「あしたのまち・くらしづくり2011」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

高齢化社会をどう生きる
茨城県水戸市 元気クラブ
右のお隣さん 左のお隣さん みんな歳をとっていく
みんな元気に生きていきたいと ねがっている

「元気クラブ」設立主旨
 「元気クラブ」は、平成19年に設立した高齢者をニッコリ元気にする地域のボランティア団体です。設立した目的は、加速している超高齢化社会で独り暮らしや老夫婦、昼間独りの家庭を対象に、軽体操、脳トレ、悩み事相談などを受けて、出来ることから解決していき、お互いに元気を生み出し、助け合いの連携意識を高めることを目的としています。合い言葉は「気張らず 地道に 声かけあって」。

現在までの経緯
 北欧のノルウェーやデンマークに比べると福祉政策が事足りない我が国において、真の福祉とは何か。自分が住む足下の地域から血の通った施策が必要になると思いました。行政では手の届かないところをみんなの協力で拓いてみようと。その「志」を糧に行動開始となりました。
 「元気クラブ」設立当初は、筆者が住む一町内会8人からのスタートでした。勿論、町内との接点をもつことから始めて、役員会に報告をしました。ある役員は「1ヵ月もつかどうかな!」の嫌味。もし、私が役員だったら「いいことですね、頑張ってください。何かあったら相談にのりますよ」と言うところでしょうか。資本金ゼロ、心意気だけの出発でした。
 まず、場所の設定ですがこれが難物。高齢者にとっては「今日も頑張ろう!」と下駄ばきで通える家の近くの安全な場所が第一目標。廃屋などあちこち探してみましたが、オイソレとはいかない。やむを得ず最終手段として市の体育館館長に直談判をしました。「使用料はいただきますよ」「ボランティアでもですか?」「そうです」と。その後使用料金はいりませんという有り難い電話があり、行政の中にも相手の立場にたって考えることのできる人がいたとホットしました。
 初回から2回3回と私の小遣いでお茶とお菓子の用意をしていきましたが、当時87歳のおじいさん(シベリア帰りの困難に打ち勝った人)が「よくやってくれるね、あんたが生き仏に見えるよ。今度からみんなの会費制にしようよ!」と言われ快諾しました。
 その後、隣接する3町内会に今までの活動報告書などを町内会長に回覧していただき、会員も個人参加者を含め30人となり、年齢的には65歳から90歳くらいの年代となっています。毎月第2、第4土曜日の10時から1時間半みっちりとカリキュラムをこなしています。内容はかの有名な医学博士太田仁史医師のもとで研修を受けた資格保持者3人がボランティアで指導に当たっています。具体的には、一発体操、床体操、音楽体操、唱歌、レクリエーションなど豊かな内容になってきました。また、時には筑波山の「ガマの油」の口上を大声出して扇子片手に合いの手を入れながらの奮闘ぶり。また、時にはオレオレ詐欺や高齢者の罹りやすい病気、気をつける食事内容など総合的知識力の高揚に力を注いでいます。集まる高齢の方々が、明るくて、楽しくて待ち遠しくなるような「場」づくりになるよう企画と成果を重要視しています。そして次につづく人材の育成にも心がけているところです。

