「あしたのまち・くらしづくり2006」掲載
<子育て支援活動部門>あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

みんなで育てる みんなで育つ
兵庫県西宮市 瓦木地区青少年愛護協議会

 住宅街の小学校の一角、大きなボールを投げ合う子どもたちの歓声が聞こえている。Tシャツの胸を土ぼこりで真っ白にして、さんざんあばれて、喉が渇くと、隣接する公民館に用意しているお茶を飲みにわいわい入ってくる。持ってきたゲームをする子、オセロをする子、宿題をすませる子…。ここは、何をしてもしなくてもいい、自由な「子どもの居場所」。「かわらぎフリースペース」です。

 私たち瓦木地区青少年愛護協議会の活動拠点である瓦木地区は、兵庫県西宮市の住宅街にあり、一見環境に恵まれて、便利な、問題の少ない地域だと思われがちです。しかし、10年前の阪神淡路大震災では大きな被害を受け、人も建物も多くを失い、さらに社会状況の変化から、銀行などの社宅が減り、マンションが次々に建てられるなど、短期間で大きく地域コミュニティが変化し、地域のつながりは希薄になってきています。個人主義の考えが目立ち、社会的なマナーの悪さも目につきます。

 私たちの団体は、青少年の健全育成を目的とし、昭和44年に発足して、瓦木小学校区で活動をしています。もともとは、地域の青少年を守り育てるために話し合いを行なう協議体でしたが、子どもたちに必要な体験活動や、地域行事を行なう実行組織としての役割りも担うようになりました。構成メンバーは、学校長、園長、生徒指導、自治会やPTAなど、あらゆる地域団体の代表やボランティアです。今、「地域で子どもを育てる」という観点からみて、古くて新しい、大変合理的かつ先駆的な組織であると自負しています。

 10年前、阪神淡路大震災が起きた年の春から、会長をさせていただく中で、「既存の地域団体」である、「瓦木地区青少年愛護協議会」が、「地域で子どもを育てる」という考えの元、何を目指し、何を柱に活動を積み上げてきたのか、また一つの小学校区から全市的な取り組みにどう発信してきたのかを記したいと思います。

 阪神淡路大震災の直後は、しばらく学校に通えない日々が続き、やっと授業が始まっても、通学路が危険であったり、建物を撤去する埃や騒音、トラックの往来など、気の休まる間もない状況でした。大人が再建に忙しい中、子どもたちの笑顔が戻る場づくりと、安全の確保をしなければ、という思いから、お話と音楽の会を開いたのです。落語を題材にした「ばけものつかい」という手作りの紙芝居や、「びゅんびゅんゴマが回ったら」という絵本を読み、実際に「びゅんびゅんゴマ」を作って遊びました。そのときの子どもたちの笑い声、目の輝きは、私たちにとって忘れられないものとなり、その後平成9年に、小学校の図書室で、読み聞かせや本の整理をする「瓦木小学校図書ボランティアももたろう」を立ち上げ、紙芝居を作ったり、お話し会をしたりする活動を始めました。また、同じ震災の年から続けてきた活動にキャンプがあります。震災後で埃っぽい町中から子どもたちを連れ出し、山の自然の中でのびのび遊ばせたいという思いから、市民の憩いの場であり、なだらかで美しい甲山に行き、自然の中でナイトハイクやアスレチックなどを行なう「甲山キャンプ」を行ないました。また、小学校の運動場にテントを張り、野外料理を作ったり、キャンプファイヤーを楽しむ「学校1泊キャンプ」も続けていますが、参加する子どもたちは、スタッフの高校生、大学生の野外活動リーダーと、キャンプが終わっても離れがたい様子です。また、環境学習の視点から、小学校のプールでの「やご」捕りもしました。プールに溜まった泥の中に2000匹近くのヤゴがいると教えてもらいましたが、風で飛んでくる土が、周りの田んぼが減ったことで少なくなり、100数十匹しか捕獲できませんでした。それでも子どもたちは、ペットボトルを切った容器に泥と一緒にヤゴを入れ、羽化で登るための割り箸を差して、大切に持ち帰り、後日、各家庭で羽化した話を、興奮気味に話してくれる子どもたちもいました。このような、野外でのびのび遊ぶ体験、自然を体で感じる体験の他、重視しているのは、「豊かな文化」に触れ「豊かな感性」を持つ人に育てる、ということです。地元の瓦木小学校に難聴児学級があることから、聴覚障害者とともに演じている人形劇団「デフ・パペットシアターひとみ」の公演、特に「図書ボランティアももたろう」という、グループ名と共通する作品「泣き虫ももたろう」の上演は、長年の希望でした。平成16年に震災10周年記念事業として、聾学校の生徒さんや、手話サークルの人にも見に来ていただき、楽しい時間を共有することができました。また、水害で大きな被害を受けた豊岡市の子どもたちにも、ボランティア上演として出向き、見てもらうことができました。「生」の音の響き、声の強弱、息使い、緊張した空気は、強烈な色や音に慣れた子どもたちにとっても、新鮮に感じられたようです。

