「あしたのまち・くらしづくり2010」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 総務大臣賞

世代と国境を越えた女性たちの人づくり、モノづくり、夢づくり
大分県別府市 NPO法人大分人材育成・地域文化交流協会
はじめに

 特定非営利活動法人大分人材育成・地域文化交流協会の誕生は、1994年の「一村一品女にまかせろ100人会」の結成に遡る。
 このとき、「豊かな暮らし誰にも誇れるふるさとづくり」の目標の下に集まったのは、県下農漁村からの味噌やカリントウなどモノつくりに取り組む女性たちを始め、町の製造業の女、旅館の女将、人形つくりや民謡の先生、太鼓をたたく女と、さまざまな女性たちであったが、すべて家業やまちづくりの主役たち。
 初めて体験する異業種間の情報交流、そしてモノづくり体験の中からの課題や問題点の話し合いなどを重ねるにつれ、会として連帯感を生み出すと同時に相互の競争意識も芽生えて、会としての活動は急速に成長発展し、県下地域づくりの先導的役割を担うまでになっていった。
 2004年には特定非営利活動法人「一村一品女に任せろ100人会」へと発展し、2005年に現「特定非営利活動法人大分人材育成・地域文化交流協会」へと変身を遂げた。
 時代を先取りした協会の活動は、地域に新しいうねりをつくり、さらには海を渡り、その輪は世界へと広がり、多くの感動とドラマを生んでいる。


