「あしたのまち・くらしづくり2011」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 総務大臣賞

ハラハラと心配しながら、見守り続ける
静岡県富士市 NPO法人ゆめ・まち・ねっと
 「NPO法人ゆめ・まち・ねっと」は2004年9月に設立され、子どもたちが自由に遊べる場を提供することに取り組み始めました。「冒険遊び場たごっこパーク」と名付けたその活動は、「たごっこ」の由来である田子の浦港にほど近い公園と川を会場に、隔週の土日を中心に行なっています。多くの公園には火遊び禁止、ボール遊び禁止といった禁止看板が立ち並びます。子どもたちが生き生きと遊んだ海や川は汚れ、森は子どもだけで入るのが危険な場所になりました。空き地は、責任問題の高まりから子どもの密かな遊び場ではなくなりました。しかし、「冒険遊び場たごっこパーク」では、4メートルもある土手からバンバンと川に飛び込む子どもたちの姿があります。焚き火でお餅や芋を焼いたり、時にはカレーやスパゲッティを作ったりもしています。木登りに興じ、のこぎりやかなづちを使って廃材工作や基地づくりもします。おやつを求める子どもたちが近所の商店までリヤカーで悠々と進んでいくこともあります。僕らスタッフは、このように子どもたちが生き生きと遊べる環境を保証し、あとは笑顔で眺めています。危ないからやめなさいと注意することも、もっとこうしたほうがうまくいくよと指導することもありません。子ども任せだからこそ、豊かでハチャメチャな遊びの光景が見られます。そんな子どもたちを見ていると、本当に嬉しくなります。「今」を生きている感じがするのです。子どもたちは「今」を生きることが許されなくなってきています。将来、自立した大人になるための準備だけを日々重ねることが求められているように見えます。学校でも家庭でも地域でも。
 「たごっこパーク」には、いくつかの特徴があります。子どもの生活圏での開催、参加費無料、親の申し込み不要。イベント・プログラムはまったくなく、タイムスケジュールもなし。いつ来て、いつ帰ってもよく、遊ぶのも遊ばないのも自由です。このような特徴の「たごっこパーク」を続けていたら、家庭、学校、習い事、学童保育、児童館等々のどこにも居場所を見出せない子どもたちと出会うことになりました。初めからそれを意図した活動ではありません。ただただ、子どもたちが元気に自由に遊ぶ場を提供しようと始めました。でも、子どもが自力で来られる場所で実施し、参加費無料にしたら、結果的に生活困窮家庭の子どもが来られる場所になりました。親の申し込みが不要なので、子育てに消極的な家庭、地域から孤立した家庭の子どもと出会うことになりました。子どもはもう何年も遊びに来ているのに、一度も親に会ったことがないという事例がいくらでもあります。イベントやプログラムがないので、集団で歩調を合わせて一つのことに取り組むのが苦手な子どもにも居心地のいい場所になったようです。大人の望むやり方や進度で課題に取り組むことが不得意な子どもも常連になりました。遊ぶも遊ばないも自由なので、独創的な遊びを一人で黙々とやることが得意な子どもや大人の許容範囲を超えてハチャメチャに遊ぶことが大好きな子どもが集う場にもなりました。
 こうした子どもたちに出会って、僕らは本当にたくさんのことを学びました。もっと上手に子どもたちとの日常を共有したいと児童精神科医などを招き子ども時代の遊びの大切さや、発達障害のある子どもたちへの接し方などを学びました。それを実践に生かしてみたら、ますます個性的な子どもばかりが集う場所になりました。それは市民だからこそできる子どもたちの居場所づくりに取り組んできた僕らに、最大の喜びをもたらしてくれました。
 出会った何人かの子どもを一つにまとめ、真実から逸脱することなく、創作した報告を少しします。
 Aちゃんとの出会いは鮮烈でした。当時、小学4年生のAちゃんは「たごっこパーク」に来るなり、ペンキ塗り作業中の僕のところへ寄ってきて「一緒に塗りたい」と言いいました。大半の子は初めて来ると戸惑う時間があるのに、屈託のない笑顔ですっと寄ってきました。二人でペンキを塗っていると、僕が何も質問していないのに、母子家庭であることや父親が出て行ったのは不倫が原因であること、背中には龍の絵が描いてあったことなどをやはり屈託のない調子で話してくれました。こうして「たごっこパーク」に足繁く来るようになったAちゃんは、天真爛漫という言葉がぴったりの遊びっぷりを見せてくれました。常連になって半年、不登校になったAちゃんに、学校を通じて配布している「たごっこパーク」のおたよりを家に届けたのが母親との最初の出会いでした。母親はAちゃんが楽しみにしている場を提供していることへの感謝を口にし、問わず語りに「もう十数年、近所の人とは話をしたことがないんです」とおっしゃいました。孤立した子育てをしていたのでしょう。「保護者面談では、あれが苦手だ、これが欠点だという指摘ばかりで。それに私の生活が乱れているから子どもが不登校にもなるんだって暗に言われるし。学校の呼び出しにももう行ってないんです」と複雑な表情を浮かべました。
