「あしたのまち・くらしづくり2008」掲載
<まち・くらしづくり活動部門>あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

災害時に助け合う姉妹町内会を求める
宮城県仙台市宮城野区 福住町町内会
 宮城・福島両県で27人が死亡、約1万1000人が負傷した宮城県沖地震の発生から30年を迎えた平成20年6月12日、30年前の被災を風化させまいと、県内各地では大がかりな訪災訓練が行なわれた。
 その2日後の14日、午前8時43分宮城県栗原市と岩手県奥州市で、最大震度6強の「岩手・宮城内陸地震」が発生した。折しも、今後30年で99%の確率で起こると予想される宮城県沖大地震が取り沙汰されている真っ只中の出来事である。


震度5強の朝・粛々と行動

 私たちの住む仙台市宮城野区は震度5強。激烈な突き上げと長く続く横揺れ。恐れていた大地震の到来かと、一瞬頭をよぎる。だが揺れを体感しながら、違うのではないかと、判断した。震源地を知るために、テレビのスイッチを入れ、地震速報を見た。震源地は岩手県南部で一関市西部の奥深い山間部、逆断層型の地震。震源の深さ8キロ、マグニチュード7.2「岩手・宮城内陸地震」。すぐに家族の安否確認。自宅と病院内の被害状況を見て回ったが、1・2階の水槽から水が洩れた程度で済んだ。
 次に車のクラクションを鳴らしながら町内を1周。町内会で取り決めている集会所に駆けつけた。既に役員数人が集まっていた。2005年8月16日に起きた「8・16宮城地震」震度5強、マグニチュード7.2。2年前から始めていた防火・防災訓練はこのときに結実した。その経験もあってか、今回の役員の行動は早かった。集会所に集まる道すがら、一軒一軒重要支援者宅を回り、安否確認を済ませ、その後、手分けして情報収集に走った。発生後、1時間半で調査を完了。幸い怪我人もなく、電話不通・道路寸断を想定(実際は正常)した訓練通り、自転車に乗って対策本部である宮城野区役所に調査報告を済ませた。しかし、時間の経過と共に被害状況が知らされ、身の縮む思いがした。


個人情報保護法の壁を乗り越えて

 災害に強い町内会を目指して、現在も試行錯誤している私たちの町は、仙台市の東部に位置する仙台市宮城野区福住町。昭和40年代前半に宅地化された町で、世帯数377、人口1041名。高齢化率約25%。一人暮らしのお年寄りも77人を数える。そして福住町の環境は、過去の災害の歴史をみても、梅田川流域に沿った水田地帯にあり、深刻な水害に遭遇している。
 その福住町は「自分たちのまちは自分たちで守る」を合い言葉に2002年防災マニュアルを作り、自主防災組織を立ち上げた。きっかけとなったのは2003年に起きた宮城県北部連続地震。この機を逃しては、との強い危機感もあり、名簿の万全な管理を確約して、基礎情報となる町内会会員の名簿を2か月で作成した。なにかと噂される個人情報保護法。法だけが勝手に拡大解釈されて、ひとり歩きをしている風潮がある昨今、私たちは、生命と財産を守ることは、個人の権利や利益より優先されてよいとの信念を持っている。この個人情報保護法が壁となり、名簿作成が進まないと嘆く町内会や自治会には、災害時などの個人名簿作成は、多少の異論があっても中断せず、どうしても賛同しない人を削除することが好ましいと思う。


