「あしたのまち・くらしづくり2011」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

送迎サポート14年の歩み
茨城県つくば市 NPO法人友の会たすけあい
 私たちは車の運転や歩行が困難な高齢者・障がい者などの足代わりとして、玄関先から病院などへの送迎活動を行なっている茨城県つくば市南部のNPO団体です。来年(平成24年)8月で創立15周年を迎えます。これまでの送迎回数は3万回を超え、利用会員も延べ300人を突破しました。
 「バス停まで2~300メートルですが、そこまで歩くのもつらく、大変助かっています」「病院へ行くたびタクシーを使うのは、年金生活者にはとても無理なのでありがたい」
 利用される方に少しでも喜ばれることを励みに、送迎にとどまらず、必要に応じて病院内や買物等での介助も行ない始めました。

送迎サポートの仕組み
 送迎サービスの利用者(利用会員)も送迎するスタッフ(協力会員)も、入会金と保険料を含む年会費を支払って運営を支えます。
 利用会員は、利用日の前日午後4時までに、日時、行き先、復路の条件(運転者に待機してもらうか、連絡して迎えに来てもらうか)および介助の必要性を、電話かファックスで事務局へ伝えます。当日、車の走行距離にほぼ比例した料金(タクシー料金の約半額)と復路条件や介助の有無に応じた料金を、1点100円のチケットで運転者に支払います。万が一事故に遭遇した場合は、運転者が加入している任意保険の適用と全国社協の「送迎サービス補償」が受けられます。
 利用会員はつくば市在住者または市内の施設利用者ですが、70歳以上の方が79%、また、要介護認定者と身障者手帳所侍者が65%を占めています。移動先は、市内が52%に対して、隣接する牛久市内も40%、医療健康福祉施設が圧倒的(87%)ですが、商店、役所、銀行、郵便局、JRの駅など、日常生活に不可欠な移動に利用されています(平成22年10月の福祉祭りに利用者83名について調べたもの)。23年3月末現在、利用会員は104名にのぼります。
 市の茎崎高齢者交流センターの一隅が私たちスタッフの活動拠点です。協力会員は現在23名(女性6名、男性17名)。平均年齢67.3歳と高齢化が悩みですが、ヘルパー有資格者12名、介護福祉士2名がおり、高齢者・障がい者の気持ちもわかり介護技術にも明るいと自負しています。協力会員のうち2名を除く21名が自分の車で送迎を担当します。全員、国交省が認定した「福祉有償運送運転者講習会」の受講修了者です。
 1か月の送迎・日直の分担計画は、各協力会員が翌月可能な日程を月末に提出、これに基づいて次月予約分と日直を各自に割り振って作成。月内については、平日、10時~16時までに受け付けた予約をその日の日直者が可動予定の人に割り振り、ファックスまたはメールで伝えます。こうして、元日を除く毎日、運転可能な限り要望に応じます。
 こうした日常活動をハード面から支えているのがコピー機能付きのファックス電話と2台のパソコン。1台は一昨年、茨城県共同募金会から助成を受けて購入したもの。NPO会計ソフトN‐booksとともに大いに事務能力を発揮していますが、最も大切なのは、毎月1回開かれる協力会員全員の集まり。ここで新入利用会員の肉体条件・健康状態など送迎に必要な配慮事項が紹介されます。また、「××さんのところへ時間通り迎えに行ったのに、先にタクシーで帰っていた、最近物忘れがひどくなったのじゃないかな」、「○○さんの玄関からの出入りは車椅子になったが、スロープが急なので相当な体力が必要」など、利用会員の近況や重要な変化についての情報交換は欠かせません。

