「あしたのまち・くらしづくり2008」掲載
<まち・くらしづくり活動部門>あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

新しいまちづくりを自分たちの手で少しずつ考えよう
千葉県君津市 君津まちづくりの会
取り組みの背景

 君津市の現在の人口は10万足らずだが今から46年位前(当時の人口約4万人)、新日本製鐵が九州から大移動(君津製鐵所)し、その関連会社の併設と共に人口が上昇、まちは活気づき昼も夜も賑わい、学校においては地元の子どもたちが家庭でも九州弁になってしまうという珍現象に、親たちの不安な気持ちは簡単に拭えなかった。
 そのような背景、変化していく社会環境や雑多な情報がとび交うなか、「今何かしなくては!…」との思いから1985年4月、当時40代の有志6人で『君津まちづくりの会』を発足した。
 将来の生活環境を見通すことが非常に困難な程、日常社会のサイクルがめまぐるしく変わってきており、将来どんなまちになるのか不安であった時『新しいまちづくりを、自分たちの手で少しずつ考えよう』ということで住民参加の手づくりのまちづくり運動をめざしたのである。


主な事業の取り組みと経緯

★ 日曜自由朝市『ふれあい広場』(1986年~)
 新、旧住民の交流を目的に毎月第1日曜日開催。自分の不用な物を欲しい人に格安で販売する(現在のフリーマーケット形式)。その中で初対面でも挨拶や言葉を交わして交流をもつことによって、自分たちのふるさとづくりをする手だてがあるのでは…、と昔風の井戸端会議にも似た、焼き芋をしたり七輪を囲んで餅を焼いて食べたり、という出会いの場を提供した。現在はチャリティーフリーマーケットとして市のイベントにも参加している。

1987年(昭和62)~1988年(昭和63)
★ 小糸川を活かすアイデア募集(1987年~)
 市の中央を流れる小糸川を市民に知ってもらい昔のような遊べる川にしたいというところから、アイデア論文や子どもたちの絵画を公募。…だが応募数が少なく苦慮…。何度も協議した結果、記者会見をして新聞紙上や学校へのPR啓蒙を繰り返し、結果として300点以上の応募があり、審査会・発表・展示をし、後の講演会会場にて表彰することができた。

1989年(平成元)~1993年(平成5)
★ 小糸川写真コンテスト
 小糸川を知ってもらうことと、まちづくりの意識を高めるため、事業は5年間実施。
★ 道路愛称名募集(1989年~)
 親しみやすく、ふるさと意識を高めるために市民から道路愛称名を募集。(当時は行政番号で呼ばれていた)大きな反響があり(うれしい悲鳴)市や商工会の支援も得られ、メイン道路の3通りに愛称が決定し、つけられた。その後、行政の中に市民参加の委員会が発足、同様に7通りにつけられた。

1990年(平成2)~現在まで
★ま ちづくりかわら版“タウンアップ”の発行(1990年~)
 まちづくりの活動とまちづくりへの意識高揚を広めるために毎月1回発行して新聞折込と手配りをした。当初発行の1000部から現在は9000部に増え、VOL:151号になっている。
★ 花いっぱい運動(1990年~)
 ごみのないまちへの意識と住民参加を目的に、愛称名の通りへ花苗の植栽と除草。それらを年3~4回実践した。当初は重労働だった(雑草がひどい)が回を重ねる度に普通状態になり、周りからも花がきれいと反響があり、近くの方々も積極的に面倒をみてくれている(これこそ手づくりで住民参加)。
 さらに広がって、南房総への国道127号の分離帯へのごみや空き缶のポイ捨て対策として市や国道事務所と協議、「コスモス街道」「菜の花街道」として春は菜の花、秋にはコスモスの花を咲かせている。このような経緯から行政と共に「君津市環境ボランティア団体協議会」を結成、一丸となって活動している。

1991年(平成3)~1994年(平成6)
 この期間は一般市民にまちづくりの意識を知っていただくため「まちづくり講演会」事業を実施。すべて盛況でした。
■椎名 誠「まちづくり講演会」文化ホール中ホール満員
■逸見正孝「同上」
■野田知佑「木更津市福祉会館」建築市会と共同

1995年(平成7)~1996年(平成8)
★ 小糸川マスタープラン作成事業
 小糸川を遊べる川にという考えの下、国道127号線の橋下より亀橋の間を1年間かけて会員や都市計画のプロを交えて計画したものを市長に提案した。

1997年(平成9)~1998年(平成10)
★ 君津まちづくりアイデア(夢)コンクール(1998年~)
 ここ数年全国的に、駅前からお店の電気が少しずつ消えている。駅前周辺の活性化を、との願いから地元商店街、企業の人たちと協議した後、全国に発信(絵画・論文・図面等)。一般の部、専門の部、中学生以下の部門別に公募。その後、入選した作品の主旨発表と提言、市民の考えを自由に発表する市民参加のフォーラムを開催した。