ムラの生命を都市の暮らしヘ

 ムラには、自然・水・風土・生きもの・食物・文化など豊かな生命がある。この生命を、ムラに生きる人たちが大切に守り育み、そして都市へ。都市は、この生命で得たエネルギーをムラに還元、豊かさが循環する。
(1)まちとムラをつなぐふれあい市場
 1995年7月の早朝、大分市の中心地、竹町ガレリアに20台のリヤカーがにぎわった。
 荷台には、ところせましと野菜・果実・花き・芋類・豆類・新鮮な農産品や加工品等、各地方からの産品がぎっしり山積みされている。
 ムラの人たちが心をこめた逸品。この市場は、「一村一品女にまかせろ100人会」が結成以来、毎年7月から12月まで、月1回開催を続けた。当時、朝市やバザールは、既存の施設やコーナーを利用して開設されていたが、当初100人会は、リヤカーで町の中心を売り歩く計画であった。
 しかし、保健所、警察署の許可・指導により定位置でリヤカー部隊の朝市となった。
 ムラの人は、まちの人のニーズや売れ筋の商品がわかり、産品づくりに多くのヒントを得た。まちの人は、生産者の顔が見え、新鮮で安心・安全な産品を手に、調理の仕方まで習い満足。それ以上に、ムラの人は売上金を竹町の商店でパッと使い、月1回の楽しみの場となった。
 「継続は力」8年間続いたこの活動は、人・モノ・地域を結び、新しい交流が生まれ、その輪が広がり、各地域でユニークな活動が始まった。女性たちは、これまで以上に産品づくりに精を出し、地区の加工所はフル回転。産品は各地域で、女性たちが運営する「ふるさと宅配便」や、「一番列車」、「販売所」、「ふるさと食堂」等で販売された。
 結果、2005年には、農村女性起業家の個人・団体共に、九州で第1位、全国第3位となった。
(2)ふるさと一番さんの味・技・物語(2007年10月〜2010年2月)
@ふるさと一番さんの宿開設
 県下には、ムラの暮らしと関わりが強く、すぐれた能力や技術を保持する「ふるさと一番さん」が存在。平成3年、県は認定をしたが、最近では活動の場がなく、地域には、豊富な人材が眠っていた。
 当組織内にも数名いたことから、新しく地域活性に一役担ってもらう活動を開始した。そのひとつが各地域で育まれたふるさとの料理・味を「ふるさと一番さん」によって再現するために、「ふるさと一番さんの宿」を開設した。自分の技がお金になることに緊張感はあったが「一番さん」は、活き活きと生産から料理の由来・実演と一段と技にみがきがかかり、参加者は、100年の歴史を持つ旅館で、美味なふるさと料理や、農産品のお座敷市場を堪能した。この評判は、次々と口コミで広がり、毎回定員をはるかに上回り、主催者も参加者も一緒になって、喋って、食べて、比べて、ムラの人もまちの人も皆元気になった。会を重ねる毎に、ムラやまちの人々の垣根を超え、励ましあい、大分の豊富な人材・食材・食文化を理解し、また再発見した。
Aすご腕・美味三昧物語
 この物語は、「一番さんの宿」から続いたもので、大分の豊富な幸、食材を存分に生かし料理人の感性・技・もてなしが調和した究極な美味三昧の場として、ムラの人まちの人の声をもとに開催した。
 料理人は心いきと技が光り、生産者は物づくり人としての誇りと喜びを、味わう人は感謝と感動を、そしてこのことを次の世代にも伝え、根付くことを願った。
 物語は作り手登場からはじまり、美味三昧。調理人からのメッセージ。素材を作った人、それを調理した人、それを味わった人と人が語り合う会場は人気絶頂の由布市湯布院温泉の旅館。季節を楽しみながら参加者は、毎回定員を超えた。
 物語の前半は、ふるさとのすぐれた知恵・技を持つ人材の再発見と役割向上に効果的であった。また、県内の食材および食文化の発掘と伝承活動促進の起爆剤となった。
 後半では、料理人から生産者に対して、美味な食材の種類、規格、品種等について要望があり、生産者の生産意欲を促進した。
 また、料理人は食材に技をかけ、最高な料理づくりに喜びを感じ、積極的にふるさとの食材を生かす気運をもたらせた。
(3)まちとムラの生命を育む農場開設(2007年5月〜2010年1月)
 農村の混在化、荒廃する田畑、水路(川)担い手不足、ムラの生命を育む環境・地域力の低下、さまざまな現象に対応して、まちとムラをつなぐ農園をモデル的に農村の地域内に設置し、ムラの生命の大切さを普及した。
@ちびっ子農場
 2年間は、小学生を対象に2地域(由布市挟間町・日田市天瀬町)でちびっ子農場を開設。活動方法は、子どもの手で握る大豆100粒づくりを通して自然とのかかわり、土にふれ、ものづくりに親しみ、生産(栽培)の喜び、それを料理、食べることへの感謝や大切さを学び、合わせて食育活動を実践した。
〔主な作業記録〕
対象・参加者 由布市挟間町小学校児童
小学生2年〜3年(12名)
父兄
日田市五等小学校児童
小学生5年〜6年(26名)
父兄
作業記録 6月30日 大豆をまく(1回目)
7月26日 大豆をまく(2回目)
9月9日 味噌づくり(仕込)
11月13日 収穫
14日 収穫した大豆できな粉・郷土料理のだんご汁作り
12月23日 感想会
6月29日 大豆をまく
9月1日 大豆畑の草取り
10月30日大豆を収穫
11月20日 収穫・感謝祭、きな粉・豆腐づくり
12月23日 感想会
感想 一粒の大豆から芽が出て一本に50粒以上の豆がついていることにおどろき、感激した 大豆から多くの食品が生まれ、身体によいものばかりで日本の食事と縁が深い、栽培して楽しかった

A共生農場
 この農場は立場の違う人と人とが共生し、実践活動を展開した。モデル農場は2ケ所(豊後大野市・日田市天瀬町)。
 作目は、大豆・米・野菜である。活動は、作業計画と役割分担表を樹立し、あぜ道教室(農作業における知識・技術)を開催し、農作業体験・収穫祭・食談を行なった。
 参加人員は、農業者は66名、非農家45名と中国研修生が加わった。日田市天瀬町の農場は、健常者と障害者の共生で、豊後大野市は、農業者と非農家と海外の人との共生である。安全・安心な食料の確保は、世代・国境を超えても大きな課題であることをこの活動を通じて感じた。また、人と人が共生して、農業・安全な食料確保することも大切で今後の方向を確認した。