 今年はお正月の「とんど焼き」に合わせて和太鼓を鑑賞し、体験もさせてもらったり、春には弦楽四重奏を楽しみました。夏祭りでは、プロの人形劇鑑賞も恒例になっています。

 このように行事を月1、2回の割合で開催し、それなりの手ごたえは感じてきましたが、ちょうど5、6年前から、青少年団体への助成金が大幅に減り、引き続き充実した体験活動を続けるために、様々な補助金事業に、企画を立て事業を展開してきました。この経験、積み重ねは、通常の決まった行事を進める中では気付かなかった、地域課題に思い当たるきっかけとなりました。近くに児童館や福祉施設など、安全に集まれる施設がない上、全国的に子どもが被害を受ける事件事故が多発する社会状況となり、早急に、子どもたちが安心・安全に、自由に過ごせる場所をつくる必要性がでてきました。平成15年5月から夏まで、地域の中心にある二見公園で、「放課後遊ぼう会」を開き、コマ回しや、水鉄砲、長縄、バトミントンなどで遊びました。7月からは、瓦木小学校の敷地に建つ、瓦木公民館分館で、毎週月、水曜日の午後「かわらぎフリースペース」を開放してきました。ギターやダンスの練習をする高校生とライブを開いたり、兵庫県の中学2年生が、社会体験をする取り組みである「トライやるウィーク」を受け入れ、小学生の遊びをサポートしてもらったり、お手玉の練習をしたりと、「居場所」を拠点としての活動と人の輪が広がりました。「かわらぎフリースペース」では、隣りの部屋を控え室にしており、様々な人が訪れます。冗談で「大人のたまり場」だと笑ったこともありましたが、子どもの笑い声が聞こえる場所に、みんなが集まり、支えあえる地域の居場所を、ハード、ソフト両面で数年中に整備をしたいと考えています。また平成16年度、17年度は、常にこだわってきた「遊び」の大切さ、面白さを、全市的に発信するため、「おもちゃと遊びのフェスティバル」を開催。世界のおもちゃやゲームで遊んだり、石を使って動物や魚を作ったりして、親子で楽しく遊びました。また、みんなの集まる居場所のあり方を探るため、広く呼びかけてエッセイの募集を行ないました。優しく、温かい文章が600通以上寄せられ、良い作品集ができました。

 今、阪神淡路大震災から10年が経ち、結果として起きた地域コミュニティの大きな動きを、マイナスと捉えず、広く受け入れる寛容さを持つ豊かな瓦木地域として、乳幼児を持つ家族の子育て支援や、放課後の子どもたちの安全な遊び場の確保、お母さんやお父さんのグループづくり、社会とつながりを持ちにくい中高生の活躍の場、そしてそれを支える、地域の教育力、地域資源の掘り起こしをこの機会に行ない、子どもたちの声が、元気にいつも聞こえる、地域の賑わいを、みんなで支えていきたいものです。