 でも、Aちゃんからは母親の悪口をよく聞かされていました。話半分だとしても確かに適切な養育だとは思われませんでした。ただ、何人もの子から親への愚痴を聞かされますが、それに大きく同調することはしません。一時、その子の溜飲を下げることになったとしても、もしかすると結果的には負の連鎖を助長するだけになるのではという思いが頭をかすめるからです。だから子どもたちが愚痴る「鬼母」に会っても親を責めることはしません。Aちゃんの母親にも母親という役割への労いを伝え「僕らはバリバリ子どもの健全育成をしているわけじゃないから、大したことはできないけど、何かあればお金以外の相談にはのれるから」と笑顔で伝えました。できれば、親の心もほぐしてあげたいのです。地域とも学校ともつながっていない母親に「Aちゃんの気持ちもわかってあげて」などと伝えても、「あんな所、もう遊びに行くんじゃない」とAちゃんが言われ、絆が切れてしまうだけですから。
 Aちゃんのブログには、学校の教師への悪口や母親への憎しみと哀しみが日々綴られています。時には自殺に言及していることも…。「たごっこパーク」の夕暮れどきに直接、聞かされることもあります。「○○(教師の名前)のせいで行けなくなったのに、学校へ来いとか言うんだよね」「お母さんさ、育てるのが嫌だったら、生まなきゃ良かったのに…」。僕らはAちゃんに限らず、子どもたちのそうしたつぶやきにただただ耳を傾けるのみです。「あぁあ、今日は家に帰りたくないなぁ…」ひとしきり、教師と母親のことを話したAちゃんは、目に涙を溜めながら、そうつぶやきました。スタッフが「たごっこはうす(事務所)に泊まっていいかお母さんに聞いてみようか」と返すと、笑顔を浮かべ「ほんと?」とAちゃん。家を訪ね、母親に宿泊の許可をもらい、夜は一緒にカレーを食べました。出会った頃は小学生だった子どもたちの中には、思春期になると事務所へふらっと遊びに来たり、時には泊まっていくようになる子も少なからずいます。平日の夜は毎晩、中学生が入れ替わりで来て、勉強をしていくようになり、「寺子屋」と称すようになりました。6年前、非行傾向のある不登校の中学生に「俺に勉強、教えてくんない?」と言われて引き受けたのが始まりでした。
 「冒険遊び場たごっこパーク」を中心にした市民活動では、運営の特徴ゆえに生きづらさを抱えた子どもたちと何人も出会います。その多くは、単に親から不適切な養育を受けているだけではなく、地域からも学校からも排除という名の社会的な虐待を受けているように見えます。ときに、そんな子どもたちに何ができるのかと途方に暮れたりもします。それでも果たせる役割が少し見えてきました。それは、子どもたちと長く関わることで、子どもたちの利点、得意、長所を見つけてあげられるということです。子どもの欠点や短所を指摘することは素人でもできます。Aちゃんをはじめ、生きづらさを抱えた子どもたちとは、学校や塾・習い事とは違い、そして親の立場とも違い、遊びを中心とした何気ない日常を積み重ねてきたことで築けた関係があります。欠点、苦手、短所を親や教師などから指摘され続けている中、僕らは「素」でいられる場所だから表われる利点、得意、長所を観察することができました。それを伝えてくることで、信頼感や安心感が生まれたのかも知れません。
 それでも僕らの実践は本当にささやかで、これを社会的養護や支援と呼べるのかすらわかりません。でも、そもそも養護や支援という言葉には、上下関係が入り込む余地を感じ、揺らぎを覚えたりもします。僕らにできることは、日常の何気ない時間を共有しながら、それでもそこにきっと希望があると信じて、共に生きていくことだと思っています。これからも、子どもたちをハラハラと心配しながら見守り続け、地域の中で共に生きていくという使命を果たしていきたいです。
 そんな使命をもっと果たすべく、3月に旧東海道沿いにある商店街の空き店舗を借りました。だらだらできる児童館、あるいは、年齢制限がなく、申し込みも会費も不要の学童保育、そんな感じの子どもたちのたまり場づくりを始めました。愛称は「おもしろ荘」。
 遊びに来たBちゃんは、複雑な家庭環境に身を置いていることを話してくれます。はじめ親に連れられて来た不登校のCくんは、すっかりお気に入りの場所になったようで、今では市外から電車を乗り継いでやってきます。母子家庭のDくんは来るなり、母親とケンカし、二度と帰らないからと家を飛び出してきたと語りました。生きづらさを抱えた子どもたちとの新たな日常が始まりました。