結される方が協力してくださいとボランティア要請をしていました。復興活動だけではなく多くの負担がボランティアの方々にかかっていました。食事も思うようにとれていませんでした。差し入れをしましたが焼け石に水の状況でした。 被災地を生活の場とする中、早急に解決していかなければならない四つの課題を見出しました。 一つは罹災者やボランティアへの食事提供。個人で行なうには資金的にも体力的にも限界があります。そして提供の対象者が一部に限定されてしまっています。継続するにはその仕組みづくりをしなければなりません。 二つ目は浜で津波の被害を受けた方と、丘側でライフラインが復旧すれば普通に生活できる人々とのこれからのことに対する意識の差が歴然としていることでした。これだけの甚大な被害を受け、その被害から町全体として乗り越えていかなければならない時です。その時に同じ町内でありながら、お互いに手を取り合わずにして真の復興があるだろうか、お互いに理解し合えるような環境を作らなければならないと考えました。 三つ目は被災地外からの支援の申し出です。たくさんの方たちから、何か支援をしたいがどうしたらいいのかという問い合わせをいただきました。ほとんどの方が震災直後、大きな組織に義捐金を出されました。しかし罹災者の暮らしは何ら変わっていないじゃないか、自分たちが出した義捐金は有効に使われているのだろうか、これからは目に見える支援をしたいがどのようにしたらいいのだろうかという声を繋げていかなければなりません。 地域内の罹災者・非罹災者、そして地域内外の支援者たちが一つになったとき、大きなエネルギーを発することが出来ると考えました。また、これだけの被害を乗り越えていくためには長い年月を要します。いつかは被災地の力で復興していかなければなりません。が、まだまだその力は微小です。震災間もないころは支援も集まるでしょう。その受けることが出来た支援を受けたままにせず循環した支援、継続可能な支援に変えていかなければなりません。それではどのような方策をとったらいいのだろうかということが四つ目の課題でした。 2011年5月3日、前述した課題を解決するため、たくさんの支援者たちの協力を得ながら、被災地における被災者たちによるコミュニティ・カフェレストラン【亘理いちごっこ】が立ち上がりました。 立ち上げ当初2か月間は、町内の集会所をお借りすることが出来ました。罹災証明書をお持ちの方には完全無償で、それ以外の方たちからは500円+志をいただいて食事の提供を行ないました。 40畳のフロアにたくさんの方たちが集まってくださいました。奥の20畳間には支援物資を並べたり、食だけではなく余暇活動を行なうことで元気になっていただこうと様々な企画を実施しました。ヨガ教室、体操教室、コーラス、寺子屋などなどみなさんが笑顔で集まれる場となっていきました。毎週のようにコンサート等も開かれ、憩いの場を作ることが出来ました。また、いちごっこで震災後初めての再会を果たされた方たちもたくさんいらっしゃいました。生きているとも亡くなっているともわからなかった者同士の感動の再会でした。あの雑踏の中、どこに誰がいるのかを知る手立てはなかなかなかったのです。 足を運ばれる方たちは本当につらかった時のたくさんのことを語ってくださいました。涙を持って語られ、涙を持って聞かせていただきました。避難所ではみなさん同じようにつらい経験をされた方たちばかり。自分のつらかった思いを吐き出すことが出来ずにいました。温かなおいしいお食事をされ、自分の思いを語り、そして笑顔になって避難所や仮設、みなし仮設に帰っていかれる方たち。また一人一人と家族知人友人を連れだって集まり笑顔の連鎖は今もなお続いています。 震災直後から復興が叫ばれ、自立へ向けての支援でなければならないと全国で声高に叫ばれていました。被災地で暗い面持ちでいらっしゃる方たちを見たらとても出ない言葉でした。今はすべての人が一緒になって復興を叫ぶ時ではない。見守り、手を差し伸べるときであると感じました。いちごっこの食事提供も然りでした。自立を妨げる支援だという声もありました。家族・知人・家屋敷をなくした人たちが、ふらっと何も気を使わず立ち寄って食事をとることが出来る実家のような場所があってもいいではないかという思いで活動を続けてきました。 震災から半年を過ぎたころから、罹災者たちから、ただでもらうこと、食べることに慣れてしまってはいけないという言葉が出始めました。またいちごっこで食事をし語り合う中で元気になっていった人たちから、私たちも何かしたいという声が上がるようになってきました。