「あしたのまち・くらしづくり2011」掲載 |
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞 |
地域の文化遺産「旧矢中邸」を舞台とした若者たちによる新しい場づくり |
茨城県つくば市 NPO法人“矢中の杜”の守り人 |
1.はじめに 近年、茨城県つくば市、とりわけ筑波山麓地域における地域づくり活動が注目を集めている。筑波山麓地域は霊峰筑波山を北に仰ぎ、永い歴史と豊かな自然を有する地域であるが、研究学園都市の誕生と発展に伴い人口流出や高齢化などによる地域衰退が問題となっていた。それに対して、地域住民が危機感を感じ、地域資源を活かした地域活性化に取り組んでいる。中でも、かつて筑波山麓地域の中心商業地として賑わいをみせていた北条地区では、地元住民を中心としながらも筑波大生などの外部の人々も加わって、地域づくりが活発化してきた。 そんな中、活動に関わっていた学生たち(私を含む)が自ら設立から運営までを担うNPOが新たに誕生した。それが本レポートの事業主体であるNPO法人“矢中の杜”の守(も)り人である。当NPO法人は、北条地区内で“矢中御殿”として知られながらも、長年空き家として放置されてきた近代和風住宅「旧矢中龍次郎邸(以下、旧矢中邸)」を地域の文化遺産として見直し、その保存活用を通じて地域活性化に取り組んでいる。本レポートではNPO設立の経緯とこれまでの活動実績について報告したいと思う。 2.不思議な縁による“矢中御殿”との出合い まず活動の舞台となる旧矢中邸と出合う経緯について述べたい。 2008年、私は「北条には“矢中御殿”とよばれる屋敷がある」というのを耳にした。何でも、相当な資金を投じて建てられた豪邸で、竣工当時は地域でも有名だったが数十年空き家となって放置されているとのこと。私自身とても興味はあったものの、長い間誰も手を出せなかった状態の建物を学生がどうこうできるものではないと、初めは思っていた。 しかしその話を聞いて間もなく、矢中御殿の所有者が変わることとなった。新しい所有者は北条地区とは縁のない人で、ひょんなかたちで邸宅を購入したものの、そこに住むつもりもない上、維持修繕するにも壊すにも多額の費用がかかるから、どうするか戸惑っているという。そして、もし活用する人がいて、それが地域のためになるなら喜んで提供するというのである。さらに、北条の活動を通じて知り合った筆者の知人が、偶然その所有者とも知り合いで「地域のためにがんばっている若者として、この邸宅の活用にも取り組んでみないか。興味があるなら所有者に紹介する」と私に声をかけてくださった。 その後、所有者と共に旧矢中邸を訪れると、邸宅は鬱蒼とした樹々に埋もれるようにして建ち、街の喧騒とは無縁のような静かな空間に包まれていた。邸宅の前に立っただけですでに不思議な魅力を感じたが、中に入ると家具や調度品を含めてまるでタイムスリップしたかのように、昭和の生活空間がそのまま残っていた。「このままではもったいない! これはどうにかしたい!」と、一目見て私の気持ちは固まった。ここから「旧矢中邸」の保存活用事業が始まった。 3.“矢中の杜”の誕生とNPO法人“矢中の杜”の守り人の設立の経緯 (1)再生の一歩は掃除から さて、保存活用するといっても、数十年空き家になっていた邸宅内は積年のホコリ、カビ、クモの巣、やもりの大群、虫害などで傷み、庭園はさながらジャングル。そのため、保存活用の前にまずは再生せねば! と掃除から始めた。掃き掃除、拭き掃除、ゴミ出し、遺留品の整理整頓、草刈り、土掘り…とやることは山程ある。はじめは所有者と筆者を中心に毎週掃除を行ない、随時他の学生や地域住民にも声をかけながら、徐々に掃除ボランティアの輪を広げていった。その結果、掃除をはじめてから現在に至るまで、ボランティアとして関わった人は50名を超える。邸宅の規模の大きさ故、はじめは途方もない作業のように思えたが、多くの人々の力によって、邸宅は輝きを取り戻していった。 (2)調査を通じて明らかとなった旧矢中邸の歴史的背景と特徴および文化的価値 また、邸宅そのものについてNPOメンバーおよび学生を中心として、各々の専門性を活かしながら2009年4月より調査研究を行なった。邸宅に関係する人々へのヒアリング調査、建物の実測調査、文献等による資料調査などにより、旧矢中邸の歴史的背景や建築的特徴、文化的価値を明らかにした。その調査研究結果は携わった学生の修士論文などにもつながっており、単なるボランティアで終わるのではなく、学生の本分である学業においても意義のある活動となった。 (3)“矢中御殿”から“矢中の杜”へ 一方、掃除や調査と同時並行して、邸宅の保存活用に向けた体制づくりも進めていった。スタートメンバーは所有者、学生2名、前述の知人1名の計4名。この4人で幾度となく話し合いの場を持ち、今後の取り組みについて議論を重ねた。その中で、邸宅の通称を新旧の所有者の名前にちなんで“矢中の杜”とすることになった。長年眠っていた“矢中御殿”は、地域の文化遺産“矢中の杜”として新たに時を刻み始めたのである。 