「あしたのまち・くらしづくり2010」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

食育を通しての地域づくり―都会でむらづくり―
東京都北区 ほっと村
 「ほっと村」は、子育て真っ最中のお母さんたちが「食」を通じて考え合い育ち合う仲間づくりをする中で、次々に湧いてくる悩みや疑問に真正面から向かい合い、何とか自分たちの力を寄せ合って、他世代の支援も受けながら解決の道を探ろうと、常に進化している団体です。
 その魅力は、拙いかもしれない素朴な疑問に当事者意識で必死に取り組む情熱と、そこに集う素敵な「自分で考え・悩み・解決に向かって知恵を寄せ合う」母親たち、そして地域の様々な支援者たちの織りなすタペストリのような多彩さにあるようです。地域の中でも異彩を放つ存在として、各方面から注目され、マスコミや地域メディアにも取り上げられてきました。
 今回、さらにステップアップする準備の時にあたり、これまでの経緯を整理する必要から本活動賞の応募を試みました。新たな歩みを、振り返りの中から確かに始めるために…。


「ほっと村」誕生の物語

 東京都北区は、歴史と文化に裏打ちされながら、都内では「20番目の区」と噂される「遅れた」イメージの地域でした。少子化の危機を脱するべく策定された子育て支援の施策も、国の呼びかけから7年ほど経った平成13年に、漸く、しかし大急ぎの突貫工事により「北っ子プラン」の策定、「育ち愛ほっと館」の開設、ファミリーサポート事業の開始、と進められたのです。
 「育ち愛ほっと館」は開設当初、民間の創意工夫で企画運営がなされる委託事業としてユニークな事業計画を立ち上げていました。その中のひとつに、「食」と「農」をテーマとする事業「ほっと村の人々」がありました。
 第2次世界大戦の折に疎開でご縁のできた群馬県甘楽町が、遊休農地を区画して貸し出す「ふるさと農園」。これを借りて、子育て中の親たちに年間を通して農業体験と学びを提供する事業です。
 当時この事業の担当者であった私は、ここに大きな希望を見出しつつも、幼い子を育てている若い母たちをどうやって遠路はるばる甘楽町まで連れて行けるか、また見たことはあってもやったことのない農業というものを、どのように都市の生活の中に根付かせたらいいのか、悩むばかりでした。
 その後、様々な出来事に行く手を阻まれながらも、一人・二人…と、関心を持ってくれる母たちが現れました。甘楽へのバスツアーの他に、「育ち愛ほっと館」の敷地の中にも畑を作り、身近なところでの体験と併せて「都市と農村」「食と農」のつながりを実感し、伝え合う取り組みを続けました。
 そうするうちに、子育てに悩み・戸惑い・怒り、もって行く場のない相談を次の世代の人とも共有したい!と願うお母さんたちの声は「おしゃべり畑」という提案になって私のもとに届きました。しかし、諸般の事情が許さず、受託事業を離れたところで自主的に立ち上がることを進めるしかありませんでした。
 こうして、予想外の展開で放り出されるようにして、「ほっと村」は赤羽の地に産声をあげることになったのです。


独り立ちしてからの快進撃

 平成16年、赤羽の旧居酒屋空き店舗を借りての、有機野菜販売とお昼ごはんを食べる会は、翌年から始まった「王子装束ゑの木市」への出店というかたちで、多くの人の知るところとなり、徐々に仲間を引きつけて行きました。
 社会参加しにくい子育て中の母親たちが、出会い、悩みを話し合い、共同作業に取り組むうち瞬く間に力をつけていく様は、眩しいような懐かしいような、私たち支援者の側にも共に生きる喜びを感じさせてくれるものでした。
 北区の小中学校で行なわれてきた給食残さのリサイクルシステムについて学び、甘楽町に何度も出かけて確かめ、自分たちで栽培も体験し、美味しい有機野菜を調理し、食べ…そしてこのシステムを多くの人に知らせ、次世代に引き継いでいこうと考えて行動するお母さんたち。その先頭に、不安げに立ちながらたくさんの人に支えられて「ほっと村」を育て、自らも大きく成長してきた代表の古賀さんは、4人の子どもを悩みながら育てる母親として、八面六臂の活躍をしてきました。
 平成19年に「食育ひろばほっと村」を設立。折しも始まったばかりの「地域づくり応援団事業助成金」を取得し、その後も「独立行政法人福祉医療機構」助成事業、「北区産業振興課空き店舗活用コミュニティ市事業」のほか、平成20年からは、生活学校を母体として北区に4館目が新設された「赤羽エコー広場館」を運営する「北区リサイクラー活動機構」のもとで、「食育ひろば」の運営を受託して週3日活動しています。
 また、旧居酒屋からほど近い別の店舗に移転して、週4日「赤ちゃん八百屋」を営業し、ここでの活動で、さらに多くの子育てママとの出会いと、活動や学びの場の提供を広げることになりました。
 今回縁あって、都の助成金を取得しての再移転と、本格的な「赤ちゃん八百屋」の運営に取り組むことになったのですが、いくつもの障害を乗り越え、お母さんたちと力を合わせ、新たな出会いと強力な助っ人たちの支えを得て、快進撃は続きます。