ふるさとに生きる知恵・技・文化が世代と国境を越える
 ふるさとには、先人たち匠の知恵・技・そこしかない文化・地域文化がある。また、日々の暮らしの中で明日に向かって夢を追いかけ、さまざまな活動に挑戦・実践した責重な体験がある。
 しかし、それらのことは、自慢や宝だとは気づいてなく、当たり前のことと思っている。女性たちは、海外の人と交流、異文化にふれてふるさとを見直し、ふるさとの文化が宝であることに気づき、また体験や実践活動(失敗した活動も含む)を通して人が磨かれる、その渦の中で女性たちはさらに成長していった。
(1)日本大分・中国甘粛省文化交流週間
(活動の背景)
 「一村一品」の「品」は、農漁産品だけでなく、「文化」でも「スポーツ」でも「謡」でも良い、当協会の名称にも「地域文化」と位置づけていることから会合には、必ずといっていい程ふるさと自慢の謡、踊り、劇が披露される。
 組織が結成されて、女性たちは、有志でふるさと劇団「惑土座」を結成し、地域内のお祭りや老人ホーム等を訪問、またNHK大分放送局のテレビ出演したこともある。大好きである。貧しい農村暮らしの時代唯一の娯楽で、悲しみをのりこえる手段のひとつでもあった。
 こんなこともあって、女性たちは、海外交流活動においてもふるさと芸能・文化を発表、出演したいという本音と地域の文化の再確認を通じて、次の世代に伝えなければという責任の気運も高まった。
(活動の経過)
 さっそく「国際協力、交流、部門」と「観光文化部」でプロジェクトチームをつくり協議した。その結果交流の対象は、一衣帯水の隣国で歴史的にも深いつながりのある中国と決定した。といっても中国側は、このことを全く考えていない、ゼロからの出発であるが、「心いきとやさしさがあれば道が開かれる」と信じて、中国・政府・関係者を通じて活動開始。一番力となったのは、日本語の上手な駐日中国大使館勤務の文化担当書記官と、中国婦女連会合の国際部職員であった。
 具体的な開催省(日本でいう県)を決定するのに、大分県と最も関係のある、特に文化的交流条件を満たし、交流のあるところ、その結果大分の臼杵市と甘粛省の敦煌市が、交流協定を結んでいることを知り、甘粛省に決定した。中国政府の海外文化交流関係は、各省に「対外文化交流協会」があるということを知り、甘粛省蘭州市に行って、交渉した。関係者の協力により共同の企画書を策定した。
 中国側は、省内に数多くのユニークな芸術性の高い雑技団や歌舞団等がある。訪問した際に、交流団体の選定から日本人が最も好む作品まで全て協議した。
 結果、表のような実績となった。
交流期間 会場 訪問人数
第1回
(2003年)
11月4日〜11月10日
(7日間)
別府市ビーコンプラザ・玖珠町 32名
(中国)
第2回
(2004年)
7月29日〜8月5日
(8日間)
蘭州市(2回)、敦煌市(1回) 72名
(大分)
第3回
(2005年)
12月4日〜9日
(7日間)
別府ビーコンプラザ、玖珠町、蒲江町 35名
(中国)
第4回
(2006年)
8月20日〜26日
(7日間)
蘭州市金城(2回)、蘭州市 36名
(大分)
 第1回は別府市ビーコンプラザでの開催。中国側は、甘粛省の自然を紹介する写真展、絵画展もあわせて行なった。ホスト側の大分県は、日頃自慢の郷土芸能に日本古典芸能を組み入れた2部構成。企画、創作、演出、プログラム作成等はベテランもいてさしたる困難はなかったものの、最も難渋したのは費用・経費の工面。
