「あしたのまち・くらしづくり2009」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 主催者賞

中山間地域に元気を取り戻すために―地域資源の活用と都市交流による活性化―
栃木県佐野市 作原地区むらづくり推進協議会
作原地区の概要と課題、背景

 作原地区むらづくり推進協議会が活動する作原地区は、佐野市北部の旧田沼町にあり、約90%を山地が占める中山間地域である。作原地区は旗川の沢の上流に位置し、集落への道は一本道で行き止まりの集落となっている。豊かな山林資源に恵まれた当該地区は、古くから作原共有山林会を組織し、地域を守るという結束力の強い地域である。

(1)山林の荒廃
 作原地区は地域の大部分が山林であるため、かつては豊かな森林資源を活用し山林業と炭焼きで生計を立てていた。戦前戦中と、いくつもの戦争の時代を経て当地区の山林は荒廃していったが、戦後は一転して杉の植栽転換政策が全国的に展開され、当地区でも昭和30年代以降、造林が盛んになっていった。また、炭焼きのために、スギやヒノキ以外の雑木を残した営林を行なってきた。
 しかし、昭和30年代後半からの高度経済成長の時代になり、燃料がこれまでの薪炭から灯油やガスに変わっていったことから、木材についても、外材との競合が起こり、山林経営も困難となっていった。

(2)地域の過疎化と高齢化
 このような状況により、地域では急速な過疎化と高齢化が進み、地域内の作原小学校も、昭和59年には野上小学校へと統合されることとなった。小学校の廃校は地域の活力までも低下させることとなった。
 また、同じ時期にダム建設の話も持ち上がり、集落や周囲の自然がダムに沈む構想が策定された。結局ダム建設の話は取りやめとなったが、これらをきっかけに集落内で話し合いが積み重ねられ、過疎化を止め地域に再び元気を取り戻すため、むらづくりに取り組むこととなった。


むらづくりのスタート

(1)地域資源の活用
 まず、廃校となった旧作原小学校跡地を活用してグリーンスポーツ施設(現 作原野外活動施設)を作ることになった。町内の小学生がこの教育施設を活用し、宿泊学習や野外学習を行なうようになった。また、上作原自治区では、自治区の運営で水田に水を張って冬季の屋外スケート場を運営し始めた。さらに、「田んぼに魚を放して、釣りや掴み取りで子どもたちに喜んでもらおう」と考え、自治区の運営による釣堀(作原フィッシング・現 蓬山フィッシング)が開設された。
 過疎化の歯止め、集落の活性化のため、皆で知恵を出し合いむらづくりに向け少しずつ動き出した。

(2)「何とかしたい」を解決する「作原地区むらづくり推進協議会」の設立
 平成元年には、作原地区が「県単むらづくり振興対策事業モデル集落」に指定されることになった。この事業の取り組みをきっかけにして、「作原地区むらづくり推進協議会」が設立された。
 地域の発展を図るために、以下の2点を目標としてむらづくり活動を展開することになった。
@集落の人々が作原の自然や昔から伝えられている伝統文化を見直し作原の良さを再確認する。
A作原の自然や文化を都市部の人々と共に味わい共有することで作原集落の活性化を図る。


むらづくりのための仕組みづくりと成果

(1)拠点として「蓬山ログビレッジ」を建設
 平成2年、都市住民を地域に呼び込むため、地域のシンボルや観光資源となる平安中期の蓬山城の復元構想を関係機関に対して積極的に働きかけた結果、短期滞在型リゾート施設「蓬山ログビレッジ」が歴史ある蓬山城跡の近くに建設されることになった。
 ログビレッジ内に、コテージ、テニスコート、丸太遊具(水上アスレチック)を整備した。また、蓬山ログビレッジを単なる観光施設ではなく、「むらづくりの拠点」として地域住民の交流の場とするため、敷地内に農産物直売所と農村レストランのスペースを作った。そして平成4年4月29日、蓬山ログビレッジがオープンした。
 平成5年には地元で取れたての野菜や山菜等を販売する農産物直売所をオープンした。また、平成7年には、レストラン内に加工施設を改築整備し、生そばや炭酸まんじゅうの販売を開始するとともに蓬山ログビレッジ内に「蓬の湯」を整備した。
 直売所は、毎週日曜日と祝日のオープンであるが、地区で採れたシイタケやワサビ、こんにゃくなどの特産品を販売して人気となっている。温泉は、地元で管理している共有林から切ってきた薬木を使用し、薬木の湯として提供する工夫をしており、水上アスレチックは子どもたちの遊び場として人気となっている。

