「あしたのまち・くらしづくり2011」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 内閣総理大臣賞

中山道 岩村田宿 歴史と文化を生かした街づくり
長野県佐久市 岩村田本町商店街振興組合
はじめに
 長野県佐久市岩村田。この地名を聞いてぴんと来る人は少ないかもしれない。ところが避暑地軽井沢の隣といえば、おわかりいただけるだろう。江戸時代から中山道22番目の宿場町、商業の街として発展した岩村田。南北220メートルのアーケードのある岩村田商店街である。江戸時代からつづく、造り酒屋や、味噌蔵、旅館など長い伝統をもつ老舗を始め、様々な店舗がひしめいている。近くには五大稲荷の一つとも言われる「鼻顔稲荷(はなづらいなり)神社」を中心に、武田信玄ゆかりの寺、龍雲寺や仙石秀久菩提寺の西念寺など伝統ある神社仏閣を擁し、かつては栄耀栄華を極めた商店街であった。その商店街の中で、将来を担う若者たちが、大規模小売店舗の攻勢の波に飲み込まれまいと、必死の思いで振興組合を立ち上げ、様々な事業を実践している。コミュニティの担い手としての責務を果たすべく着手している事業をお伝えしたい。

1.「危機感」で始めた「学び」が「街づくりのコンセプトの構築」に
 平成9年に新幹線佐久平駅(本商店街から西へ1キロメートル)ができるとその周辺に大型商業施設が集積。一気に当商店街の来街者数が激減。そこから、商店街のシャッター化が始まった。
 このような状況に対応するために、平成8年、当時の商店街青年部に属していた若者たちが、役員である先輩経営者を説得して役員を一新。「岩村田本町商店街振興組合」を設立。理事の平均年齢が36.7歳と、全国で最も若い理事が経営する振興組合として商店街の再生をはじめた。
 まず、第一に始めたことは、「学ぶ」こと。「後継者養成塾」という名称で、毎月1泊(実際はほとんど寝ずに行なったので0泊)2日の合宿を1年間のカリキュラムで開催。商店街の理事が集まって、「商店街の経営」についても同時に学んだ。そこでひとつの答えがでた。

「商店街は商店のものでもない。商店経営者のものでもない。建物の所有者のものでもない。この商店街を利用してくださるお客様のものである」

2.数を重ねた「日本一イベント」への疑問から5000世帯の「お客様アンケート」の実施
 岩村田商店街の街づくりの基本的な考え方、コンセプトが決まる中で、次に考えたのは「日本一イベント」である。とにかくイベントで集客しよう! との考えの中から、平成8年に『日本一ながーい草もち』に始まる「日本一イベント」を、マスコミも巻き込んで、取り組んだ。毎回何千人という参加者に囲まれて、盛会にイベントは終了した。しかし、「これは、本当に個店が強くなることなのか」という疑問が残った。イベントの最中、店主はイベントにかかりっきりで、肝心な自店の商品販売が手薄になり、かえって、来店したお客様の満足度を下げてしまうというようなケースも、散見されはじめた。確かに、イベントには集客能力はある。しかし、本当に力をつけなければいけないのは各個店であるということをあらためて、考え直してみた。そして、方向性を大きく修正した。

 「共に生きる街をつくる」ためには、商店街をご利用いただくお客様が、今、何をこの街に求めているのかをつかまなければ、と考えた。そこで、岩村田地域の約5000世帯にまちづくりに関する医療、福祉、文化施設、伝統行事など14項目のアンケート実施。これを参考にして商店街づくりをしようということになった。回収率はなんと90%、4500世帯からの回答をいただけた。地域の皆さんのご協力の賜であるが、忙しい中、回答をしてくださった住民のみなさまにも頭が下がる思いで一杯であった。この回収率の高さにわれわれ商店街役員や商店主は町の人がいかに「街づくり」に大きな関心を持っているか、「商店街に期待を寄せているか」ということを痛感させられたのである。住民のみなさまは、「この商店街に良くなってもらいたい。利用するよ、支援するよ」と、アンケートヘの回答で答えてくださった。ありがたかった。