 全く素人の女性たちである。広告料・協賛金集めの上手な人は、会員にその要領を教えて、会員が中心になって試行錯誤の寄付集め、何とかこなしたが目標額に達するまでには時間もかかった。また、国や報道機関への後援依頼などの手続きは何度も、何度も訪問して熱意を示し、ついに協力体制をくみ上げて、国際的な大事業を成し遂げたのであった。
 この達成感に立ち、女性たちはまた、「何事も不可能ということはなく、成せば成る」ということを全員が実感した。
(活動の成果)
 中国の人々と文化交流活動を通じて「相互に理解」し「相互に利益」をもたらす関係が芽生え、世代を超えて友情の絆が深まったことは、大きな成果であった。
 また、お互いの地域には誇れる文化があり、先人たちの知恵・技が埋もれていることも再認識でき、女性たちはさらに自らに磨きをかけ、より多くの地域の人々を巻き込みながら、次代に伝承していくことの必要性を改めて自覚した。
(2)中国人材育成研修受入機関の認定
 アジア各国を訪問し、さまざまな分野での交流を積極的に展開した。なかでも、中国とは頻繁に交流を行なった。甘粛省、陝西省での植林活動から女性活動交流会、子女教育費支援活動や文化交流活動等、さまざまな活動が認められたのか、2005年「中国政府国家外国専家局」から、中国人材育成受入研修機関として、九州ではトップで、しかも女性組織としては初の受入機関として認定を受け、現在に至っている。
実績(2005年〜2009年)
○研修受入団体=58団体
○研修受入人数=1105名(1団体10名〜25名)
○研修日数
最長=1団体 28日(うち大分県内14日)
最短=1団体 10日(うち大分県内5日)
○研修内容
・一村一品運動の理論と実際
・農業、新農村開発と技術
・農業の試験、研究機関と人材育成
・自然エネルギーの活用と環境保全
・安全な食料確保と試験研究機関
・災害、危機管理、体制 等
(活動の成果)
 年々研修の領域が拡大し、研修の方法も講義だけでなく体験や実地指導等を要請された。研修生受入から研修内容プログラム、研修生受入先依頼や研修指導者の決定、研修方法(講義型から体験型)研修の進行管理と女性たちは、それぞれ役割分担して取り組んだ。
 中国の人材育成研修を受入することによってそれが、女性たちの人材育成の場となり研修期間中のプログラムにも対応するので国境を越えての相互の交流研修となった。
(3)ふるさとoneコイン劇場
 組織結成15年の節目ということで、ふるさとを愛し、次代に誇れる地域文化、母たちの生きざまをテーマに「豊の国の愛情物語」として紹介し、やさしさ、心意気、感動を共に味わうことを目的に開催。
 企画、創作、演出すべて100人会。ONEコイン(500円)の劇場を県内唯一優雅な大分市能楽堂で開催した。
開催実施 2009年1月25日
     2010年11月19日
内容
・口上「おおいたすご腕お嬢」
・対談「われら一生青春」
・ふるさとの唄
・芝居、浪曲「豊の国愛情物語」
・愛のもちまき
・まちとムラを結ぶふれあい市場
・お茶席
 この活動を通じて県内の女性の生き方・役割が時代ごとに変化し、多くのドラマがあったことを確認した。このことは、ふるさとを愛し、次代に伝えたい思い、女性の生き方に多くのメッセージを与えた。


