「あしたのまち・くらしづくり2009」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

感動の共有と感動の提供による心の充足
青森県八戸市 千田町内会ほのぼの交流会
 私が居住している下長地区の千田町は、八戸市の中央部を東西に流れる馬淵川をかかえ中央地域の北部対岸に位置している。30数年前は旧悪虫部落と呼ばれこの地に区画整理が進んだ。田園地帯から八戸市の振興住宅地として大きく様変わりした地域でもある。
 以前は兼業農家世帯がほとんどで集落は地縁、血縁関係で存続していた。病気の世話や葬式においても集落で面倒をみるという相互扶助の人間関係が濃く強く、困ったときには地縁血縁のだれかが気にかけ助けてくれるという安心感によりかかっていた。それはこの集落で共存するための暗黙の決まり事だった。町内会の活動においても、地縁や血縁関係で役職を占めて、よそ者は受け入れられないという現状、新しいまちおこしの社会的価値観からはかなり遠ざかったものだったが瞬く間に同地域も都市化現象に突入していった。アパートやマンションなど民間賃貸住宅が増え、隣りに住む人の顔さえ知らない状況にと変わってきた。さらに、町内会への加入者も減少をたどり住民相互のつながりも少なくなり、町内での友愛の和が広がらず、多種多様なイベントに関してのニーズにも応えられないという希薄な状況だった。
 一方わが国においても2005年を境に高齢化社会へと突入した。地域においても確実に高齢化は進み、高齢者世帯と単独高齢者世帯は増加している。高齢化をマイナスと捉えず、逆に元気に活躍できる高齢者が地域の主要な担い手として活躍できるように、地域づくりを進めていかなければならない状況にと変わってきている。
 わが町内でも課題をクリアしていこうと、住民多数と議論が続いた。「まず千田町を知ろう、考えよう、遊べる町にしよう、活用しよう」「魅力ある町にするにはどうしたらいいのだろうか?」「どうしたら町が元気になるのだろうか?」と話し合った。
 その中で、この地に移り住んで32年。薬や日用雑貨などを扱う商店の、大久保和子さん(62歳)の店はいつもお年寄りの寄り合う場所でにぎわっている。大久保さん自身も20数年前から市の保健推道員を務め地域住民の健康増進にと励んでいる。経験を生かせないものかと、大久保さんは「この町でこんなことをしてみたい」と具体案を提案した。「住民が幸せに暮らせる第一条件は心と体が健康であること」です。名称を「生き活きサロン」とし、月1回、市の保健師や看護師に協力してもらい血圧測定や問診をし、心身ともに元気になる食事を出しながら、楽々体操や頭の体操、講演会も組み合わせて実践し、住民の「閉じこもりを予防しましょう」と呼びかけた。
 住民から〝やってみよう〟と声があがり山本幸夫町内会長(64歳)の元、企画、場所、予算、ボランティア仲間も募り体制を整えた。
 従来では、町内会の役員は与えられた役割を単独でこなし共同で活動することはなかった。現在は保健推進員、緑化推進員、ゴミ推進員、老人クラブ、民生委員などが一体となりコミュニティ構築に取り組んでいる。


「人と地域の密着」に重点をおいた

 多世代、身障者全ての住民が自由に時間を過ごせるサロンを立ち上げた。月1回(第1火曜日)午後1時から4時まで、会費100円、千田生活館において、名称は「生き活きサロン」。2001年1月から始め今年で8年目になる。
 参加者の年代は毎回、50代後半から、子ども、幼児、障害を持つ中高校生を含めて40人程が集まり多彩な行事を楽しんでいる。
 講演の際の講師依頼では8年間で約60人。参加者の中には、講師の医師をかかりつけ医にしたという話も聞く。
 活動は、講演会の他、読み聞かせ、紙芝居、寸劇、踊りなど、参加者全員が一緒に楽しめるよう、一方通行にならないように工夫し双方向の関わりで進めている。
 会場の千田生活館は生活の場でもある。住民の時間、欲求、ニーズに応え、普段でも数人の仲間が得意なお手玉を作っては近所の子どもや孫に教えたり、編んだ服やベストは施設の入所者に送ったり、折り紙は入院している仲間への励ましに、布巾を縫っては地域の保育所や小学校で使ってもらっている。主催者側の望みや気持ちをよく理解し、サロンに集う参加者たちは協力をおしまない。


