「あしたのまち・くらしづくり2009」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

子育て支援活動
秋田県能代市 NPO法人メリーゴーランド
 「親にも子にも居心地の良い保育園があったらいいね」この一言から始まった保育園作りでした。保育士、幼稚園教諭の資格を持ち、子どもに関しては多少なりとも知識を持った者でも、いざ、わが子の子育てとなるとわが子の成長に母親として立ち向かうことは決して楽ではなかったし、子どもといる環境が違うだけで役に立つ知識とそうでない知識があることを「親」になることで知りました。
 子育てだけに時間を費やすことが出来ない母親。1日24時間、家のことと育児に振り回され自分自身のことは全て後回し。それが役割とはいえ、時が経ち積もり積もってストレスとなってくる。それもまた、自分が親となって始めて知る子育て中の親が置かれる環境でした。
 育児ストレスからわが子の命を親が絶ってしまう、そんな事件が増えてきた頃でもありました。もし、自分自身に子どもに関する知識もなく、相談する相手もいなかったとしたらどうだろうという想いがよぎったと同時に、保育現場では知り得なかった「子育て」を自分が持つ専門性を生かしてサポートできないかと漠然と考えていました。
 元同僚で専業主婦となった仲間が、日頃の悩みをうち明けたりしている中で、保育園が在宅子育ての人たちも使えるようになればいいんだよね、という当事者ならではのアイデアが出ました。当時、幼稚園は3歳にならないと入園できない、保育園は仕事をしなければ預けられない。例えば、短時間の預かりだけでも違うよね。困ったときに相談に乗ってくれたり、悩みを聞いてくれるだけでも助かるよね…でも、そんな都合のいいところ無いよね…。理想は、肩身の狭い思いをしなくても良い子育て環境。
 そこで「親にも子にも居心地の良い保育園があったらいいね」ということになり、どうせ無いから作っちゃおうか! という話にまとまり、決起したのです。
 そして、平成11年10月。ベビールームメリーゴーランド開設の運びとなりました。
 既存の保育園同様の保育形態に加え、休日保育、夜間保育、短時間保育を行ないました。そして、親子が揃って利用できるために施設の開放を試みました。
 初年度は周知が思うようにいかず、保育利用児5名とスタッフとその子どものためのパラダイスといった感じでした。ただ、利用する家族が玄関で帰ることはなく上がり込んで話をしたり、仕事で疲れた体をそこでリセットして子どもと一緒に笑顔で帰る様子が私たちにはとても嬉しく、開設して良かったと思わせてくれる瞬間でした。
 休日保育や夜間保育の実施情報が行き渡るようになり、園児は年々増え続け、保育園としての機能は充実していきましたが、在宅子育て支援は預かり保育がメインとなり、中には、子どもを遅くまで預け遊びに行く親の姿も見られるようになってきたことから、「やりたかった支援は何であったか」を初心に返り考え直してみました。子育てが楽しいと思える支援、親と支援者が子どもの成長を一緒に喜べる支援、前向きに子どもと向き合える支援。現場スタッフは保育業務だけで精一杯、人件費を増やすことは運営上厳しい。そこで、地域の協力を得ながら支援活動が出来ないか考えたのですが、そのころ、他県では認可外保育施設での死亡事故が相次ぎ、認可外というだけで必然的に風当たりは強くなっていました。このような状況で地域に協力を求めることが出来るのだろうか。私たちの胸の内を聞いてくださった方から「NPO法人」の存在を教わりました。保育事業も含め自分たちの活動をもっと表に出していくことで社会の信頼を得るべく、平成16年4月NPO法人メリーゴーランドとして新たなスタートを切ったのです。
 保育事業はそのままに、私たちは支援の形を全国の例から学ぶことにしました。
 メリーゴーランドを立ち上げた頃、全国に支援センターが設置されて、各地域の支援事業はセンターが核となって支えていました。私の娘が生まれた頃支援センターはなく、ママさんたちが運営する子育てサークルがあってそこに何度か参加したことがありました。幼稚園に入園してからは、サークルもセンターも縁がなくなっていたので、あらためて支援センターの働きや全国のサークルの活動を新鮮な気持ちで知ることが出来た記憶があります。また、子育てと社会(政治)の流れにも関心を持ち、先々の方向性を考えながらの活動も必要なことだと感じました。
 さて、活動事例を探す中で私の目にとまったのは「親たちが立ち上げたおやこの広場びーのびーの」と背表紙に書かれた1冊の本でした。これが、広場との出会いでありメリーゴーランドの子育て支援活動のはじまりでした。
