「あしたのまち・くらしづくり2009」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 内閣総理大臣賞

城下町村上 市民パワーによる地域活性化への挑戦
新潟県村上市 村上町屋商人会/チーム黒塀プロジェクト/むらかみ町屋再生プロジェクト
まちづくりのきっかけ

 新潟県最北の城下町、村上。人口7万。この町はこの数年で「町屋」の城下町として一躍注目を集めるようになり、全国から来訪者が訪れる町へと変わってきた。このような変化は自然に起こったものではなく、また「町を元気にしたい」というような一般的な町おこしでもなく、突然浮上した大規模な「近代化計画」に対し、市民が必死の覚悟で町の破壊を食い止めようと立ち上がったことに端を発した。
 村上には武家屋敷、町屋、寺町、城(跡)という城下町としての四大要素が残っており、全国的にも希少な城下町であると高い評価を受けていた。にもかかわらず、地元ではそのような価値認識はきわめて低かった。また商店街は、活気を失っており、観光からも縁遠く、何をやっても駄目と言われていた。そんな折に、町屋の多く残るこの商店街(旧町人町)に道路拡幅を伴う大規模な近代化計画の話が持ち上がったのである。平成9年のことであった。


町屋を守れ

 その時「道路を拡幅し町を近代化することが、本当にこの町の繁栄につながるのか」と疑問を抱いた。すぐに全国の町を見て歩いたが、驚いたことに道路拡幅し整備した商店街で栄えたところは一つもない。「拡幅による衰退」これが現実だった。「道路を拡幅したら大変なことになる。見直しが必要だ」と訴えたが地元には聞き入れてもらうことはできず、近代化ありきで話は進んでいく。なんとかしなければいけないと思う中でたどり着いた手段は、この町人町に残る古い町屋を活かすことで町に賑わいを取り戻すことだった。そうすれば「古い伝統的な町屋があるからこそこの町は繁栄する、これを壊すのではなく残し活かしていこう」と市民の意識が変わり、その結果、町の進む方向が修正されるはずと考えたのである。町屋を生かし、町を元気にし、その活気ある姿を目に見える形で市民と行政に示すことが、町を近代化から守る唯一の手段ではないか。こうして町の明日がかかったこのような事態の中で、われわれ市民による町屋を活かす取り組みが開始された。
 村上の町屋とは間口が狭く奥行きが長い伝統的な家屋のことである。外観こそ近代化の波を受けているが、一歩店の奥に進むと、イロリや梁、大黒柱に神棚、仏壇、豪快な吹き抜けの造りが現われ、江戸や明治の町屋が現われる。住んでいるわれわれにとってはごく見慣れた町屋も、都会の人が見ればタイムスリップしたような驚くべき光景に見える。この町屋の生活空間である内部こそが村上の宝だと確信した。本来、町屋の中は生活の空間であり、お客に見せるような場所ではない。しかし、結果20軒ほどの仲間が賛同し、この生活空間を公開する取り組みが始まったのである。観光施設ではない生活空間を、1年を通し無料で公開するという、それまで全国で例のない取り組みだ。こうして平成10年の夏、町屋のマップを作り、村上町屋商人(あきんど)会による「町屋の公開」が始まった。この活動により、マップを片手に歩く人が増え始め、町には明らかに変化が生まれてきた。


町屋の人形さま巡り

 町に新しい風を吹かせ、「町屋」旋風を巻き起こしたこの取り組みではあるが、町の活性化にはまだまだ力不足だった。そこで平成12年、町屋の中にその家に伝わる雛人形はじめ武者人形、土人形、市松人形など江戸から現代までの様々な人形さまを展示披露する「町屋の人形さま巡り」(毎年3月1日〜4月3日までの34日間開催)を企画した。60軒ほどの町屋で、すべて無料で公開するという画期的なイベントである。
 町屋の生活空間に展示された家伝の人形さまを無料で見学してもらうこの取り組みは、開幕するやいなや話題が話題を呼び口コミでも急激に広まった。NHKの全国放送や新聞の全国紙で紹介されたことも拍車をかけ、第1回目から北は北海道、南は九州とまさに全国から大勢の人たちが村上の町に訪れた。初回から約1か月の開催期間に3万人もの人が訪れ、町にとってはまさに事件が起こったような騒ぎであった。それまで町屋とは単に古い家でしかなく恥としか思っていなかった市民が多かった中で、来る人、来る人に町屋が素晴らしいと褒められたために、いつしか町屋を誇りに思うようになった。地域への誇りが芽生えたことは得がたい喜びであった。現在10万人が来る催しに発展し、大きく町の活性化に貢献している。


町屋の屏風まつり

 「人形さま巡り」が大変な話題となり、町は活気と笑顔に包まれた。毎年開催するものではあるが、1年待つのは長いもので、この活気を持続するためにも秋にも核となる催しが必要と考えた。そこで平成13年、秋の企画として「町屋の屏風まつり」(毎年9月10日から30日までの21日間開催)を企画。もともとその昔、村上大祭の日には、お祭りのしつらえとして道路に面したミセの間に屏風を立てる風習があり、どの家も屏風を立てることから、別名「屏風まつり」だと言われてきた。しかし近年、生活様式が変わり、めっきり屏風が出されなくなってしまっていた。その昔の風習をひも解いて、9月に家伝の屏風を60〜70軒の個々の町屋の中で公開することにした。金屏風に、書の屏風、枕屏風など様々な屏風が出された。屏風には生け花が添えられ、重箱、漆器など昔のお道具や調度品まで飾られ、人形さま巡りとはまた違った格調高い雰囲気を漂わせ、城下町の町人文化を伝える見事な催しとなった。これまた大成功となり4万人が来る催しとして村上になくてはならない秋の大イベントとなっている。