「みんなと食べ楽しむサロン」に

 独り暮らしでは「納豆や漬物、スーパーの総菜ばかりで味気ない」と聞き、簡単で、おいしく、健康によい料理を相互に教えあうことにした。「コミュニティクッキング」と称し、参加者と共に学びあい、郷土料理やアイデア料理も作る。始める前はまな板や包丁などと、使用する道具全般を煮沸することを決めた。中には、「そこまでしなくても食中毒にはならないよ」と声があったが、定着し実践している。私の思いに賛同し続けていることがうれしい。
 材料の野菜は農家の寄付がほとんどで地産地消の先駆けだと自負している。中には課題もある。高齢者は薄味を好まない傾向にあり、濃い味付けが「おいしい」という評価につながる。しかし参加者の中には血圧の高い人や予備軍もいて食事療法が必要とされている。そのため塩分摂取量を減らし薄味で慣れてもらうことにした。素材の持つおいしさ(うま味)で食べることや、みそ汁、スープはだしをしっかりとってだしのうま味を生かす。どうしてもこれだけは濃い味付けで食べたいという希望がある場合にはそれのみをしっかりした味付けにしたり、味がしみやすい切り方にするなど、工夫しながら提供している。


「楽しもう! 楽しませたい!」元気なまちづくりには参加者や住民を動かすこと

 「鶴亀一座」を立ち上げた。歌や踊り、寸劇、朗読などを主体に行なっている。衣装は老人クラブの会員が協力して作ってくれる。地域住民は古い着物や不要なカーテンなどを寄付してくれるため、それらを衣装に再利用している。最近は腕に磨きがかかり、演目に合わせて作る衣装は、「本職だ!」と絶賛の声が多い。小道具は住民からの借り物で、明治大正に使用した火鉢やキセル、はんてん、モンペにかすりの着物など多種多様である。
 三文芝居だが口コミで広がり町内だけにとどまらず公民館や老人施設、青森市の社会福祉協議会でも発表した経緯がある。地元だけでなく多方面の舞台に立つことで、緊張感が生まれ演じることの喜びも増し、楽しみも増えた。達成感を得られるようになったと話す参加者も多い。
 交流回数は増え、うまくなりたいと欲が出てきた。毎回ビデオに収めては、ステップアップの参考にと稽古を重ねている。
 住民の手も足も力も借りて、巻き込んで喜びを作りあげている「鶴亀一座」である。これはまさに住民力の結集だともいえる。
 今は、おらほの本家もかまども親戚もよそ者との垣根が取り外され、「人との触れあいがコミュニケーションを生み、活気に満ちている」。
 ここで事例を紹介しよう。サロンに通う60代の女性は、白内障のため「目がぼやけてはっきりしない」と参加しない。医師は手術を進めたが「怖い」と言って拒むため、民生委員と親戚双方が説得を続けた。手術後、視力も回復し元気に参加している。
 二つ目の事例は、独り暮らしで80代のAさん。「頭が痛いので遅れて行くから」と仲間に電話をした。心配になった友だちはAさん宅に寄り病院へ連れて行こうとするが、聞き入れなかったため無理に連れていった。診断は脳梗塞で、早期の徴候発見や対処が良かったため後遺症も軽く、今は1人で散歩している。Aさんは「動けることの幸せと気遣ってくれるサロンの友だちに感謝しています」と話す。
 さらに、「参加したくても足腰が悪く生活館まで歩いて行けない」との声に応え町内会長は「必要に応じ支援する」と、自分の車で送迎している。
 住民の手で踏み出し、住民が一体となって作り出したサロンはまだ目標には届かないが、住民同志の共感を生み、参加率が高まり、それを見守る人々をも巻き込んで新しいネットワークも生まれた。地域外の広域的なコミュニケーションを図る機会にも恵まれている。
 活動してみて、確かにイベントは面白ければ、意味があれば参加性は高まると思うが、しかし、そこに人と人との温もりがなければ、結びつきがなければ、わかち合えない。理解しあう心がなければ発展性はないと体験上から痛切に感じた。
 コミュニティの概念は、自分の住む町に興味を持つこと、知ること、関わること、活用することだと思う。快適な町にしたい、子どもたちにいい町を残したい、いい老後を過ごしたい、その思いで続けているが、そのためには多くの人に触れてみることだ。私は人生の先輩から学ぶ姿勢で、分からないところは尋ね、必要としている時は訪ね、一緒に歩むことを前提に関わりを持っている。常にボランティア仲間と討論を重ねながら共有できる方向を見つけ、取り組んでいる。
 取り組むポイントは「気軽に、身近に、心を添えて、一緒に歩む」。この活動が豊かな連帯感を生み、その中から心が躍るような「感動」を体験することもある。目に見えない、実態のない感動という概念だが、手に余るほどの感動が焼き付いている。この関わりは、「感動の共有と感動の提供による心の充足感」。そこに喜びを感じてわれわれは活動している。
 その体験を私は、読売新聞県内版「ほのぼの@タウン」のコーナーに10回ほど投稿し紹介している。新聞掲載が地域内外に広まり活性化につながった。
 今後は新たな方向性も加味しながら会員の要望に沿った援助を、仲間と無理せずに続けていきたいと考えている。