「あしたのまち・くらしづくり2011」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 内閣官房長官賞

震災復興からの地域おこし、そして中間支援組織として全市の移住促進事業への取り組み
新潟県十日町市 NPO法人十日町市地域おこし実行委員会
 新潟県十日町市内にある池谷・入山集落は高度経済成長の流れによって全国各地の農村同様、過疎化がどんどん進展してきました。昭和30年代には池谷集落は37世帯、入山集落や15世帯の人たちが住んでいましたが、平成元年には入山集落は廃村、現在は通い耕作者のみとなり、池谷集落も2004年の中越地震直前には8世帯にまで人口が減っていました。
 2004年10月23日に中越地震が発生、池谷・入山集落でも家屋や農地、道路などに大きな被害を受け、これをきっかけに2世帯が池谷集落を離れ、6世帯にまで減ってしまいました。残った池谷集落の人たちも「もう村をたたむしかない」とあきらめかけていました。そのような中、中越地震の緊急支援ということで2004年10月から年末まで国際協力NGOの特定非営利活動法人JENが十日町市のボランティアセンターに職員を派遣しました。JENは2005年の1月2月には雪かきボランティアの「スノーバスターズ」を3回開催し、93名のボランティアが訪れました。ボランティア参加者に対してアンケートを取ったら80%ぐらいの人から夏場もボランティアに来たいとのことで「それならば」と年間通じたボランティア派遣が行なわれることになりました。その際にJENからの提案で池谷・入山集落では地域住民を中心としてボランティアの受け入れ団体として「十日町市地域おこし実行委員会」という任意団体を2005年3月に設立しました。その後、現在に至るまで様々な団体や個人のボランティアが池谷・入山集落の活動を支援して下さっております。
 当初は震災復興の活動をJENや特定非営利活動法人新潟NPO協会、特定非営利活動法人中越復興市民会議等外部の団体の手助けを得ながら行なっていました。4月から当時、廃校になっていた池谷分校を市から借用し、ボランティアの活動拠点として活用するようになりました。その後5月から震災復興・援農ボランティアを実施し140名が訪れました。ボランティアの受け入れでは毎回必ず交流会を行なっています。毎回交流会で村の人がボランティアをもてなすと大変で村の人が疲れてしまいますが、交流会ではボランティアが準備や片づけを行ない、村人がお客さんになるという形を取ることで村の人も疲れることなく、毎回交流会を楽しみにするようになっており長続きしています。震災の翌年であったにもかかわらず、この年にはお米の直販テスト販売まで開始するようになりました。池谷分校は2006年以降、何回かに分けて改修工事を行ない、体験交流施設として整備が進められています。また2006年には集落案内看板や屋号看板が設置されることで、集落内の雰囲気が一新しました。この年から企業ボランティアの受け入れも行なわれるようになり、お米の直販も本格的に開始しました。
 震災復興が一段落すると、活動は地域おこしへと進んでいきました。2007年には「地域復興デザイン策定支援事業」の認定を受けました。「地域復興デザイン策定支援事業」では特定非営利活動法人JEN、特定非営利活動法人棚田ネットワーク、特定非営利活動法人まちづくり学校、特定非営利活動法人中越復興市民会議の支援を受けながら、2年間で20回のワークショップを行ない、先進地視察を行なうなどして2008年に「地域復興デザイン計画」が完成しました。ワークショップを行なう中で「集落の存続」ということが共通の目標として明確になり、「地域復興デザイン計画」には後継者を外部の人でもいいので受け入れていくことも明記されました。後継者を受け入れるにあたって、仕事・収入・住まいが必要であり、これらの環境を整えていくことが重要な取り組みとして行なわれるようになりました。また、2007年には池谷集会場(実いけだん)の大改修が震災復興基金を活用して行なわれました。池谷集会場の大改修にあたって、復興基金では全額補助が出るわけではないため、自己資金を約500万円出す必要がありました。1軒あたり約100万円もの支出はとてもできるはずはなかったのですが、当時特定非営利活動法人棚田ネットワークの関係でボランティアで訪れていた方のつてで東証一部上場の大企業の創業者宛にお米と寄附金のお願いの手紙を送ったところ、「こんなにうまいお米を作る集落をなくしてはならない」ということでポケットマネーで500万円の寄附金を出して下さるという普通では考えられないようなことが起こりました。翌2008年には復興基金の先導事業でミニ精米プラントも導入し、お米の直販事業が本格化しました。