会発足の動機と背景
 「友の会たすけあい」が誕生したのは平成9年7月末。当面の起業資金として10人が2万円ずつを出資、現在の活動の礎となる会則などを決め、役員を選出。会長の叶滋宅を仮事務所として翌8月4日から活動を開始しました。
 叶は、昭和62年、早期退職して旧茎崎町の富士見台に東京から移ってきました。牛久沼に臨むこの地域は、町でも最後に開発された200戸ばかりの分譲住宅団地です。
 茎崎町は、研究学園都市の本格的な整備にとりかかる昭和45年頃には人口6500人くらいの農村でした。JR牛久駅から上野まで1時間、首都圏でも手頃な値段の戸建住宅地だったからでしょうか、当初は牛久駅から比較的近い高見原地区に住宅が増加、やがて駅からバスで10分~20分の調整区域内に、城山、梅ヶ丘、桜が丘、宝陽台と大規模団地が次々開発され、昭和53年には人口急増日本一の村と喧伝されるほど。さらに、戸数1300戸の森の里をはじめ、自由ヶ丘、あしび野、そして富士見台と入居が開始され、人口2万人を超えるベッドタウンを形作るに至ったのです。
 茎崎に住み始めて4年後、民生委員を務めていた叶は、当時発足した老人会の会長に推されました。そこで知ったのは、自動車を運転しない高齢者が交通の便の悪さにいかに難儀しているかということ(自宅からバス停やスーパーまで徒歩20分もかかる!)。そこで叶は老人会のメンバーを自分の車を使って、病院まで無償で送迎し姑めたのです。
 こうした活動を知った町身障者協会会長の新田は、身障者の送迎もできないか叶に相談。ふたりは、すでに送迎活動に取り組んでいる団体を調べたり、損害保険、共済保険の比較検討などの準備を重ねました。ボランティアとはいえ、他人を車に乗せる責任の重大さと同時に、車の整備やガソリン代などの実質的な出費を考慮して、無償ではなく有償の活動を行なうこととし、県下では初の自家用車による送迎団体の設立にこぎつけたのでした。
 平成9年当時の茎崎町の高齢化率は10.9%、県内でも比較的若い人口構成です。しかし、45歳以上の人口が45%強、出生率の低下ともあいまって、20年後には約半数が高齢者という町になりかねません。都市近郊でスプロール開発された街の例にもれず、ここでも車がなければ生活できない構造になっており、公共交通も自家用車の使用に押されて衰退していくという悪循環。地縁血縁のない核家族団地住民が、将来、高齢者夫婦のいずれも自動車の運転ができない状況になれば、生活自体が大幅に制約されるのは必然です。
 都市近郊新興住宅地に共通した危機感を反映して、平成10年4月に「移動サービス市民活動全国ネットワーク」が発足、同年10月には当会も団体会員として加入しました。当時、道路運送法では、自家用自動車の有償運送は禁止されていましたが、同年成立した「特定非営利活動促進法」も活動の広がりを後押しして、国交省も自家用車による送迎活動を看過できず、やがて「自家用自動車有償旅客運送」として公認するに至るのです。
 私たちに続いて、近隣自治体でも相次いで送迎活動団体が設立されました。

活動の公的な認知と会の進展
 創立以来、毎年、20数名のスタッフが活動(延べ58人)。路線バスの一部区間廃止もあり、活動の重要性を認めた町は、平成12年から事務局スペースを提供してくれ、さらに運営補助金の助成もし始めました。平成10年に約1000回だった送迎回数は、22年には約3000回へと着実に伸びてきました。利用会員も年間70~90人が利用、希望者には福祉センター祭りへの無料送迎も続けられています。昨年は、利用者の方の一人から大金の寄付もいただき、スタッフ一同大感激でした。
 14年間の歴史の中でもっとも衝撃的な出来事は、平成11年の年末に起きた交通事故でした。利用者とその付き添いヘルパーさんを乗せて運転者が交差点で右折信号に従い前進しようとしたところ、対向車線を直進してきた車に衝突されたのです。利用者も運転者も重傷、ヘルパーさんは全身打撲。保険の適用があるとはいえ、重傷者が完治するまでに1年近くを要し、保険会社との折衝にも心労が多かった年でした。幸い他のスタッフや利用会員の間にも大きな動揺はありませんでしたが、もらい事故とはいえ、以後この唯一の事故を教訓に安全運転に一層の注意を払い続けています。
 平成15年に叶会長が退任。2代目会長(熊田)時代には、つくば市との合併でサービス区域が広がったものの、財政難を理由に市からは補助金を打ち切られ、料金の値上げと経費の削減によって事業の継続が図られました。また、国土交通省が示した「福祉有償運送」のガイドラインに沿うべく、NPO法人の認証を平成17年に取得、18年5月には福祉有償運送事業許可を得て、公認の自家用自動車運送事業団体になったのです。

今後の展望
 平成19年には現会長(北村)にバトンタッチ。今年で5年目になります。以下に彼が今年の総会で述べた今後の抱負を要約してこのレポートを閉じることとします。
1.市が新たな公共交通システム(玄関先からのオンデマンド送迎方式と拠点間を結ぶシャトルバスの組み合わせ)を供用開始したが、行政界を超えないなどの不便さは依然残っている。利用者サービス向上に一層努めて不便さを軽減すること。
2.利用者の中に軽度の認知症の人が増加しつつあるが、市の包括支援センターなどとどのように連携してサポートしていくか、災害時の安否確認も含めて具体的に検対していくこと。
3.会長はじめ理事会の世代交代を準備すること。

 「来年、当会は創立15周年を迎えますが、以上のような問題を先輩諸兄姉や専門家の方々の助言をいただく機会にして、今後さらに高齢化が進む地域の暮らしを安心できるものにしていきたいものです」