3.お客様の声から「お惣菜」の店づくりへ
 アンケートからお客様は何を望んでいるのかについて岩村田商店街のビジョンとの関わりからひとつの答がでた。生鮮3品の店である。早速、当時はたくさんあった空き店舗に生鮮3品の店を誘致しようということになり、様々なルートで告知、情報発信をしたが、出店しようという事業者はひとりもいなかった。当時の商店街は、約40店舗。そのうち7から8店舗が空き店舗であった。大手スーパーに客を取られている岩村田へ出店しても採算がとれないだろう、という判断が働いたのだと思う。
 そこで、われわれは、「自分たちで空き店舗を活用して『直営』で生鮮3品の店を創ろう」と考えた。
 地域とともに生きる街づくりを実現するという決意のもとではじめた構想であったので、必然的にこのような答えが出たのである。まずは「いわんだ市」という農業市をトライアルで開催して反応を見た。
 開店前からお客様が並んでいただけた。開店告知のチラシが功を奏したのか、開店と同時に、店内はお客様であふれた。大成功であった。地域の色々な人の力を結集できたからであった。北農の生徒も、実践的な小売の術を学んだようであった。その後、「いわんだ市」は、毎月、毎回、盛況であった。しかし、生鮮3品を買って家庭で料理するよりも、「惣菜がほしい」という声が圧倒的に多かった。この声を反映するために、「生鮮3品の店から惣菜店」へと、方針を転換した。今までであればこの方針を変える勇気は大変大きな壁になったであろうが、その時のわれわれは即時に決断できた。目的が明確であり、戦略的であったからだと思う。
 「本町・おかず市場」は、オープン人気での3ヶ月間を過ぎて、売上が少し減少したが、メニューの見直しをおかみさん会が中心となって行ない、業績を回復して、今では、売上年間2200万円、経常利益約300万円。当商店街の収益事業の柱のひとつとなっている。いわゆる「コミュニティビジネス」である。これは今や関東経済産業局から商店街の「ビジネスモデル」として認められ、全国にも紹介されている。

4.「手造り、手仕事、技の街」の象徴「本町手仕事村」開設
 われわれが空き店舗対策の一環として次に着手したのが「チャレンジャーズ・ショップ『本町手仕事村』」である。空き店舗を6区画に区切っている。2.5坪で1万5000円。「手造り、手仕事、技の街」をコンセプトとしている当商店街であるので、「本町手仕事村」の名称を付け、これに適した事業を行なう人を条件として募集した。県内にも、チャレンジ・ショップはあるが、当商店街は、チャレンジャー(挑戦者)という「人」に焦点を当てたものにしている。テナントとして貸すだけではなく、新しいものに挑戦する「創業者」、そして、「仲間」が成長する機会の場としている。
 商いに未熟な創業者に対して、各理事が経営をアドバイスする、お客様を紹介するということを実践している。起業家は、この本町手仕事村で自分の事業をまずは細々と始め、そして1年半から2年、着実に事業の密度を高め、自立できるという目処が立ったら、商店街がお節介を焼いて、それまであいていた空き店舗を次のステージとして用意した。もちろん、大家さんへの家賃交渉も商店街の理事が行ない、事業が早く波に乗るように格安の家賃を引き出した。起業の援助と空き店舗の解消、この二つが一気に解消できるスキームが確立したのである。「手造り、手仕事、技の街」これで4店舗が長年閉じていたシャッターを開けることになった。

5.ターゲットを明確に・・会員制度「子育て村」開設に始まる「子育て支援事業」に着手
 さて、次に取り組んだのは、平成19年、18歳未満の子を持つご家庭を対象とした「子育て村」という会員制度。
 当時、岩村田商店街の来街者層はおもに高齢のお客様。そこで顧客の対象をどう拡げるか。いろいろに考えた末、商店街は、これからの将来を担う「子どもたち」にスポットを当てることにした。この会員の特典は商店街の各店で様々な割引を受けられるというものであったが、開村後、会員を対象とした、親子一緒に取り組む様々なイベントを開催することにした。年間で13本くらいの会員様のみ対象のイベントを開催した。(吉家先生の講演や、デコチョコやバレンタインデーのケーキ作りや、昔の遊び講座など)そこでは、各イベントごとにアンケートを取り、次に商店街がしようとすることについての反応を探った。
 出てきた反応は、教育に対する不安感。周辺にある小学校は1100名を擁する県下でも2番目のマンモス校。当然のごとく、「うちの子は大丈夫だろうか」「学校帰りに立ち寄れるような塾はないか」など要望が出たその結果、会員の声をもとに、21年1月に全国でも初の商店街が経営する学習塾「岩村田寺子屋塾」を開校した。子どもたちを地域で見守り、育てたいという、商店街の考えのもとに、学校帰り気軽に立ち寄れる「子どもたちの塾」というだけでなく、親も学び、祖父母も学ぶ「三世代、四世代交流の学びの拠点」という性格を持たせた。大人のための「子育て塾」というソフト事業も現在、展開している。
 そして22年3月には「子育てお助け村」という「子育て支援施設」(短時間託児所、子育て相談所、子育てサロン)も隣接店舗を改造して開設した。佐久平も核家族化がすすみ、子育てに困る若年の母親たちの拠りどころとなる施設になっている。保母さんはベテランの60歳代。お母さん代わりに相談にのり、精神的な安らぎの場にもなっている。もちろん、彼女たちを対象の「おしゃべり街カフェ」なる、子育て講座も開催している。これら一連の子育て支援事業は2010年にっけい子育て支援大賞を授賞するに至った。