次世代に誇れる大分をめざして

 組職名を変更してからは、活動領域も拡大し、急変する社会情勢に対応して、さまざまな事業が結集し展開した。部門ごとの活動を有機的に結び合い、誰もが住みたくなる次の世代に誇れるふるさとづくりは、自分たちに課せられている、今、燃えなければと活動展開。
(1)2009年輝く女性交流大会イン大分―アジア6カ国女性会議―
 国や県が実施するような国際会議を大分で開催し、大分からアジア6カ国の女性たちの活動を発信しようと超イベントに取り組むことになった。全てゼロからの出発であるが、これまで大事にしてきた人脈とそこから得られる情報を最大に生かし、また女性たちが燃えた。他の組織の女性たちも加わり、女性ばかりの実行委員会を結成し、機能的な役割分担をすることが出できた。
(活動経過)
 最も時間をかけたのが、開催目的(主旨)を共通に確認し、参加国の範囲と開催要領について協議を重ね、策定した。
 次に、各国の大使館や領事館に協力、後援依頼を行ない、言葉・表現力・説明が十分できず、方向を転換して、これまで交流のあった国々の人脈を最大に活用し、情熱と根気で参加国を決定することができた。
 次に参加者の選定で各国間のバランスもあり、平等に対応しなければならない。交渉していく過程で、各国の事情や、プレトコールを理解しておかねばならないので、各国の担当責任者とメンバーを決めた。
 簡単な英会話を学ぶ人。それぞれ国の挨拶用語集を買って勉強する人。さまざまであったが誰も目的に向かって多くの関係者、協力者を巻き込みながら、走っていた。
 次に、経費の捻出方法で、予算も十分でないことから協賛金・寄付金等の収金活動を会員全員で行ない、どうにかまかなうことができた。
(大会前夜)
 カンボジアから女性大臣と国の高官が2名。韓国は、政府高官・企業の社長はじめ、タイ・モンゴル・中国と総勢25名の海外組が、ホテルに到着した。女たちは、慣れない手つきで歓迎した。
 大会の会場には、アジア6カ国の国旗が成立し、大分の女性たちの手で、初めて、国際会議が開催されようとしていた。会場には、1000人近くの仲間が見守り、熱気と興奮の中、第1回2009年「2009輝く女性交流大会イン大分」―アジア6カ国女性会議が開催した。舞台裏は緊張と感動で、震えた。初めての試みで、全く経験もなく、言葉もできなく、情報量も少なく、お金もない、ないないづくしであったが、この経験から第2回開催の道すじができ、「2010輝く女性交流大会イン大分」―アジア6カ国女性会議が記念すべき「世界女性の日」3月8日に、日本大分で開くことができた。初参加で感動したベトナムの婦女連合会副会長から、ベトナムで10月に開催される「アセアン女性会議」の招待を受けた。
(2)留学生支援室の開設―モンゴルマザー会と交流協定を締結―
 大分県に在住する留学生数は人口比で、日本一ということから留学生が「安心して学べる生活環境づくり」と「若者が定住したくなるふるさとづくり」を目標に、慣れない生活習慣・異文化に多くの問題を抱え、少しでも親代わりとなって助言、支援ができるようにと願って2006年「留学生支援室を設置」した。
 留学生は、さまざまな問題をかかえ、相談に来た。ゴミの出し方から入浴の仕方、健康不安、生活費、アルバイト先でのトラブル、友人関係(恋愛問題)、学費と対応に追われた。
 女性たちは、留学生の母親となったことを自覚し、役割分担を行ない、留学生の出身国別に対応、問題や課題解決のため、何度も留学生と話し合った。留学生との間も親密になり、大分の生活に慣れ、大分を第二の故郷と思う、世界の次代を担う若者が誕生している。
 また、留学生の母国の母親との交流も積極的に行なわれ、大分マザーとモンゴルのマザーとが友好交流協定を結び、「大分マザーモンゴルマザー交流フォーラム」が、モンゴルの首都ウランバードルで開催し、父兄の親戚クラブまで結成された。
 卒業式のときは、別府で両国のマザーの交流パーティー、そして第二のふるさと観光巡りを留学生の案内で楽しみ、親子共々多くの思い出を作った。
 一方、中国の留学生は卒業後、帰国しても大分の母親として、家族ぐるみの交流が行なわれている。また、中国と大分を結ぶ架け橋となって当組織の交流活動の窓口として、この4月に事務所を開設した。私も7月に訪問した際、一生懸命仕事をしている姿に感動した。
 この若者たちがきっと、第二のふるさとの大分を大切に思い、大分の入・モノ・文化が世代と国境を越えて語りつがれていくと信じている。


おわりに

 急変する社会の潮流の中で、100人の女性たちは、顔の見える活動にチャレンジ。それが一村一品の創出。初期段階で「すご腕繁盛記」を出版したことも女性たちを主役にして登上させたいと願ってのことであった。
 これがきっかけに女たちは、変貌、脱皮を繰返し、いまやアジア6カ国女性会議を大分で開き、中国研修生の受入を既に、何十組もやってのけたりの活動に至る。
 しかし、全てスムーズに活動が展開したわけではない。農村の古い慣習の中で、新しい風を起こすことは、勇気のいるもので、知恵出せ(知恵がなければ)、汗出せ・声出せ・踏み出せと、励ましつづけた。
 女たちは、走りながら考え、未経験領域の橋を次々と渡る。ともすれば、地域で忘れられがちだった匠たちを、いかに元気づけたことか。伝統文化の素晴らしさを気づかせたことか。人と人の出会い、地域との出会いを大切に行動した。
 これからも、共生をキーワードに大分から豊かさが実感できる種をまき、世代と国境を越えて発信し続ける。