「あしたのまち・くらしづくり2007」掲載
<まち・くらしづくり活動部門>あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

豊かな自然と貴重な遺跡を活用し美しい活力ある郷土を創る
茨城県つくば市 特定非営利活動法人小田地域振興協議会
歴史と自然が豊かなわが郷土

 つくば市は研究学園都市として、また、科学万博も行なわれたことから緑多い都市として発展してきました。一昨年のつくばエクスプレスの開業により更なる発展が望めます。しかし、私どもの住む小田地区はつくば市北東部に位置し、それらの発展の恩恵は望めない地域でもあり、市内でも過疎地域と呼ばれています。多くの住民が取り残されてしまうと考えるようになりました。しかし、学園都市・市南部とは違い、中世(1185~1602年)と呼ばれる時代には常陸国の中心地と言われる程の歴史が創られ、貴重な史跡(国指定史跡・常陸小田城跡平成26年4月に中世の平城の城跡公園として約11ヘクタールで開園予定です。また、常陸三村寺跡が有り、関東の真言律宗の根本寺として貴重な石仏・石塔が多数残り、三村寺石造美術群と呼ばれています。宝篋(きょう)山(標高461メートル)があります。この宝篋山は山頂に1260年代奈良西大寺の僧・忍性が山麓の三村寺に10年間止住して、宝篋印塔を山頂に建立しました。奈良(大和)県以外では最も古く、山頂から見渡せる所に住むあらゆる生命を極楽浄土に導くための塔です。これにより宝篋山と呼ばれたものと思われます。
 また、宝篋山は筑波山系の最南端に位置し、関東平野へ突き出ていることで、山頂からの眺望は筑波山をしのぎ、関東一いや日本一との言葉を登山者から耳にします。山頂からの眺望はその言葉どおり、よく晴れた澄んだ日は関東平野を一望出来、伊豆の山々に始まり、足柄山・富士山・秩父連山・白根山・榛名山・赤城山・日光連山そして近くに屏風絵のように筑波山がそびえ、東に鹿嶋灘・中央に幕張メッセ・東京・埼玉新都市のビル群をとらえ、足元には霞ヶ浦・土浦市・つくば市・下妻市・筑西市等の街並みが手に取るように見えます。360度のパノラマで、冬の夜は天空の星と関東平野の夜景が融合し、さながら天空を散歩しているように感じられます。若い人は「すごい、すごい」を連発し、中高年からは素晴らしい見事な夜景だとの言葉が発せられます。更に植物の南限・北限の境界に位置し数多くの種類の植物を見ることが出来ます。常願寺コースに沿って流れる沢は50年前、多くの源氏ボタルが飛び回っていました。それらの復活を行なっている人たちもいます。2年前には沢山の源氏ボタルが飛びかいました。今年も期待しています。


里親制で桜並木を

 小田地区の説明は以上にして本題に入ります。何もしないでいては学園地区や他地区に遅れをとることになる。そんな風に考える中年有志(40代~50代)が約40人で平成12年4月、住みよい小田地区を創ろうとの目的で「21世紀の小田地域をよくする会」が設立されました。私も幹事として参加しました。
 最初の2年間は地区の自然や歴史・教育等の勉強会を行なっていました。その時期に他地区で始まった筑波自転車専用道路(別称リンリン道路)約42キロに桜を植えて世界一の長い桜並木にしようという事業があり、当小田地区も5キロを担当することになり、区長会から小田地区は「21世紀の小田地域をよくする会」が主催してくれないかとの要請がありました。早速会議を起こし、品種・植え方・管理そして予算と時期等を考慮し、予算がないので里親制を実施し500本を2月末に植えようと決まりました。里親はスムーズに集まりましたが、一部の農家から虫が出て作物を食われてしまう、日陰になる等の反対意見も出たことで事業のやり方を説明し要望を聞き理解した上で実行しました。植樹の日はおおくの里親の方も参加しましたので、来賓に訪れた当時の市長も「自らの汗を流して地域を美しくすることは本当に素晴らしい。行政も応援する。つくば市の手本になって欲しい」との言葉を頂きました。平成15年には旧小田駅跡へ花壇を設置しました。これも予算ゼロです。解体する屋根瓦を利用し土留めとし土は土建屋さんから頂き、花は市より頂き私たちは計画と労力奉仕をしました。それは国際花の街創りコンクールにつくば市がエントリーしたことで(準優勝賞)、国際本部(カナダ)から桜並木を見ることがあったからというのが、きっかけでした。駅前には今でも木製の手造りベンチと手造りテーブルが数セット置いてあり、自転車に乗ってくる人、近所のお年寄りや子どもたちのいこいの場になっています。


