「あしたのまち・くらしづくり2006」掲載
<子育て支援活動部門>あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

子ども支援と子育て支援
宮城県仙台市青葉区 特定非営利活動法人MIYAGI子どもネットワーク

 1995年(平成7)年、「エンゼルプラン」が発表されたのをきっかけに、子ども劇場や冒険遊び場関係者、児童厚生員、託児ボランティアなど、子どもに関わる様々な活動を長く続けてきた10人の女性が「エンゼルプランを考える会」を結成しました。
 このプランが発表されたとき、これからの子育てはとても明るいものになると思われましたが長時間保育や休日保育などの充実という数値目標が先行して、子どもが親と過ごす時間を奪われてしまうのではないかという危惧もありました。そこで、仙台市内の団体のリーダーたちが集まり、このプランを検証することを目的として活動を開始したのが、この会の始まりでした。
 調査の中で、若い母親たちから「子育てがつらい」という声をよく聞きました。仙台市は転勤族の多い街で、小さい子どもを抱えて、知らない土地で子育てをしなければならない人が多かったのです。そんな母親や子どもたちのために、活動しながら子育ての相談にのることもしばしばありました。話を聞いてみると、悩んでいることは自分たちが子育てしていた時とほとんど変わりませんでした。先輩お母さんとして何かできることはないだろうかと考えた結果、1998年、実働する団体として「MIYAGI子どもネットワーク」を設立しました。活動は「子ども支援」と「子育て支援」の二本柱としました。子どもが生き生きできるためには、子どもの周りの大人たちが元気でいなければならないと考えたからです。


子育て支援について

 子育てに関する様々な調査をするうちに、仙台市内は核家族が多く、夫は仕事でなかなか子育てを手伝えない状況の中、ひとりで子育てをしている母親の多くが、子どもを少しの時間でも預かってもらいたいという思いが多くあることを知りました。「自分の具合が悪くなったとき」「2人目の妊娠で検診のとき」「上の子の通院時」時には「美容院にも行きたい」などの希望も多くありました。そこで、私たちのメンバーの中で、託児ボランティアをしていた人を中心として、子どもの一時預かりを始めました。場所を借りて、理由を問わずに気軽に預けられる託児と、学習会やコンサートに託児を派遣する二つのパターンで始めました。
 しかし、いざ始めてみるとそれほど多くの利用はありませんでした。理由は二つありました。まず、仕事を持たない母親にとって、利用料金の負担は難しいこと、もう一つは母親自身に自分が育児放棄しているのではないかという罪悪感があることでした。
 料金のことでは、初めは民間の助成金に申請して支援をしてもらいましたが、助成金の多くが単年度のものであるため、活動の継続が難しかったので、仙台市の関係課に「宅老所に助成するように託児室にも助成してほしい」と働きかけて、「託児ボランティア団体助成」という制度をつくってもらい、家賃と活動費の補助を受けられるようになりました。自分たちが助成を受けるだけでなく、同様の活動をしたい人にも使える助成制度をつくってほしいという思いが実って、現在では仙台市内7団体がこの制度を利用して託児室を運営しています。また、私たちに場所を貸してくれたショッピングセンターとの話し合いで、その店のカード利用者にはポイントで託児料が払える仕組みを作りました。現金を払わずにすむようになってからは、利用は3倍ほどになりました。
 母親へのサポートとしては、子育て講座の開催や、女性の生き方を考える講座などを開催し、目の前のことだけでなく、ひとりの人間として自分を見失わない視野の広さをもってほしいと願って活動してきました。講座にはすべて託児をつけて、母親同士がゆっくり話せるようにして、とても喜ばれました。関西からきたお母さん対象の「関西弁で話そう!」という講座では、初めは楽しそうに話していた参加者が、次第にさびしい気持ちや苦労したことなどを語り合い、涙・涙の会になりましたが、最後はアドレスの交換などをして、晴れ晴れとした顔で帰っていってくれました。私たちにとっても大変印象深かった講座の一つです。
 託児の中では、子どもたちも楽しく過ごしています。もちろんお母さんと離れるのは不安ですが、兄弟の少ない子どもにとっては、託児室の中はほかの子と関わる良い機会ですし、託児スタッフは子どもを平等に見て、少々のトラブルは経験させることも大切と考えています。託児の中で子どもも成長するのです。
 このように母親が自分の時間をもち、子どもとゆったりした気持ちで接することは、虐待の防止にもつながると考えています。MIYAGI子どもネットワークを設立当初から、子育て支援は虐待防止につながると考えて活動してきました。
 現在2か所の託児室を運営しているほか、市民センターの託児付き講座などへ年間100回ほどの派遣託児を行ない、また、外国人の母親が日本語学習をしている間に子どものクラスを運営するなどの事業も行なっています。
 2005年度に預かった子どもの数は1724人でした。現在20人ほどの女性たちが託児に携わっていますが、いずれも自分たちが苦労した経験をもとに、少しでも後輩のお母さんたちの応援をしようとがんばっています。


