「あしたのまち・くらしづくり2009」掲載 |
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞 |
通院車運行ボランティア17年 |
静岡県掛川市 原田地区通院車運営委員会 |
掛川市では昭和54年4月、全国に先駆けて、生涯学習都市宣言「掛川市民は、少しでも多くの幸せを実感するために、健康で生きがいを持って生きていくために、お互いは何をすべきかと、いつも問いかけながら、一生涯学び続けていこう。市制25周記念に当たり、掛川市を〈生涯学習都市〉とすることを宣言する」をし、三層立でその推進をして来た。最初のころは上の人たちのみが騒ぐ竹藪学習といわれたが、〈地球・美感・徳育〉・〈戦争と平和の100年生涯学習決議〉・〈歩行文化・スローライフ・報徳文化都市宣言〉…等と具体的な項目が示される中で市民の中に徐々に根を下しつつあると思う。その推進の中心になったところが二層にあたる20地域の地域学習センターであった。私たちの地域は市の北西部に位置し、面積だけは山林が大部分を占め2番目に大きいが、戸数は450戸、人口1900人と下から3、4番にあたる地域の学習センターであった。建物だけは一番最初に建設され、活動はこれから作られる他地域の手本にならなければと、当初のセンター長や主事はその組織や活動内容も創意工夫に努力された。私は、そのセンターに昭和60年、主事を依頼されセンター活動に関係するようになった。 平成2年、原田地区は県の福祉研究指定を受け、福祉意識調査を行なった。その結果、高齢者の「病院へ行く足」の問題が大きくクローズアップされた。福祉部では、早速、市へ「病院への足」を確保してくれるよう何回にもわたり交渉したが、問題の解決には至らず、交渉は2年余かかり、最終的に「宝くじ号のバスを貸与するからボランティアで運行するようにしてはどうか? ということになった。当時、生涯学習のフレーズに〈一人・一芸・一ボランティア〉があり、各地域の学習センターでは、書道・生花・舞踊・民謡…など各種の芸ごとの学習は毎夜のように盛んに行なわれていたが、ボランティアという言葉の影は薄かった。他人の命を預かる運転ボランティアだけに心配をしたが、福祉部長を中心に平成4年に「通院車運営員会」を組織設立して福祉部長が会長となり私は事務局を担当した。 運転ボランティアには生涯学習のフレーズもあり、会長自身も運転ボランティアに率先して名乗り出て女性4人、男性10人計14人でスタートが切れる予定が立ったが、運行方法に問題があった。 原田地区は二つの谷、西之谷川と東川(どちらも原野谷川・太田川の支流)に分かれており、1日に二つの谷を回ることには困難があり、川の谷に沿って二つのコース、西之谷川沿いの部落(上西・久居島・高山・寺島)を回るAコースと、東川沿いの部落(平島・正道・柳原・桑地)を回るBコースとA・B2コースとして、月・木曜日はBコース、火・金曜日はAコースと分けて、週4日の運行として現在に至る。運転ボランティアは70歳までとして毎年変わりつつあり、もう亡くなられた方もあるが、最初から17年間続けて運転して下さっている方も4人いる。18年目の本年は22名で(男子18名・女子4名)運行している。 通院車の月火木金の運行は、朝7時頃運転者は家を出て通院車「友愛はらだ号」の置いてあるセンター裏の車庫まで行き、センターポストから運転日誌とキーの入った袋を出して、各コースの出発地点まで行く。それぞれのコースの出発地点の時刻は7時30分。川に沿った道路を下り途中利用者を乗せて、利用者が行くそれぞれの市内の病院に向かう。17年間に行先利用病院は市立病院を中心に17病院に及んでいる。近い病院から降ろし、一番遠いところの病院が最後になる。迎えに行く順番は逆となり、利用者としては他の利用者の関係で待ち時間が長い場合もあるが、12時前には帰宅出来ている。ただし、透析などの人がある場合は、終了時間を聞いて、午後に再び迎えに行っている。運転当番は4か月に3回の割合で月に1回の割合で回ってくる。 利用者もこの17年間の間に亡くなられた方々も多いが、地域の人々の交流の場でもあり、互いの情報交換で賑やかで明るい雰囲気が醸し出されてきていた。10周年記念誌の中に〈…車の中は、「あんたーやあっとブリだねー、どうしたんだ」「足から腰が痛いので今日は坂本さんに行くのだよ」「バスで連れて行ってくれるで本当に助かるやー」野菜つくりの話、孫の話、など色々な話が聞かれる。病院に着くまでのほんの少しの間、身体の痛みを忘れるほどの会話が弾む。 年間の運行計画は、年度当初「○○年度運行カレンダー」として各戸に配布しているが、長年の間にほとんどの人は、自分の地区の運行日を承知している。運転ボランティアの方々へは各月の下旬に来月の「運転お願い表を地区の運営委員の方に配布していただき、忘れないように予定の中に入れていただいている。 車両は20年度末に3台目になったが、前2台で地球を5周半余も回ったことになる。これという事故もなく現在まで継続することが出来たことは、本当に、生涯学習の「この地に住んでよかった」と思える地域づくりに協力し〈安全運転をモットー〉に運転をして下さって来ている運転ボランティアの方々のおかげである。 17年間の実績は
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