カフェを手伝う人、いちごっこお話聞き隊(後述)のメンバーになる人、各種イベントを手伝ってくれる人が現れてきたのです。 立ち上げから7か月間続けてきた食事の完全無償提供も変化のときが来ました。罹災者たちからのそのような言葉に加え、罹災者による仮設店舗が開店し始めました。いちごっこが完全無償を続けることは、店舗の自立を妨げてしまうことになります。そこで、12月から完全無償を改め200円による食事提供としました。そしてこの6月、新プレハブいちごっこがオープンしました。それを機に、罹災者と非罹災者の垣根を取り払い、罹災証明書を持参しなくても食事をすることが出来るコミュニティ・カフェスペースを作り上げました。 さて、【亘理いちごっこ】は、3本の大きな柱を持って活動しています。 @コミュニティ・カフェレストランいちごっこ Aいちごっこお話聞き隊 B寺子屋いちごっこ いちごっこにいらっしゃる方たちはまだ出かけるエネルギーがありました。ここまで出向くことが出来ない方たちの話こそ伺わせて頂かなければならないと【いちごっこお話聞き隊】事業を立ち上げました。カウンセリングの研修会を開き、仮設住宅・みなし仮設・被災家屋に暮らされる方たちを一軒一軒回り、支援物資やお知らせを持参しながらお話を聞いて歩いています。 そしてもう一つの柱、「寺子屋いちごっこ」。震災によって子どもたちも大きなダメージを受けました。避難所は様々な方が出入りし、プライベートを保つこともできませんでした。勉強する環境は二の次です。また仮設住宅はとても狭く、隣の部屋・隣の家の音に囲まれています。学習環境を整えることが急務でした。そこで震災直後の5月、カフェレストランの余暇活動スペースで、また12月からは仮設住宅集会所において寺子屋を実施しました。講師、学生講師の協力を得、保護者と協力し合いながら寺子屋を進めています。子どもたちの生き生きとした表情に触れ、元気を頂いています。 【亘理いちごっこ】にはたくさんの方が集まります。みんな元気になってきました。それでも一人になると波の音や、助けてくれーという声が押し寄せてきたり…。夜には病院から睡眠薬をいただかなければ眠れない方が大勢いらっしゃいました。一人になっても何か楽しいことを考えていてほしい、そんな思いでカフェの中で作り物を始めました。そしてその作り物を全国に発信しています。作り手のみなさんに多少なりとも製作料をお支払いし、また笑顔が広がっています。 震災から暮れまでは、皆さん大きなショックから立ち上がることに必死でした。今年に入って皆さんの持つ悩みはまた変わってきました。生きていかなければというものから生活していかなければという大きな課題を担っています。暮れから年初めにかけて、失業保険の支給も終わりました。支援金義捐金などはもうありません。9月には医療費の補助もなくなります。復興公営住宅の賃貸価格、土地の買い取り価格が公示されました。これからかかる費用が次々と浮かび上がってきています。 これからの安心安定した生活の確保は最重要課題です。当方では、コミュニティの場の提供だけではなく、地域経済活性化のための施策も柱の一つとしていこうと動き始めました。 @ありがとうチケットの発行 A地場産品の全国への発信 たくさんの地域内外の応援をいただいて私たちは活動してきました。これからはその応援に形を持って感謝の意を表すため500円分の【ありがとうチケット】を発行します。そのチケットはいちごっこで使えるだけではなく、地元商店のものも購入することが出来るよう協賛店を募っているところです。 また、いちごっこブランドを発信してほしいという全国の方たちの声をいただいています。今商品をアピールし、被災地という冠が取れた時も地域経済が活性化されていく仕組みづくりをしていかねばならないと活動しています。 【亘理いちごっこ】は大きな家族を目指します。半世紀ほど前の日本の家庭は大家族でした。会話の中、生活の中には、今でいう様々な支援がなされていました。老人福祉支援、就労支援、学習支援、引きこもり支援、障碍者支援、物的支援・・・。 その中で様々な支援は、当たり前のこととしてなされていたのです。あえて支援という言葉は使われていなかったのです。 【亘理いちごっこ】は、人と人との繋がりの中で必要なことをお互いに支え合い、当たり前のこととして受け止め活動していきます。これからもこの被災地に、全国・世界の方たちと共に「大きな家族」を作っていきます。 参照: 「3・11後の世界にむきあう学習を拓く」石井山竜平編著 国土社 第4章1節執筆 「社会教育 9月号」国土社 “必要迫られる循環型支援”コラム執筆 |