 私たちは専門性を生かしたサポート活動がコンセプトでしたが、親が本当に子育てに前向きになれるような内容であったかは疑問視をしていました。「支援」の対象や目的が支援側ではきちんと定められていても、受ける側の活用の仕方で全く違う支援になることもあります。何故このような結果になるのか。「してあげるだけの支援」ではいつまで経っても成果は出ないことは明らかでした。
 「びーのびーの」の活動に出会い、私たちは「当事者性」を生かせる支援活動を今後の形にしていくことを目標に、NPO法人設立後の翌年、平成17年5月につどいの広場「ぶらんこ」を自主事業として開設をしました。
 開設1年目「ぶらんこ」は、空き店舗事業の予算と広場利用料、一時預かり保育料で運営をしました。広場を知らない人の方が多かった頃ですから、オープニングから1週間はとにかく足を運んでみてもらうために無料開放をしました。有料になったとたん客足が途絶え閑古鳥が鳴きスタッフと不安を抱えていましたが、1組2組と利用者が増えてきて安堵したことを覚えています。利用者は様々でした。育児に疲れたお母さん。日中お孫さんを預かっているおじちゃん、おばあちゃん。お友だちと遊ぶ場所がないからとグループで来てくれたママ友だち。転勤をしてきて、お友だちがいない母と子。近所になじめない親子。学童に入れなかった小学生。自然と利用者が会話をするようになり、笑い声が広場にひびき、商店街の皆さんから「ここだけは雰囲気が違うよね~」「まちなかで子どもが見られて嬉しいわ」など多くの人が広場を訪れる人たちのことを見守ってくれていたことが嬉しかったです。その後3年間は、共同募金会からの配当金をいただき運営をしました。
 さて、広場の利用客が定着してきたころ、「広場って凄く良いんだけど、もう少し家の近くにあると便利かも」。要望には応えたい。かといって、施設を増やすほどの資金はない。その時スタッフの1人が「場所を借りて、私たちが出向くのはどう?」と一案を提示しました。移動図書館が発想のヒントだったようです。私たちはその活動を「移動ひろばきしゃぽっぽ」と名付け、早速計画を立てました。計画の段階で「移動ひろば」には一つの目的を掲げることにしました。それは「地域で子育て」ということです。歩いてでもいける移動ひろばなら、近所の人たちを誘うことが出来る。それによって、お互いを知るきっかけになれば、身近な環境を変えられるかもしれない。
 広場開設に先立ち、私たちは地域の皆さんとの交流を持つためにネットワークをテーマに座談会を開催し、行政、民生児童委員、子育て家族、保健士、様々な人が参加をしてくれました。会は広場開設後も引き続き開催され、その中で支援する人の思いがなかなか届かない現状を知りました。他人を信じられなくなる無情な事件が毎日のように流れるご時世。だからといって、孤立化していく子育て家族を放って置くことは出来ない。座談会最終日、私たちは移動ひろばの計画を話しました。早速関心を示したのは、民生児童委員の方でした。管轄する地域の子育て家族をどのようにサポートして良いのかわからずにいたので、是非自分たちの地域で月に1回開催してくれないかという申し入れがあり私たちはそれを受けました。初めはチラシも私共で作成していましたが、回を重ねるうちに民生さんたちがチラシの作成と配布を担当してくれるようになりました。そして、この活動のために「ぬくもり」という会を独自に作り、移動ひろばのための予算を申請・獲得し今年は協働して4年目を迎えました。移動ひろばの成果は何気ない日常生活に表れたと聞きました。それは、登下校時に交わされる挨拶だったそうです。移動ひろばで時間を過ごす中で信頼関係を築けたことが最大の成果だったそうです。今年度、この活動に能代市市民まちづくり活動支援助成を受けられることになりました。今までの成果を能代全域に広げ、子育て家族を地域で支えるための信頼関係を築いていきたいと思っています。
 さて、常設の広場「ぶらんこ」ですが、子育て支援には地域のコミュニティが欠かせないことから、出来るだけたくさんの人が気軽に関われる拠点施設コミュニティハウス「ぶらんこ」に名前を変えました。そして、新たな支援活動としておもちゃ図書館を開設。これは、障害のある子、ない子それぞれの家族を分け隔てなく集える場所作りとして始めました。当事者同士の関わりを通じ、弱い立場の人もそうでない人も自分が出来ることを見つけて欲しいという願いが届くと良いのですが。
 平成19年から能代市の広場事業も始まりました。これまでの実績を認められ当法人が受託先となりました。それでも、自主事業はいまだに継続しています。それは、必要としてくれる人がいるからです。行政だけの支援では、全ての家庭を守ることはとうてい出来ません。行政の手が届かないところに私たちが関わることで、一家族でも笑顔になれるのであれば、私たちは独自の目線でこれからも関わっていきたいと思っています。
 「あの時は、本当に助かりました。今でも見守られている気がして、心強いです」
 気持ちが通じ合った支援へのご褒美として大切にしている言葉です。