登山道を整備

 以上のことがきっかけで本気になって小田地区を良くしようと考えるようになり、行政との協働事業として宝篋山にハイキングコースを造ることになりました。50年前までは地区の誰もが薪とりに、子どもたちは山遊びに登った山です。しかし、薪から石油・ガス・電気に変わったことにより、山は荒れ放題、松くい虫によって美しい赤松の森はほぼ全滅しました。しかし、自然は素晴らしいプレゼントを下さいました。鳥たちが運んだのでしょうか、山桜・こぶし・木蓮がたくさん自生し、ほとんどが40年生以上の大木となっています。特に山桜は吉野の千本桜をはるかに超えると呼ばれています。しかし、自然は有り難くないプレゼントも下さいました。それらの大木の足元には篠竹・雑木がはびこりジャングルと化していました。山へ入ることも出来ません。その時つくば市は里山トレイルウォーククラブの野田洋平先生(茨城大学名誉教授)を紹介してくださり、早速登山道を造る下見に行ったのですが、1回目は見事に山中で迷子になりました。それ程のジャングルだったのです。しかし、小田地区の人は昔を思い出しながら何度も挑戦し、やっと常願寺コースが開通し、全員で万歳と叫んだのを思い出します。その後、極楽寺コース・順平歩道・小田城コースと整備しました。この間「宝篋山ハイキングと歴史の道を歩く会」を春・秋の年2回実施し(トン汁サービスやお米の当たる抽選会、山頂附近でコンサート)イベントは7回を数えました。現在は、山頂並びに山頂附近の宝篋峰城跡と山桜の森を景観ポイントとして、また、森林浴の場として篠竹や雑木の伐採をし、ベンチ・テーブルを設置することを行なっています(山頂は国土交通省の関東の富士見百景に選定されました)。また、これからも宝篋山ハイキングコースや景観ポイント・森林浴の広場(山桜・コブシの足元をきれいにし、山つつじ等を植え、ベンチ・テーブルを設置し、眺望を良くし、小鳥の巣箱を取り付け癒しの空間を造る)等造って参ります。私たちが流した汗の量が増えれば、訪れる人も増えると思います。やらなければならないことがたくさんあります。次の段階は小田城跡の美しい城跡公園が完成したらそれらを守り、三村寺跡を私たちの出来ること(整備)をしていきながら新たな観光・農業を育て、地域の活性化に取り組みます。平成16年には地元の各会にお願いし資金を集め、小田十字路へ歴史の案内棟を設置しました。意外にも地元の素晴らしい歴史を地元のほとんどの人が知らないので何とかしなければ、更に、歴史の研究会や石塔・石仏研究会等が遠くから来ても説明も何もしてもらえないとの声に、設置することが決定されました。内容は自分たちで考え、地元の業者さんの協力もあって日本一素晴らしく、安価な看板が出来たと思っています。この看板がつくば市議団の市内視察の時に目に留まり、全員が拍手をし、地区住民の素晴らしいパワーに感動したように聞き及んでいます。平成18年にNPO法人小田地域振興協議会の認可を得、記念事業として、つくば市小田地区「自然と歴史」約100ページの小冊子を作り、市や小・中学校・高校、図書館等に配布しました。また、18年度は田んぼの幹線道路で「かかし祭りと小田グルメ」を行なったところ110体もの参加がありました。「今年もやってよ」との声や「私たちも今年は参加するよ」と好評を得たので、これも継続事業として発展させていきます(ハイキングコースの陽当たりの良い場所はすぐ草や篠竹が生えてきます。根気よく管理していかなければなりません)。そして、平成19年4月8日つくば市による宝篋山ハイキングや歴史散策の基地として「宝篋山小田休憩所」が開所しました。成果としての経済的効果(数字)は解りませんが、つくば市には歴史がない人工の都市だと思っていたけどこんな近くに素晴らしい自然と他市を圧倒する貴重な歴史があったことがうれしいと市内の人には大変喜ばれ、県内各地を始め東京や千葉・埼玉から、わざわざ訪れる人も増えています。そして、その人たちが友だちを連れて何度も来るようになりました。「こんな所に住みたいね」「本当に近くて良いところね」との言葉をよく耳にします。その度に、おもてなしの気持ちで接すると、美しい心からの感謝の言葉が返ってきます。こちらからも訪れて下さってありがとうの感謝の気持ちを込めてこれからも地域創りを進めてまいります。