1998年(平成10)~現在まで
★ 小糸川にあじさいを咲かそう!(1998年年~)
 花いっぱい運動の一つとして、梅雨時にあじさいをということで『小糸川にあじさいを咲かそう』と呼びかけ着手。市や県との協議から始まり、あじさいを一般の方から提供してもらうことをPRし、まず家庭のあじさいを挿し木して増やしてもらい、不用なあじさいの株も提供してもらう等紙上で呼びかけお願いした。住民参加で現在も続けている。3月あじさい植栽。年3から5回の草刈り、手入れ等を実施してきた。
 平成10年より計画し、あじさい植え、草刈、をしてきて平成16年、7年目に、ついにあじさい祭りを実行した。すごい人手で、遊歩道に人があふれすばらしい1日だった。
 年々「あじさい祭り」を実行しているが、1年遅れで「さくら祭り」も実行するようになりました。二つのお祭りも人気があります。ここで一番良かったことは、2年目より小糸川の両岸に位置する「自治会」に呼びかけて、共同で実行委員会を立ち上げ「久保・中野・中富・貞元・上湯江の自治会と共に「けやきの会・ナルク上総…」等他のボランティアも実行委員会に入って一緒に参加してくれることです。やはり、ボランティアも限りがあります。
 このようにそれぞれのボランティアが、協力してくれると、大きな力になります。このお祭りが証明してくれました。
 2004年から8年まで第1回から第5回まで「小糸川あじさい祭り」実施
 2005年から8年まで第1回から第4回まで「小糸川さくら祭り」実施
★ 君津まちなみ景観賞(2000年)
 私たちまちづくりの会は、発足以来15周年を迎えることができ、様々な活動の中で、市民の皆様にもまちづくりの意識と関心が高まっていることが、実感として感じられるようになって参りました。
 そして、まちをきれいにしたいということと、花いっぱい運動の一環として『君津まちなみ景観賞』という事業を実施し、日頃、庭や垣根、ガーデニングなど、地道に、家のまわりをきれいにしている人たちを表彰して、市民全員にまちづくりに参加していただこう、そうすることによって君津のまちがますますきれいに、そして住み良いまちになるよう、という願いから実施する事業です。
 結果的にこの事業は時期尚早というような感じで、応募作品が少なく当分延期して、時機を見て実施することになりました。
★「仮称小糸川花火祭り事業」2007年
 3月24日より始まる。この事業は昨年小糸川にふれあい橋が新設された時に、竣工祝い花火が打上げられ大変喜ばれたことが、きっかけで多方面から花火祭りを!という声が多く聞こえたことで、検討に入りました。
 この花火祭り事業は、実行までの流れが初めてで手探りで始まり、3月より9月までほとんど毎週という程会議を進め、発起人・趣意書・参加団体・祭名称・今後の予定・試験打上げ・賛助金等々大変な内容とエネルギーが費やされました。
結果 名称「小糸川花火祭り」趣意書テーマ「市民参加の手作り花火・各人のメッセージ放送」主催「小糸川花火祭り実行委員会」そして1000発を目指し協賛金募集に役員20人以上の人が役所・団体・商店・企業・個人等奔走しなんと協賃金が270万円近く集まり、1000発の花火が打上げられました。
 当日は小糸川遊歩道約1000メートルのフェンスに人がびっしりと並び、また打上げが「市街地に近い田んぼ」の花火なので低く85メートルの高さにしたので、打上げの回りの道路にはたくさんの見物人が集まり大変盛大でした。
 後で聞いた話では「生まれてこんなきれいな花火を見たことがない」という自宅で見ていたお年寄りが多かったらしい。実行してほんとに良かったと思いました。
 今年さくら、あじさい祭りが終わり、花火祭りは現在9月に向かって始まっています。
 今年から市長の選挙公約である「文化のまちづくり市税1%支援事業」が実行され、54件申請があり内43件採択されました。この支援事業が始まり、今君津市では、まちづくり運動が一挙に花開いた状況となりました。
 私共は今年で23年目ですが、10年、20年前はほとんどこのような環境ではありませんでした。当時は、市民はもちろん役所も非協力的で、何事にも書類や前例がないなどと門前払いでした。ここまで来た私たち「まちづくり運動」もそろそろ役目が終わりに近づいているような気がします。
 現在検討している事業は、明治31年に農業用水を汲み上げる水車として設置され、昭和40年頃まで親しまれてきた直径12メートルもあった水車を復活しようとしている「小糸川水車物語」事業です。この小糸川近くの農業地域に、10機くらいの水車を建設し、上総掘り(自噴井戸)発祥地ということもあり、「上総掘り井戸」を利用して水車を回し、さらに石臼を回しそしてエコ電気を発電し、環境問題を提供しながら、うどん・そば・地域産品等考え、育てながら、この地域を住み良くし観光や人口増を目指して検討し始めています。