6.ターゲットをさらに拡げて「高校生が集う街に」
 また、同年3月、佐久平産の「米粉」を使った、「米粉うどんの店」である「三月九日青春食堂」をオープン。ここでは地元農業高校とのコラボメニュー「北農カレーうどん」をはじめとする米粉うどんや地元食材を利用した料理を提供。商店街直営の店として運営。また、地元実業高校が平成27年に統合され、総合技術高校になるため、その前にその高校生のための店である、「高校生チャレンジ・ショップ」をオープン。そこでは農業高校生による、「北農市」(収穫した野菜や花卉を販売)を開催するほか、そのほかの高校も自分たちの店として、運営を主体的に行ない、ゆくゆくは模擬株式会社を設立して高校生による自主運営までを視野に入れている。そこでの様々な取り組みや研究を地元企業にアピールし、そこから新しい商品開発や、技術開発が生まれ、地元企業と高校生との連携も生まれることになる。そうした企業との連携の拠点となるような店にしてももらうべく、商店街がバックアップする。27年には総合技術高校のカリキュラムの一環として組み入れられることも予定されている。これらの事業をとおして、高校生たちに愛着を持ってもらえる商店街、高校生が回遊する商店街にしていきたい。

7.地域協働の街へ
 岩村田商店街では平成22年7月。電子マネー「佐久っ子ワオンカード」事業を開始した。これまで対立の構図を生んでいた大手商業施設「イオン」との地域連携を実現する企画である。これからは大規模集積店舗と商店街は対立するのでなく、地域の住民のためにも連携してよりよいサービスを地域に提供することが第一と考えるようになった。そして、商店街はイオンに負けない個店を磨き込むことで良い意味での競い合いが重要であると考えるに至った。イオン側も地域と連携したいという思惑も一致して提携することになったのである。また、この事業は商店街各店舗が個店力を上げ、イオンの専門店と良い意味での品質の競争を意図するものである。
 カードの機能としては、岩村田商店街のポイント佐久っ子ポイントとイオンのポイントであるワオンポイントがダブルで貯まるポイントカードであるばかりでなく、子どもの居場所を母親の携帯に知らせる「見守り機能」や将来的には図書館の貸し出しカード、病院の診察券等も機能も持たせられる、市民カードとしての機能を持たせられるカードになっている。このカードを使って、今後も様々な事業が展開できる可能性をもったカードになっており、これを機に様々な運用も期待できる。

 また、先般の東日本大震災においては、当商店街の青年部が中心となり、被災地である岩手県大船渡市の綾里漁業協同組合の青年部のもとに、4月11日に支援に駆けつけた。綾里漁協とは、震災の1ヶ月前に青春食堂プレオープンイベントの賑わいとして、小石浜帆立の実演即売を行なっていただいた縁もあり、炊き出しと物資援助を行なった。佐久市との友好都市のご縁でこういう活動が実現できたことは当商店街にとっても大変有り難いことであり、今後も引き続き、綾里漁協とは連携をとって参りたい。

 さらに、今年度は、宿願の「生鮮3品の店」を開店することになっており、これも商店街直営の店として運営していく予定である。そして、そこを拠点とした買い物弱者対策事業もあわせて開始する

 そして、もう一つは昨年度から行なっている「若手人材育成事業」である。平成8年に若手経営者が立ち上がったように、これからの商店街を力強く、支える人材の育成こそが当商店街の喫緊の課題であると考えている。育成塾は3種類。「起業家」のための「起業家育成塾」、後継者のための「本町あきんど塾」、地域の起業家のための「岩村田あきんど塾」である。若手を育成することは、この商店街という「畑」を耕す意味で最も重要な要件であると考えており、今年度も継続して実施する。

8.今後にむけて
 商店街が活性化のためにいろいろな事業を推進していく必要が出てくる。それを実現する上で、継続的にその事業が運営されるためには、商店街が独自で収益事業を展開し、その収益で社会貢献事業の費用を補填する構図をとっていかねばならないと考えている。もちろん、国や県や地元佐久市の様々な助成を事業開始時に助けていただきながら、さらには、行政や商工会議所との連携、学校との連携、地域との連携、綾里漁協の用意遠隔地の協力団体との連携こそが非常に重要な「社会資源」であり、「必須要件」であると考えている。それらの連携があってこそ、「活気あふれる、賑わいのある商店街」が実現できると考えている。全国発信の事業として、商店街にエールを送っていただく「がんばれ商店街」川柳77選事業などの全国への情報発信事業も間髪をいれずに実施していくことにしているが、今後も「地域密着顧客創造型商店街」として、全国の「コミュニティの担い手」として、そのモデルとなれるように、積極的に活動してきたい。市場を刺激し、顧客を創造する仕掛けを作りながら、魅力ある個店を増やすことで、交流人口でなく、購買人口が増える街に発展させていきたい。光栄にも、当商店街は平成21年に「中山道の趣を感じられる歴史と文化の町づくり」という事業が「地域商店街活性化法に基づく商店街活性化事業計画の第一次認定」を受けることができた。幸いにして、これを基軸に商店街活性化の活動を活発にできている。今までに先輩から学び、仲間とともに学んできたことをダイナミックに実践していきたいと考えている。これら一連の事業を通して「にぎわいの創出」を実現し、「美しく、安心、安全の住みよい街づくり」の中心となる商店街を創造することで地域貢献することこそが商店街の究極の使命であると考えている。そして、全国の活気ある商店街のひとつに数えられるよう、次世代のリーダー育成を怠ることなく、今後も地域発展のためにまい進したい。