(2)農村レストランオープンによる売り上げ増加と雇用創出、地域の活性化
@地元産の活用とメニューの開発・研究
 平成2年に発足したレストラン部会は、農村レストランのオープンに向け、そば打ちの技術講習や手作りまんじゅうなどの研究を行なった。これらは、昔から地元に根付いた伝統技術であったが、各農家の技術が一定でなかった。このため、地域の魅力を活かした商品を作ろうと講習会を通して品質の均一化や技術の平準化に努めた。そして研究を重ねた結果、地元産のそば粉と4キロ山を登ったところにある蓬莱山の名水(自然水)を使用した「ひきたて」「うちたて」「ゆでたて」の風味豊かなそばを提供することとなった。また、蓬山レストランで使用するそば粉や山野草天ぷら、一品料理などは、全量地元産を使用することとしたため、地域農産物の有効利用に結びついた。さらに、地元産そば粉の活用により、そばは収益の上がる作物として位置づけられ、そば栽培面積は現在、レストラン設立当初と比べ3倍に広がった。
 そば栽培面積の拡大は、集落の農業の活性化に役立っているだけでなく、秋にはそばの真っ白な花が咲き山里に豊かな農村風景を作り出しており、都市部から来る人々に親しまれている。

A女性・高齢者の働く場所が出来た
 作原地区は、佐野市中心部までは1時間近くかかることから、女性の働く場所がなかった。しかし、地域内に農村レストランができたことで、女性の働く場を生み出すこととなり、所得を得られるだけでなく、自分たちの知識や技術を活かせるというやりがいのある仕事場となった。レストラン部会の女性たちは、自分の収入が得られ、自分のそば打ち技術が生かせる活躍の場ができたこと、そして、そば作りを通じて「みんな仲良くなり、人の和が広まった」ことが一番嬉しく生きがいになっている。

B周辺地域を巻き込んだ活気の復活
 蓬山ログビレッジ内の農村レストランは、佐野市街から25キロも山に入った地域であるため、「初めはもの珍しさで人は来るかもしれないが、すぐ飽きられるのではないか」と心配する声が当初はかなり多かった。しかし、人が来なかったこの地域に、今でもたくさんの客が訪れ続け、オープン当初1500万円だった売上が平成12年には4000万円を超え、不景気のあおりを受けている現在でも3000万円を超えている。女性たちの料理と温かい雰囲気が魅力で、遠方から定期的に通ってくる常連客も多い。下流地域の個人食堂から「客が来ていいね、働く場があっていいね」と羨ましがられている。
 さらに、レストラン部会の成功は、地元の農業にも大きなインパクトを与えた。これまであまり知られていなかった作原地区が、新たな観光スポットとして来客が激増しているという女性たちの成功は、周囲の注目を集め他を触発。旧田沼町内には、その後次々に農村レストランがオープンし、町全体を活気づける大きな原動力となった。

(3)都市との交流イベント「放楽夢(フォーラム)」により来客数が増加、現在も続く
 むらづくりを開始して3年目、研究を重ねたそばやまんじゅうなど加工品や特産物を活用して都市住民との交流を深めようと、交流会(フォーラム)を開催することにした。第1回フォーラムを「放楽夢」と名付け、子どもや高齢者の「作原の将来の夢」や、むらづくり成果等の報告会を実施した。
 この「放楽夢」がきっかけで第2回開催へとつながり、これが地域の祭りとして定着することになった。そして現在「蓬山祭り」と名前を変え、平成3年より現在まで20年間、毎年春秋開催が続いている。そば打ちの実演や手打ちそばのふるまい、特産品の展示即売等を実施し、地域内外から1000人以上もの来場者が集まっている。
 また協議会では、都市住民や若い人に来てもらうため、バスの運行や携帯の電波が通じるよう関係機関に働きかけた。その結果、バスは平成20年10月から市営バス「さーのって号」として実験運行路線に蓬山ログビレッジが加わり、携帯の電波は働きかけから5年目の平成21年から通じるようになるなど、都市住民の訪れやすい環境が整ってきている。

(4)「日本列島の中心点」も地域づくりに
 平成10年、作原地区の蓬山ログビレッジに近い面白石沢の源流付近に日本列島の中心点が設定されることが分かり、蓬山ログビレッジは、この「へそ」をむらおこしに活用することにした。モニュメントとして寄贈された日本の中心(へそ)に近い面白石沢の面白石にちなみ、従来の炭酸まんじゅうを「面白石まんじゅう」と名付け、パッケージデザインを変え好評を得ている。また、「日本列島中心の地」の石碑と面白石をバックに写真撮影できるようにデジカメスタンドを設置し、来客の撮影スポットとして親しまれている。