姉妹町内会の輪を広げるために、持ちうるすべての情報をさらけ出す

 まず大規模災害を想定して作成されたA4判53ページにわたる福住町自主管理アニュアルは、県立図書館をはじめ200余の自治体、町内会、個人から送付依頼を受けた。県内であれば、時間の許す限り、私は対面して手渡した。小規模の動物病院の開業獣医師には、仕事以外の時間は限られている。相手先の困惑も省みず、夜間の遅い訪問も数知れない。その防災マニュアルには、災害発生時の役割分担のほか、緊急時の連絡網、指定避難所を示した地図を記した。町内会役員や婦人防火クラブ員を中心に住民全員がいずれかのグループに属して役割を果たす。町内会長をトップとした災害対策本部の下に「情報収集班」「救援物資班」「消防協力班」「救急救護班」「給食給水班」の5グループに分けて、班別テント・看板は、子どもでも分かるようにすべて色分けした。総勢100人を超える人たちが役割を持って参加し、1年毎に班を移動。5年ですべての班を経験することになる。このほか、マニュアルには、倒壊の危険性があるブロック塀や自販機、公衆電話の設置場所などを記したマップや、各家庭が緊急時に持ち出すべき品物のチェックリスト表、個人の緊急時における対処法が書かれている。また、緊急避難カードには、住所・氏名・生年月日・性別・血液型・保護者名・連絡先・避難場所・持病・薬に至るまで記入できる。さらに、このマニュアルは災害時の便利帳に使ってほしいので「ちょこっとの修理・修繕承ります」と題した家具転倒防止、棚などの補修、補強、さらに電球や蛇口の交換などの作業を町内会の有志が実費程度の費用で請け負う旨のページもあり、一人暮らしの高齢者には、非常に喜ばれている。


町内一丸となって気迫十分の防災訓練・リーダー不在時の訓練も

 お金も力もない小単位の町内会が「自分たちのまちは自分たちで守る」を合い言葉に、できるだけ行政に頼らない災害に強い町づくりを目差すには、この防災訓練は重要な柱となる。最近になって耳にする自助・共助・公助の考えは、10年以上前から福住町には息づいていた。私が町内会長を引き継いだのも10年前。先輩の会長が築かれたこの町内会には、他の地域にはあまり見られない強い結束力と絆があった。夏まつりには、住民の数倍の参加がある。梅田川の花火大会やとうろう流し、要支援者の擁護、防犯巡視、河川の草刈り・浄化清掃、老人会活動等どれも活気に満ちている。集まってはよく飲み、よく食べ、よく喋る。阪神・淡路大震災の際、地域の絆が強かった淡路島では、行方不明者の救助や捜索に相互協力の力が発揮され救助率が高かったという報道を覚えている。
 さて、2003年11月、第1回目の防火・防災訓練。あいにく雨の中、住民100人がマニュアルに従って活動。消防署職員2名の参加を得たが、終了後の感想を述べてもらうに止まった。企画・運営はすべて住民の手作りである。毎年1回、秋に訓練を行ない、前回の反省や教訓を生かし、さらに新しい試みを加味しながら今日に至っている。特に訓練直後に開かれる反省会には、学ぶことが多く「幹部が不在を想定した本部設置が可能かどうかの訓練も実践的では」の意見に全員が賛成。もともと10人を超える副会長、30人ほどの役員体制を敷いている。翌年の訓練には、副会長が指揮をとり、リーダーとサブリーダーが交代した。最近では全国災害救助犬協会連合会の協力を得て、災害救助犬による救出訓練の実演や、警察広域緊急援助隊の協力を得て、車に閉じ込められた人を救助するために、実際に乗用車を壊したり、けが人の搬送の仕方を行なっている。さらに一次救急救命処置(BLS)の方法やAEDの体験、トリアージを導入した訓練も、町内で開業する医師や日本赤十字社の参加協力を得て行なっている。また、地域の企業から協力を得てリヤカーでプロパンガス・ガステーブルを運んで、設置してもらう等、訓練の幅を拡大している。
 なにより、これらの訓練には、人命を救うためなら、どんな小さな可能性にも挑戦する!!この町から1人の災害弱者も出さない、つくらない!!という住民の強い気迫が感じられて、私たち役員一同も大いなる勇気を得るとともに、叱咤激励を浴びている。