高齢者の生活上の問題点
 戦後半世紀あまりがすぎ、1950年代の右肩上がりの経済成長時とは比較できない厳しい時代に直面しています。それでも、かつて終戦直後の私が幼かった頃、焼け野原の中母親がお腹をすかした子どもたちを育てるために持っている振り袖をお米と交換したり、一日中足を棒にして農家を訪ね歩き大根1本、さつまいも1本を買っていた母のことは、ウン十年たっても忘れず心に焼き付いています。そんな環境の中から、今の高齢者は生き抜いてきたのです。元気な高齢者はちょっとやそっとの困難にはへこたれません。
 右肩上がりの頃は、終の棲家は自然豊かな郊外へ郊外へと建ててきたものです。歳を重ねると食料の買い出しに相当な負担を感じるようになってしまいます。そんな時はなんと言ってもコンパクトシティに住み替えたいと思ってしまいます。
 コンパクトシティは、診療所、何でも屋商店、郵便局、町内の小さな集会所、幼保園とディサービスをいっしょに廃校を改造して(水回りすでにセットされている)つくる。高齢者と幼児たちを保母さんとじいちゃん、ばあちゃんが愉しみながら育てていく。これこそ年代を超えた大切な地域力になることでしょう。
 私の住む地域は、水戸市とひたちなか市の境に位置し生鮮食料品、日用雑貨店などの店は皆無。高齢者にとっては何年も何年も青息吐息の暮らしを続けてきました。行政や市会議員さんには何度かどうかして欲しいとお願いしてきましたが無理のようです。高齢者が朝医者へ行き、食料買って家へ帰ろうと思ってもさんざんバス停で待たされる。一方中心街には何本ものバス路線が入っているのに、市の巡回バスが通るという格差がまかりとうるのです。市へ陳情しても「あそこは赤字路線だから」でおわり。今、運転して郊外のスーパーヘ買い物に行けても歳を取ればいつかは免許証を返上しなければなりません。
 世にいう「買い物弱者」を守るためどうしたら良いのでしょう。行政が駄目なら民間企業にお願いしようと、いばらきコープさんに打診してみました。企画室との話し合いはトントン拍子に進み、近辺の8つの町内会長宛「いばらきコープの移動店舗についてのお知らせ」という文書を作り町内の皆さん一軒一軒へ回覧をお願いしました。約4ヵ月の準備期間を経て、平成23年2月24日から冷蔵庫つき移動販売のスタートです。当日はコープさん広報室の手配により、NHK水戸、一般紙地方版、地方紙など大きく報道されました。資本金ゼロの「元気クラブ」だけではとても出来ないことで、市民との協同組織強化のコープさんだからこそ軌道に乗ることができました。高齢の方々が水戸駅近くまでバスに乗って買い物に出かけなくても、1週間に一度巡回してくれる「いばらきコープ移動店舗ふれあい便」を待つ楽しみができました。高齢者の方々から「本当に助かるわ!ありがとう」の声が聞かれてホットしています。
 コープさんの「動く店舗」は、買い物弱者のため今のところ20ヵ所の停車ポイントを巡回して、約200人近いお客さんが利用しています。東日本大震災の時は、水戸もライフラインの欠如や道路の液状化現象による交通マヒ、建物の崩壊等々大きな被害を受けました。が、その厳しい中を「移動店舗」は、販売商品とてない中乾物や店にある品物を積んでデコボコ道を通常の3倍以上の時間をかけてやってきました。なかなか出来ないことでその誠実な企業努力に頭が下がりました。6ヵ月くらいたつと地域別の売れ筋も分かってきますので、商品の補充も事足りていくでしょう。将来をみつめ、長期的な視点で「移動店舗」を育てていく戦略を協働で分かち合いたいと考えています。平成23年5月13日に茨城放送で「いばらきコープ移動店舗ふれあい便」のその後というタイトルでコープさんともども放送をして販売促進と住民への宣伝をしています。

おわりに
 戦後猛烈な勢いで近代化を進めてきた日本。工業技術では押しも押されもせぬ世界のトップクラスに躍り出たことはうれしい限りです。しかし、一方では美しい田園風景が少しずつ失われてきたことも事実でしょう。両立は難しいことなのでしょうか。それに追い打ちをかけるように少子高齢化社会の到来。以前からこのことは分かっていたはずです。そして今、「無縁社会」「希薄家族」等という言葉が使われる世の中になってしまいました。日本が昔から育ててきた家族制度の崩壊、エゴイズムが堂々とまかり通る世の中に下落してしまいました。戦争に負けたのだから仕方のないことでしょうか。
 高齢者にとって、老後をどう生きるかは大きな課題です。健康で元気なうちはたとえ高齢であっても、若者には負けない気構えと知恵を持っているつもりで頑張れます。が、歳を重ねることで動きも鈍くなって孤独とどう向かいあって生きるのかが大きな課題となります。「元気クラブ」の友人たちは、誰にも世話をかけずにポックリとあの世へ行きたい。ポックリ地蔵さまにお参りに行こうなんて真顔で話したりします。昭和ひと桁生まれの方々は、しっかりと親の介護は自分がするものと思いきちんと面倒を見る義務を自然に身につけてきました。日本の家族制度がそう教育できていたのです。勿論、その後生まれの若い方の中にも親を介護、看取ることのできる立派な躾のよい方もおられることでしょう。総体的に行政の高齢福祉課包括センターが忙しいようでは「無縁社会」「希薄家族」が大半占めている証拠でしょう。
 人口の減少や女性の社会進出、多様化する生活模様による変遷ともいえましょうか。「無縁社会」は、政府が奨励してきた、使って見れば確かに都合のいいインターネットや携帯電話が、ある意味では挨拶すらろくにできない対面不可能な人づくりになってしまったともいえます。物事の開発や施策には必ずや陰と陽があることを政財界は当然のこと文化教育に携わる方々、国民一人ひとり心して欲しいと思っています。

 あしたのくらしづくり、暮らしいい町や村にするためには何といっても人づくりから始めなければなりません。そこに住む人たちの立場に立って、年齢別に今なにを必要としているかをアンケート調査でセグメントして行政独自でやることなのか民間企業やボランティアと協働でやった方がベターなのかを決めていく。大木の根っこの細い根の部分が地域の町内会に当たり、その部分がそこに住む住民一人ひとりになります。住む人たちみんなが地域にとって必要な人材となることが大切で、なかなか出来ないことではありますが、無欲に徹し地元愛を高め人との繋がりを深めていければ初志貫徹後はみんなの意見を取り入れながら地道に活動をつづけていく。道のりはそう簡単にはいかないことがありますが、忍耐と地域力を高めるノウハウに徹底することでしょう。きっと陽の当たる場所に成長していくことを信じて行動ができます。一緒に苦労してきた同志の中から次を引き継いでもらえる人材を育成しておくことも忘れてはならない一つです。