見果てぬ夢に向かって

 「赤ちゃん八百屋」の利用者や活動者だった若い母親たちは、今回の移転にそれぞれの思いを重ね、夢をかけて、改めて自主的に参集しているように思います。目を輝かせて各自の得意分野に分担シフトし、新しい店の内装・レイアウト・品揃え・コンセプト・ユニフォーム・広報宣伝などを考え、話し合う姿は、孤独な子育てに悩み引きこもる人たちに「あなたも…」と呼びかけたい熱気に溢れています。
 お金も(そんなには)無い、力も強くない、経験もまだまだ少ない…そんな母親たちが集って、少しずつの知恵と勇気を寄せ合い、新たな夢に向かおうとしています。
 不足分をどうやって捻出したらいいか、次々に策を練り、来年度は、学校給食に甘楽の有機野菜を導入する仕掛けはできないかと、北区に働きかけていきます。
 この俊敏な行動力と、怖いもの知らずの勇気(=有機?)はどこから湧いてくるのでしょう。「赤ちゃん八百屋」は、単なる販売の場所ではなく、「食育プラットフォーム」として、また商店街の元気の素として、自分だけでなく、たくさんの悩める母たちとその子どもたちと共に生きていく場にしていこうとする、子育て当事者の自助活動に成長しました。
 移転後は、皆の知恵を寄せ合って「土にかえる」「ほっこりとした」「知恵袋」を柱とする新しい村に生まれ変わります。いつも人が出入りして、異年齢の交流と自由な学び合いができ、親子で楽しみながら、マニュアルでない自分なりの子育てを探る…。
 こういう声を聞きながら、これは、悩みや迷いの中から「子どもを保育所に預けて、雇われて働く」だけでない、別の働き方・生き方を探り始めた母親たちの、まさに「明日の日本」を創ろうとする新たな運動かもしれないと、少し先に生まれて、無我夢中で自分らしい生き方を探ってきた私は、頼もしく嬉しく感じています。
 どこまでやれるか分かりません。また次の試練が道を阻むかもしれません。でも、ここに確かに存在する、「一個の人」としての母たちの夢に、どこまでも寄り添って歩いてみたい。そうすることで、自分が歩いてきた道も、遠い未来の、そう目の前で今笑い転げ、泣き叫んでいる子どもたちの幸せにつながっているかもしれないと思える…生きてきてよかった、これからも生きていけると感じ合える…
 そういう仲間をつないでいきたいと思うのです。


子どもが安心して育つまちを創る

 平成13年に北区に灯された子育て支援の灯は、今、母たちに受け継がれました。支援を受ける人から、自ら助け合う人の輪に、そして次の世代にバトンを手渡す人の集団に。
 インキュベーターとして、「育ち愛ほっと館」の一部事業を受託する中で、「ほっと村」にそのコンセプトを手渡し羽ばたかせた「北区子ども感動コミュニティ機構」に感謝と敬意を表しつつ、子育て当事者が主体となって取り組む「都会でむらづくり」の活動に、多くの人の温かい見守りとご支援を願ってまとめとします。
 政治も経済も、先行きの不安が拭えない今日の日本をたくましく生き抜く、「素敵な肝っ玉ママたち」は、きっと安心して子どもが育つ「あしたのまち」の創り手・担い手となってくれることでしょう。