ただ邸宅を保存するというだけでなく、本邸宅を地域文化の伝達の場として捉え、様々なかたちで活用することによって、地域の活性化につなげたい。また、矢中の杜で過ごす色々な“時間”、例えば日常とは少し違う時間、懐かしさに浸れる時間などを、より多くの人に楽しんでもらいたい。そんな想いの下、まず“矢中の杜”のことを周知するため、最初の1年間は掃除、調査、地域イベントに合わせた限定公開などを地道に行なっていった。 (4)NPO法人“矢中の杜”の守り人 これらの経験を踏まえて、邸宅の適切な維持修繕や管理運営を行なうためには、特定非営利活動法人化が適当であると判断し、2008年に立ち上げた任意団体「矢中の杜」を引き継ぐかたちで、2010年に「NPO法人“矢中の杜”の守り人」の設立に至った。当初の有志4名に加えて、郷土史家、文化財建築専門家、デザイナー、学生などがメンバーに加わり、各々の専門性を活かしながら“矢中の杜”の保存活用に取り組んでいる。 4.これまでの活動実績 NPO設立当初の目標としては、「邸宅を適切に保存するための調査ならびに清掃、修繕を行ない、またイベントの企画や一般公開等の活用を通じて、地域住民との交流を図る」とし、様々な活動に取り組んだ。ここではその主な活動を取り上げたい。 (1)邸宅の維持管理 邸宅内には損傷している部分が多々あり、日常的な点検や維持管理により細めに状況を把握することが重要である。また、旧矢中邸は元々住宅として建てられたものであるため、一時的な活用だけでなく、人が住み、毎日風を通すことによって初めて建物の本来の機能を再生できる。このような日常的な管理に努めるため、NPOメンバーの学生が管理人として住み込み、他のメンバーも随時掃除や点検を行なっている。 (2)調査研究および文化財登録申請 先述の通り、邸宅に関する調査研究を継続して行ない、その調査結果を踏まえて2010年には文化財登録申請まで実現することができた(手続きは文化庁にて現在進行中)。 (3)定期的な邸宅公開 現在では、邸宅の歴史や特徴、文化的価値をより多くの人々に伝えるため、毎月2回(第1、第3土曜日)の定期的な邸宅公開を行なっている。なお、公開は人数と時間を制限した見学ツアー制(ガイドによる案内)としている。定期公開日以外でも地域のイベントに合わせて特別に公開日を設けたり、他団体の事業への協力や連携も積極的に行ない、邸宅単体に留まらないように努めた。その結果、2010年度は延べ700名を超える見学者を案内することができた。見学に来た地域住民の中には「小さい頃から矢中邸の存在を知っていて、ずっと中を見てみたかったけどできなかった。今回見学できたことで、長年の夢が叶った」という人や「当時の生活を思い出して懐かしい。子ども(もしくは孫)にも見せてあげたい」といった人も多く、邸宅公開は地域住民が自分たちの地域文化を改めて再発見する機会にもつながっているといえる。また、周辺地域だけでなく他市他県からの見学者も少なくなく、つくば市の新たな観光資源として期待する声も多く寄せられている。 (4)月例お掃除会 日常的な清掃に加え、毎月第2土曜日を月例お掃除日とし、NPO会員およびボランティアを募って邸宅および庭園の清掃活動に取り組んでいる。部屋の清掃や米ぬかを利用した床磨き、庭園の除草作業などを主として行なっている。 (5)活用事業:文化講座や舞台公演の開催 邸宅を活用して、これまでに2回の文化講座を開催した。第1回は『古写真からみる筑波山麓の歴史』、第2回は『月と筑波山万葉歌』と、どちらも地域文化をテーマとして、郷土史家を講師に招いて行なった。第1回、第2回ともに地域内外から参加者が集まり「地域文化について改めて学ぶことができた」と好評だった。また、2010年秋には地域のイベントに合わせて、東京のダンスパフォーマンス団体と共同で矢中の杜を最大限に活用した舞台公演を実施し、通常の活動とは違った活用方法を試みた。従来、当該地域の来訪者や観光客は比較的中高年層が多かったが、今回の公演は実施母体も来場者の対象も若者が中心となっており、地域への来訪者の幅を広げるという点で大きな効果があった。 (6)震災復興の取り組み 2011年3月の東日本大震災による被害は大きく、3月~5月の3ヶ月間は一般公開を控え、「できることから少しずつ、でも着実に」との思いの下、復旧作業に取り組んできた。6月から公開を再開したものの、まだ完全に復興を遂げているわけでないため、今後も復興に尽力していきたい。 5.おわりに―今後に向けて― 不思議な縁から始まった“矢中の杜”事業。試行錯誤しながら少しずつ体制を整えてきたが、NPO法人としてはまだスタート地点に立ったばかりである。ハード面では邸宅の修繕や震災復興、ソフト面では資金調達、人材確保など取り組むべき課題は多々ある。 しかし一方で可能性も無限に広がっている。柔軟な発想で未来図を描き、若者のエネルギーを存分に発揮して、より多くの人を仲間に入れ、大いに楽しみながら今後の活動を展開していきたいと思う。 |