空白の3日間をどう生きるか

 ひとたび大規模な災害が発生すれば、行政や消防関係も被災者であり、対応には限度がある。公助を待つ3日間には、生死を分ける鍵があると考える。暗闇でも、空腹でも、暑苦しくても、寒くとも「必ず助けに来てくれる」という確信があれば生き延びる確率は高くなる。どんなに大規模な災害でも、被災を免れる地域はある。地続きで、車の通行は無理でも、近隣の住民なら助けに来てくれるかもしれない、今一番欲しいものを、一刻も早く届けてくれるかもしれない。そんな望みこそが生存に強くつながるのではないか。行政に頼れない間、近隣の町内会同士なら、手弁当で何度でも応援に来ることができる。支援する側と受ける側の顔が見えるというのは何と心強いことか。高齢者を預かってもいい、動物の世話をしてあげるのもいい。遠慮なくものが言える間柄なら心のケア、ストレス解消にもなる。地震列島に住む者同士、明日はわが身の身上なら甘えることも大切なことだと思う。


傀より始めよ

 前述したように、防災マニュアルを送ってほしいとの依頼には、災害時協力・協定の呼び掛けも行なっている。頼まれれば、なにが本職だったのか忘れる程、防災に関する講演をさせていただいた。だが協力協定に話が及ぶと、当方の町内会は、区長会は準備不足で・・・と断られる。協定を結んだからといって、大それたことを期待しているわけでは決してない。『災害発生時にはボランティアで、できる限りの協力と支援を行なう』の1項目だけである。住環境とて、皆違うのだから、もっと気楽に交流してほしい。どの地域も少子、高齢化の問題がある。互いに行ったり来たりして、地域を活性化することは、新しいまちづくりになると思う。できることから、まず始めることである。


現在の協力・協定姉妹町内会

 第一に名乗りを挙げてくれた近隣町内会は、仙台市花壇大手町町内会。それぞれの町内会行事に参加。先日、発災から約2週間経った6月27日、福住町他2町内会と1団体の有志と共に栗原地区を見舞って、メンタルヘルスケアを行なった。私の動物病院で飼育している犬・猫・うさぎ・モルモットを連れての、どうぶつふれあい活動。綿あめ・ポップコーンの機械も持ち込んで、栗原市花山総合支所隣、石楠花センターと栗駒総合支所、みちのく伝創館の2避難所を訪ねた。他県との協力・協定は茨城県日立市塙山学区住みよい町をつくる会と意見交流会をしている。また、仙台リバースネット梅田川との協定も近々行なわれる。
 最後に、2004年10月23日に起きた新潟中越大震災に触れる。発災10日目、町内会から集めた救援物資を車2台に積んで、親交のない小千谷市池ケ原地区3町内会を訪ねた。見ず知らずの町内会から毛布や石油ストーブ、灯油が突然持ち込まれて驚かれたと思うが、私たちは、直接自分たちの手で届けたかったのだ。そして、その深刻な被災地の状況を、しっかりと目に焼き付け、現地の人々の心の痛みを、少しでも共有したいと望んだ。それからもう一度救援物資を届けさせていただいた。あの日以来、数回、福住町の役員たちと小千谷市池ケ原地区を訪ねている。その池ケ原学区協議会代表、村山良太さんから平成18年11月11日、自筆による御丁重なるお手紙と新潟中越大震災復興の写真集「R10・23私たちは忘れない」を町内会あてにいただいた。


続報
 先日7月2日、この池ケ原地区の代表者から、今回の岩手・宮城内陸地震を見舞うお便りと、地域の方々から集めていただいたお見舞い金を頂戴した。幸い私たちの地区は震度5強の割りには被害もなくお見舞い金を頂戴するには心苦しく、御心配下さった御厚情のお礼とお見舞い金に恐縮している旨を先方にお伝えした。重ねて、この、おこころとお見舞い金を、最も被害の大きかった宮城県栗原市にお届けすることを快諾していただいた。
 一度も出会うことがなかった人々と、災害の危機を分かち合うことによって通い合う心と心。触れ合う手と手。人々の優しさが地域を越えて伝播していく。私たちが一番待ち望んでいた瞬間であった。