町屋の催しを振り返って

 「春の人形」と「秋の屏風」と年に2回の核となる催しができ城下町としての村上の知名度は全国的にも広まっていった。現在、人形さま巡りで10回、屏風まつりで8回を数え、毎年10数万人もの人が訪れる村上が誇る一大イベントになっている。1回の開催にかけている費用はわずか35万円(マップとポスター代)、しかし経済効果は「人形」「屏風」合わせて1年で4億円を超えるまでになっている(新潟大学経済学部調査)。この「町屋」も「人形」も「屏風」も今まで見向きもされず眠っていただけの存在で、言うなれば埋もれていた町の宝を掘り起こし、「今あるものに光を当て、誇りを持って披露する」取り組みだった。全国に素晴らしい外観の町並みを持つ町は数あるが、町屋の生活空間をこれだけの規模で見せる町は他にはない。またあちこちの家で奥に引っ込んでいたお年寄りが説明役となって人形や屏風、町屋の説明をし、「お年寄りの活躍」が非常に話題になった。地域の文化を掘り起こし、町の活性化を実現しながら、市民の誇りにつながっていったこれらの取り組みは、現在でも大勢の市民に支えられながら、村上町屋商人会を中心とする市民の力で行なわれている。


景観作りへ発展・黒塀プロジェクト

 「人形」と「屏風」による町おこしを立ち上げた後、新しい展開が始まった。旅人が訪れるようになってきたこの村上をさらに誇り高き城下町にしようと意識が高まり、文化財の建造物が集まる安善小路(町屋がある商店街から続く小路)を美しくしようと、平成14年、市民による景観形成の取り組みが始まったのだ。
 安善小路は、かつて松尾芭蕉が歩いた通りであり、重要文化財のお寺や古民家、風情ある割烹等が歴史を感じさせる通りである。しかしこれらを取り囲む塀のほとんどは時代の変遷と共にありきたりのブロック塀に変わり、景観美が損なわれていた。「もしこの小路のブロック塀が昔ながらの黒塀になったら村上のシンボルとなる素晴らしい小路になる、黒塀を復活させよう」と、村上町屋商人会の中心メンバーが、新しい組織「チーム黒塀プロジェクト」を結成した。資金はゼロ。知恵を絞り「黒塀一枚千円運動」を展開し、広く市民から寄付を募り、それを基金とし、既存のブロック塀を壊さず、その上から板を打ち付け黒ペンキを塗り、昔ながらの城下町らしい黒塀にするという奇想天外な工法で黒塀づくりが行なわれだした。少ない経費で景観は風情と趣のあるものへがらりと変わる。7年間で約1000名を超える市民からの寄付を頂き、この黒塀づくりは現在350メートルに達した。活動を通し住民の意識は高まり平成17年には自発的に「景観に関する住民協定」を小路の全世帯により締結、20年にはより美しい小路にしようと植樹による緑化を進める「緑3倍計画」を開始した。現在5〜8メートルある大きな木が20本植樹されており、小路も魅力は非常に向上した。
 景観作りというハード事業は行政にしかできないと思われがちだが、知恵と工夫で市民でも景観作りができるということを示した事業である。小路に訪れる人は確実に増えた。全国から視察にも毎年大勢訪れ、山形の大江町、上山市、岩手の江刺市などこの黒塀作りが全国に波及している。


町屋の外観再生プロジェクト

 町屋の内部を活かした取り組みでは優れた取り組みをしている村上も、町屋の外観に関してはアーケードやサッシ、トタンなどで覆われていてその魅力が充分表現されていない。歴史の町として町屋の外観が課題だった。この外観を昔ながらの格子や壁、木製の硝子戸などに変え町屋の景観を整えることができれば村上は中も外も充実し、間違いなく格段に魅力的な城下町になる。「何とかしたい」この思いで平成16年、黒塀プロジェクトの中心メンバーが、新たな組織「むらかみ町屋再生プロジェクト」を立ち上げ、町屋の外観を再生するプロジェクトを開始した。全国の人に呼びかけ基金を作り町屋の外観を再生する店に補助金(最大80万円、補助率60%)を出すという、市民プロジェクトとしては全国初の取り組みである。改修は外観だけで元の骨組を活かすので低経費ですみ、一方、町並みは大きく変わる。しかし民間で実施するとなると、そう簡単にできる話ではない。が、町の気運が高まっている今こそと、市民の心意気で実行に踏み切ったのである。現在までに14物件の外観を再生した。町屋の外観が再生されていくことにより、村上は中も外も素晴しい全国でも指折りの城下町になっていく。このように村上は現在1年を通して活気あふれる町にすべく、黒塀作りや町屋の外観再生を進めることにより、城下町らしい風情を堪能できる美しい景観作りの取り組みを市民の力で進めている。


まちづくりを振り返って

 11年前、近代化問題に端を発し「町屋を守れ」と始まった一連の取り組みは、地域の文化を見直す大きなきっかけとなり、地域の宝を発掘した。日陰の存在だった町屋が今、市民の誇りに変わり、同時に地域活性化の起爆剤となった。大勢の人が訪れることで、経済的効果はもちろんであるが、市民がわが町の文化に気づき、誇りを持ち始めたことは大きな収穫だった。その誇りから、市民自らが町の景観作りにまで取り組みだし、町の進むべき方向を市民みずからが示していくという、独自のまちづくりを構築し、地域の再生の大きな力になっていると実感している。行政任せにするのではなく「わが町はわれわれ市民の心意気で良くしていく」という信条のもと、これからも活力があり地域独自の文化が香る誇りある町を作っていくべく一生懸命取り組んでいきたい。