子ども支援

 現在でこそ子育て支援も虐待防止活動であるという認識が広まっていますが、1998年当時はそれほどではありませんでした。私たちは、子育て支援で虐待予防に努める一方で、虐待防止の仕組みづくりも目的の一つに掲げました。
 何より子ども自身が声をあげることができることが必要と考えましたが、子どもたちは先生にも親にもなかなか思っていることを言えないというのです。子どもの声を聞くにはどうすればよいかと思っていたときに、世田谷で「チャイルドライン」を始めることを知りました。電話なら子どもが打ち明けてくれるかもしれないと考え、宮城県に「チャイルドライン」をつくることを計画しました。「チャイルドライン」はイギリスで虐待防止を目的として始められた子ども専用電話で、24時間フリーダイヤルで運営されています。英1999(平成11)年度から月1回の学習会を開いて準備を重ね、12月にはイギリスからチャイルドラインのマネージャーを招いて、シンポジウムを企画しました。このことで、宮城県内でもチャイルドラインの存在を知る人が一気に増え、その後3回の試験設置を経て2001(平成13)年10月、MIYAGI子どもネットワークから独立した組織として「チャイルドラインinMIYAGI」を設立し、2002(平成14)年3月に電話の常設を果たしました。平日毎日16時から19時までの3時間、フリーダイヤルで子どもの声を聞いています。2002(平成14)年3月の開設後、寄せられた電話は約1万4000件、関わった受け手ボランティアの数は約3200人となりました。
 子ども支援と子育て支援、その両方を同時に行なっているのは児童館です。仙台市では2004年度、次年度に開館する四つの児童館の指定管理者を公募しました。会員の住んでいる地域にも新しい児童館ができると知り、これまでの活動の成果を児童館の運営に生かしてみたいという気持ちを持つ会員も出てきました。自分たちでも運営ができるだろうかという不安は多少ありましたが、今まで子ども支援・子育て支援を行なってきた想いや、これから児童館の中でやりたいことなどを申請書に書いて出したところ、第1位で指定管理者として採用されました。現在三つの児童館を運営し、毎日多くの親子、小・中学生が遊びに来てくれています。地域の方たちにも愛される児童館でありたいと、いろいろ働きかけをした結果、子どもに昔遊びを指導していただいたり、図書を寄付していただいたりと協力していただけるようになりました。先日は、地域の方を講師に、まち探検を実施しました。子どもたちにとっては、ふだん何気なく遊んでいる自分のまちの歴史を知る機会となり、新しい発見もあったようです。また、このことで、児童館は決して子どもを持つ人だけのものではなく、子どもを思う地域の人なら誰でも使える施設であることを、地域の方たちにお知らせすることができました。
 MIYAGI子どもネットワークは「チャイルドラインinMIYAGI」とは別な組織となりましたが、常に連携しています。「チャイルドラインinMIYAGI」の様子を見ていて、本当は子どもの身近に話を聞いてくれる人がいるのが一番なのですが、子どもはなかなか親や教師には本音を話さないのが分かりました。その意味では、第三の大人の存在が必要だと思いました。児童館に携わる職員は、チャイルドライン受け手ボランティア養成講座と同じ内容の研修を受け、子どもの声を聴くことができる大人として子どもと接しています。

 一ボランティア団体として出発した「MIYAGI子どもネットワーク」は、現在50名ほどの大所帯となり、男性5人を含む常勤職員20人、非常勤職員8人を抱えるようになりました。組織が大きくなって運営も大変になりましたが、「子ども支援・子育て支援」の初心を忘れることなく、子どもや親の気持ちに寄り添って活動していこうと思っています。