「あしたのまち・くらしづくり2006」掲載
<まち・くらしづくり活動部門>あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

東の辻水源の自然環境復元活動
茨城県石岡市 東の辻二部町内会
美化運動のはじまり

 私たちの町内は、石岡市の駅東約1.5キロのところにあります。1978年に杉並小学校が開校するまでは、東小学校への主要通学路だったが、周囲が山林に囲まれ道路も3~4メートル幅で昼なお暗いため、登下校時における安全確保には保護者にとって一苦労するところでした。
 こういう地域のため、1974年の茨城国体当時、環境美化クラブを結成し通学路周辺の草刈・花作りを始めたのが地域の美化運動の発端です。


死滅した東の辻水源

 町内東側には、かつて「清水の湧き出る池」と呼ばれる農業用水源であった国有地(2003年、石岡市へ移管)の「東の辻水源」(約0.7ヘクタール)があります。この水系は、6号国道を横断し「まないた池」や「園部川」を経て約5キロ下流の「霞ケ浦」に注いでいます。
 茨城国体(1974年)が開かれたころの「東の辻水源」は、湧水が豊かで下流の水田を潤す水源として機能していました。
 その後、水源を県道7号線が(地域では村上~六軒線といっています)分断開通し、6号国道に合流したことにより周辺は大型ショッピングセンターや商店が進出し都市化が進んだため、残念ながら東の辻水源は完全に忘れられた存在になり、周辺の開発にともないゴミの不法投棄や県道7号線からの雨水排水、さらには生活廃水の流入などにより悪臭を放つ死滅した池となってしまったのです。


霞ヶ浦の浄化は東の辻水源から


 そこで昔のように小魚が泳ぎホタルの舞う「地域の憩いの場」として再生させ、霞ケ浦の浄化は最上流の「東の辻水源の浄化」より取り組もうと、2002年度から自然環境復元活動を始めました。


地域の底力

 この「自然環境復元活動」取り組みへの町内の構えは、前記の通り環境美化活動を1974年から30年間絶え間なく継続してきたことが素地となっています。
 2003年には町内の美化活動について永年の実績が認められ茨城県環境美化コンクールで知事賞を受賞しました。また、2004年度から2008年度までの5年間「茨城県環境美化モデル地区」に指定されています。
 という背景があるため、地域の泣き所となっていた「荒れ放題の池」にも私たち町内の底力を発揮することとなったのです。


復元活動の状況

◎2002年度の活動(1年目)
不法投棄物回収とジャングル清掃
 ジャングル化した水源のシノ刈りや不法投棄物の回収をしました。
 2メートル以上に伸びきったシノ山のジャングル清掃は湿地のため、1時間に1メートル位しか進まず困難を極めました。また不法投棄物は想像を絶するほどの多量で、市のトラック4台も運び出すほどでした。
 町内会員総出の奉仕作業は、年5回実施して、荒れ放題のジャングルがなくなり、湖面全体が見えるようにまでなりました。

◎2003年度の活動(2年目)
「EM活性液」の効果を知る
行政への悪臭の苦情ゼロとなる
 不法投棄物回収のための遊歩道を築き(市道路課の支援による)水源北側をなんとか歩けるようにしました。また、水辺の悪臭がひどいので困惑していたところ、ボランティアグループの石岡緑の会からEM菌情報が入り、浄化推進役の鈴木せつ子さんや鈴木卓さん(関川地区)たちが、EM活性液をトラックで搬入し、無償で数回散布していただきました。
 このため、私たちの展開している東の辻水源の自然環境復元活動に自信を持ちました。

◎2004年度の活動(3年目)
「生活排水浄化モデル事業」開始
 遊歩道にカンナの花を咲かせることがはじめてできました。一般市民もこんなところに池があった、ということが知られるようになりました。
 町内で取り組んでいる環境復元活動に対して、市環境保全課では「生活排水浄化モデル事業」として予算を計上していただくことができました。これには、取手市の恒川敏江さんのNPO緑の会や大倉みや子さんの石岡緑の会などのご支援により、EM菌の散布を継続実施していただきました。
 町内各家庭では「お米のとぎ汁EM発酵液」をつくり、家庭の排水溝から流すことを継続して、水質改善に努めました。
 特筆すべきことは、環境浄化に取り組んでいる茨城県内各地の個人や団体の方々が、数多く見学に来られ、私たちも復元活動にいっそう自信を持ったことです。
 年間を通して活動を継続しているため、池の存在が地域に浸透し、不法投棄も減少してきたのが大変よいことだと思いました。

◎2005年度の活動(4年目)
水源上流に「いこいの広場」造成
 水源南側にも遊歩道をつくろうと、市都市建設部に相談し、盛り土を4トントラック150台ほど搬入していただき、町内会員の力で、水源の一部に「いこいの広場」をつくりました。私たちの水源清掃作業も次第に定着し、特に大きく変化したことは、
①水辺の悪臭が減少したこと。
②フナの稚魚が孵化、水面に魚形が映るまでになったこと。
③秋には、清流に棲む飛ぶ宝石といわれる「カワセミ」の飛来を確認し、地域の大きな話題になったこと。
④「いこいの広場」など、つい最近まで考えも及ばなかったことが実現したこと。

◎2006年度の活動(5年目)
待望の水源南側への「遊歩道造成」
 4月には、この水源にキンギョ200匹ほどを町内の子どもたちと一緒に放流、悪臭の減少した水源付近を散策しながら、見て楽しめる水源になってきたことが自慢です。
 本年度の大きな目標は、水源南側に位置する、民有地(地権者 藤枝行様)の協力を得て、水源南側に町内会員の手で遊歩道をつくり、水源の周囲を回遊・散策できる、美しい東の辻水源にすることです。


水と緑とまごころを

未来に残そう 地域の力

 私たちは、東の辻水源の自然環境復元活動に取り組んで5年目を迎え、不法投棄物の撤収・シノ刈り・遊歩道の設置・悪臭を除去するEM活性液の投入・花壇の整備などに子ども会の活動も取り入れ、町内一丸となって取り組んでいます。
 水源浄化のキャッチフレーズは「水と緑とまごころを 未来に残そう地域の力」として、休日になると毎週のように数名の町内会員が終日スコップなどを手に水源に集い活動を続けています。
 これらは、私たち町内会が取り組む環境復元活動の成果であり、未来に向けての明るいまちづくりであると確信しています。
 町内では、今後「ホタルの舞う水源」を夢見て環境復元活動に努力しているところです。


今後の計画

①水源原野内の流路整備や市からいただいた盛り土による水源南側への遊歩道をつくること。
②「いこいの広場」の整備をすること。
③花壇などの整備をし、水源全体を花いっぱいにすること。
④ヘドロなどの回収作業を継続し、小魚などの棲息しやすい環境をつくること。
⑤「EM活性液散布」や「お米のとぎ汁EM発酵液作り」による水源の悪臭除去を継続し、水質改善に取り組むこと。
⑥小魚の放流・ホタルやカワニナの養殖放流等を実施すること。
 町内会発足当時(1968年)は、うっそうとした山林の中の十数戸の住宅であったが、最近では140戸を数える住宅地に変化した。こういう住環境の中で、私たちのまちは、私たちの手でつくりあげよう、「水と緑とまごころを 未来に残そう地域の力」の理念を掲げ努力しています。
参考(当該地域の面積:水源、山林、原野、住宅地、通学路等約25ヘクタール)