(5)雑木からの「名水」の恵みの活用
 地域の自然を守り、地域の魅力をPRするため、協議会や山林会は都市部の人々が作原の自然に直に触れ合えるための環境整備にも積極的に取り組んできた。
 かつて、杉植栽転換をせずに残した作原共有林の雑木林は、現在、当地区の自然の豊かさを象徴する天然水の水源となっている。当地域の住民は、訪れる人たちに作原の自然を知ってもらうため、自ら散策道を整備し、天然水の取水口を取り付けるなど、作原の自然を守りながら地域の魅力を高めてきた。取水口は、昭和61年に「宝生水」に、平成5年には「上人の水」に、平成7年に「蓬莱水」に取水口を取り付け、現在では、1日あたり300人〜500人の来訪者が水を汲みに訪れる人気スポットとなり、当地域の活性化にも大きく貢献している。

(6)「地域」を守る将来の後継者のために
 完全週休2日制となった平成5年からは、子どもたちに地域を大切にしてほしいという願いから、協議会と野上小学校、山林会が連携し、学校開放事業のハイキングを定期的に開催し、子どもたちに作原の豊かな自然や魅力を伝える活動として実施している。平成5年から現在まで実施されており、地域の魅力を子どもたちに伝え、将来の後継者を育てる場にもなっている。

(7)指定管理者としてより自主的な運営へ
 平成18年からの市内各施設の指定管理者制度導入では、市内のむらづくり団体としては唯一蓬山ログビレッジの管理者の指定を受けることとなり、さらに主体的に施設の運営を行なえるようになった。
 さらに、平成21年4月より、これまで市の教育委員会で管理していた作原野外活動施設(旧 グリーンスポーツ施設)について、指定管理者として自主運営を任されることにもなった。


むらづくりの推進体制

 平成18年の指定管理者制度導入をきっかけに体制が再編成され、現在の組織体制は、レストラン部会、直売部会、蓬山フィッシング、市有施設管理人会の4専門部会と役員、運営委員会で構成されている。また、当協議会は、自治会、育成会、作原共有山林会など昔から地域に根付いている組織活動とほぼ一体となった活動を行なっている。
 直売部会、フィッシング、蓬山レストラン部会ではそれぞれ、どまんなかフェスタ、佐野市そばまつり等の各種イベントに積極的に参加し、広い範囲で地域を活性化させている。また、蓬山レストラン部会では、現在栃木県で展開している「食の回廊づくり事業」に、「足利佐野めんめん街道推進協議会」の一員として参加し、地域ブランド、地域イメージの向上の一翼を担っている。
 各部会では、常にアイデアを提案し実行に移すことを心がけており、レストラン部会では、四季折々のものを必ずテーブルに添える、季節の花木を玄関に飾り季節感を出す、孟宗竹の器を汁の器として活かすなど、常にお客様が楽しんでもらえるように工夫している。


今後の活動展開に向けて〜「蓬の里」から「野上の里」へ〜

 これらの取り組みは、協議会だけでなく、協議会が中心となって地域の自治会、育成会、山林会等の地域組織や関係機関と連携を図りながら地域一丸となって取り組んできたことによる成果であり、数々の取り組みにより都市住民が作原に訪れるようになり、地域に活気が戻ってきている。
 そしてさらに当協議会では、平成21年4月、新たに「野上の里」という組織を立ち上げ、作原地区の周辺にあるIターン移住者が行なっている観光・体験施設3か所(オカリナの里、安藤勇寿「少年の日」美術館、南山焼)などの文化施設と連携を図り、共同イベントを行ない地域を盛り上げ今まで以上に都市住民を呼び込み活発化させるための広域活動を開始している。関係機関と連携し、HPやパンフレットの掲載により地域のPR活動も行ない、さらなる集客を狙っている。
 さらに、平成23年には北関東道のインターチェンジが田沼駅南側に開通予定であり、市街地から遠かった作原地区に、より都市住民が来やすい環境が提供可能となる。さらに、平成24年には、行き止まり集落に念願だった林道が完成し、作原を抜けて群馬県のみどり市へと開通予定となっている。
 首都東京から最も近い里山、静かな美しい農山村の風情を交流や体験等とともに味わう観光スポットとして、これからますますの発展が期待される。