 2008年からは新たにエコツーリズムの取り組みも行なわれるようになりました。冬は特定非営利活動法人中越防災フロンティアとの共催で「越後流雪かき道場in池谷」が開催されるようになりました。またFedex社のCSRの一環としてJENの支援を受けながら「田んぼへ行こう!」という年3〜4回農作業に訪れ、田植え、草刈り、稲刈り等の米作りの関する一連の流れを体験できるイベントもこの年から始まりました。当イベントも今年で5年目になります。2008年の10月からは棚田ネットワークの紹介で日本農業実践学園から籾山旭太さんという農業研修生を受け入れることになりました。当初は池谷集落では1年間の研修を行ない、その後畜産農家に移るという予定でしたが、結局最終的には研修期間の2年半全て池谷集落にいてくれることになりました。
 2009年には後継者候補の受け入れを行なうために空家の改修が行なわれました。また、同時に総務省の地域おこし協力隊の募集も行なわれました。そういった取り組みが行なわれることで、田んぼへ行こうの一参加者であった私が地域おこし協力隊に応募し、2010年2月には家族を連れて池谷集落に移り住むことになりました。
 2010年3月には「地域復興デザイン計画」を見直し、新たに5年後の池谷集落を考えるワークショップを行ないました。そしてその中から出てきた新たな取り組みが徐々に行なわれるようになりました。無農薬・無化学肥料の有機栽培、家畜(牛、鶏、烏骨鶏、アイガモ)の飼育、池谷分校体育館と浴室等の大改修プロジェクト、中・長期滞在の受け入れ等です。
 2011年には2月に坂下可奈子さん、4月に小佐田美佳さんという20代の若い女性が続けて移住して来ました。若い後継者候補が増えてくる中で、十日町市地域おこし実行委員会もより組織的に活動する体制を構築すべく取り組みを進めていきました。9月には農村六起ビジネスプラン・コンペティションで事業計画が認定されました。そして農村六起の企業支援金を活用しつつNPO法人化の手続きが進められ、12月にはNPO法人の設立総会が行なわれました。同じころ震災復興からの一連の活動が評価され、「十日町市地域おこし実行委員会」は平成23年度(2011年度)地域づくり総務大臣表彰を受賞しました。
 2012年4月にはNPO法人化の手続きが完了し、小佐田美佳さんを常勤のスタッフとして雇用することになりました。NPO法人化したのと同じ時期に地域おこしは新たなステージに進みました。具体的には池谷・入山集落だけではなく、周辺の集落の頑張っている農業者の方々と連携した取り組み(田んぼアート、直売所の開店)が行なわれるようになったり、十日町市役所の行政と一緒になって新潟県の事業である「にいがたで『暮らす・働く』応援プロジェクト市町村モデル事業」を活用しながら、十日町市内各地域の集落に移住を前提としたインターンを派遣する取り組みを7月以降に行なうことになっています。翌2013年度には十日町市が主導する「移住促進基盤整備事業」の業務委託を受ける予定になっております。
 以上が活動の経緯のご紹介です。以下に私の感じるところを記載いたします。
 私が色々な方々のお話を伺う中で感じたこととして、池谷集落の良いところは「よそ者を主役に」しているところだと思います。田舎は閉鎖的でよそ者を受け入れない集落も多いです。いまだに本家を絶対とする封建的な風土が残っている集落もあったりします。池谷集落はこういった閉鎖性も封建的な風土もなく、集落の方々が自ら「後継者を受け入れたい」と公言しています。「よそ者を集落の足りないところを補完するものとしてではなく、よそ者に集落を引き継ぐということは珍しい。だからこそ上手くいっているんだ」と全国各地の過疎地を取材して回っている方から言われたこともあります。実際、中山間地集落協定の役員に私も加えてもらっていますが、他の地域で若い移住者を中山間地集落協定の役員に加えるというのはなかなかないことだと思います。
 池谷集落も元々受け入れ体制が十分整っていたのではなく、2004年の中越地震がきっかけとなってボランティアの方々が大勢訪れるようになり、外部のボランティアとの交流を重ねながら集落の方々の意識も変化していったと聞いています。
 都会からよそ者を過疎地に送りこむということは非常に良いことだと思うのですが、一方で受け入れ側の行政や集落とのミスマッチで苦労している例も少なくありません。こうした問題を解決するためにも受け入れ側の意識改革にも目を向けていく必要があると考えております。そのためには「強烈な危機感」と「共通の明確なビジョン」が必要であると思います。池谷集落では震災によって「強烈な危機感」を感じ、「集落の存続・100年先を見据えた持続可能な集落作り」を「共通の明確なビジョン」としています。このビジョンを実現すべく、昔から集落に住む方々は集落を継いでくれる仲間を心待ちにしています。
 今後は長期的には持続可能な集落モデルを自ら体現している地域を作り、都会からの後継者の定住を促進させ、全国に情報を発信することを通じて、全国各地の過疎地の集落で持続可能な生活スタイルを実現させたいと考えています。
 持続可能な集落モデルとは、@物理的に生活が成り立つ状態(ある程度の現金収入と生活に必要なものの循環・自給)と、Aお互いに顔が見える関係で助け合い、安心して楽しく生活ができる状態が出来ている状態であると考えております。この取り組みを通じて、将来に希望が持てる社会を作ることに貢献したいと考えております。