「あした通信」206号掲載
ル ポ

子どもと親がともに育つしくみをつくる
東京都小平市 プレイセンター・ビーンズ
 子育てに一段落した自称普通のおばさんたち3人が、日本プレイセンター協会主催の講座を受講したのをきっかけに、地域で子どもとそのお母さんたちを支援する活動を展開し、子どもと親がともに育つしくみをつくりだすとともに、そこで得た経験を全国に拡げる活動を繰り広げている。


週3回の親子の集まりや月2回の親の学習会を開催

 まだ遊び足りないのか、後片付けが終わって、さえぎるものがなくなった40畳の畳の部屋を駈けずり回り、積み上げてあった座布団の山に突進して遊ぶ子どもたちも、締めくくりの「ぞうきんの歌」でのお母さんとの多少手荒いスキンシップで、すっかり満足したのか、「バイバイ。またね」と言いながら帰っていく。
 東京都国分寺市北町にある自治会集会所も兼ねる社務所で、週3回、午前10時から12時までの2時間、乳幼児とその親たちの集まり「プレイセンター・ピカソ」が開かれている。室内では、積み木をしたり、粘土細工をしたり、小さなテントにもぐり込んだり、あるいは社務所に隣接した公園では、すべり台やブランコに興じたり、ときには裏の林を探検したりを、2時間目一杯遊ぶ。
 このプレイセンター・ピカソと並行して、月2回、「学習会」も開かれる。プレイセンターの理念や子どもの「プレイセンターの運営」「遊びの本質」などについて学習するとともに、「歯磨きタイムを設けたらどうかしら」などプレイセンターの進め方や、「新幹線のおもちゃを離したがらないのだけれど、どうしたら良いかしら」など相談ごとや悩みが話題になる。この間、子どもたちは、先輩ママや小平市内で子育て支援の活動をしているNPO法人きららの面々が面倒を見ている。このほかにも、月1回の「家族で遊ぶ日」や隔月1回の割りで、会員以外を対象にした「エンジョイ!プレイセンター」も開いている。
 この子育て支援の活動を生み出したのは、自称、3人の普通のおばさんたち。話は2000年にさかのぼる。


自主保育活動「プレイセンター」の活動に共鳴して

 世田谷区の羽根木公園で始まった「プレイパーク」を地元につくるなどの活動に取り組んでいた足立隆子さんと石川あき子さん。この二人に海田みどりさん。3人は同世代。ともに子育てが一段落し、自分の子育て体験や周りの子育てを見て、今の子育ての状況を変えていきたいとの思いを持っていた。そんな矢先、足立さんがたまたま眼にしたのが「日本プレイセンター協会」が主催する第1回のスーパーバイザー講座の案内。海田さん、石川さんを誘い3人で受話した。
 「プレイセンター」は、ニュージーランドで60年の歴史を持つ自主保育の活動で、子育てを楽しみながら家族が一緒に成長することをめざすもの。「親が見守り応援してくれる環境においてこそ、子どもは最もよく能力を伸ばすことができる」「子どもにとって最もよい先生は親」との考えのもと、0歳児から小学校入学前の子どもとその親を対象にして、遊び場を設けたり、親のディスカッションを中心にした学習活動を行なう。そして、親たちの自主運営を旨としている活動。少子化に関する社会の問題を研究している(株)日本総合研究所の池本美香さんが、かの地を訪れこの活動に深く賛同し、日本でも広めようと日本プレイセンター協会を2000年に発足させた。そして、この運動を広める役割を担う人たちを養成するため、同年11月にはじめたのが、このスーパーバイザー講座。そのときの受講者は足立さんたち3人を含め7人だったという。
 受講後、プレイセンターの考えに共鳴した3人は、地元での立ち上げを決意する。グループ名を「ビーンズ」と名づけた。3つの豆が入っているさやえんどうから採った。最初に行なったのが、子どもを持つ親とのつながりを求めて、映画の上映会。活動資金を得ることも兼ねて実施し、プレイセンターの趣旨を訴えていった。次に、ここで得た資金をもとに、池本さんなどを講師に迎えての講座や公民館保育室を利用しての体験版を試みていった。しかし、難関は場所探し。プレイセンターを実施するうえで、ある程度の大きさを持った部屋で、近くに戸外で遊べる場所があるとなると、公民館などの市の施設は制約も多く、必ずしも適当ではなかった。そんなとき口コミで、神社の社務所の存在を知り、地元の人を通して借りられることになった。ここを会場として3か月の試行期間を経て、2002年9月に、都内第1号のプレイセンターが誕生した。このときには、小平市と国分寺市を中心に13家族の親子が参加した。会員へのアンケートで、名前を「プレイセンター・ピカソ」と命名。その後、開催回数も週2回から3回へ、学習会も月1回から2回と増えていき、参加家族数も、転勤などで出入りはあるものの毎年30から40家族ほどが参加して定着している。


若い世代に引き継がれる活動

 この活動で注目すべきことは、冒頭述べたように、親子がともに成長していること。お母さん自身にとっても、多くの子どもやその母親と関わることにより、自分の子育てを客観的に考える機会になり、改めて子育ての喜びや大切さを確認できるという。出産を契機に勤めを辞め、子育て中心の生活になった若いお母さんたちの心によぎるのは、母親になった喜びを感じつつも、「世間から取り残され、間違った選択をしたのではないか」という不安。そんな思いがプレイセンターに参加することで払拭されたと会員たちは言う。そして、単にお客様として参加するのではなく、掃除や会場の設営、受付をしたり、さらに保健士の資格のあるお母さんは救命法の講習会の企画を、絵心のある人や出版経験のある人は、冊子やホームページづくりにかかわるなど、自分の経験や能力を発揮できる場にもなっている。子どもが大きくなりここを巣立っても、ここから離れがたくOB組織の「ピカソクラブ」も結成された。ピカソクラブでは、先輩としてプレイセンターや学習会をリードし、活動が引き継がれている。


日本プレイセンター協会の事務局も担う

 3人の活動は、地元でのプレイセンターの立ち上げ、運営だけにとどまらず、日本プレイセンター協会の事務局も担うようになっていく。同協会は、3人が受講したのが第1回の講座であったことからわかるように、産声を上げたばかりの団体で、現在のメンバーは7人。事務局はビーンズの事務所に置かれ、養成講座の企画、東京都東久留米市、千葉県佐倉市、八千代市などに広がりつつあるプレイセンターとの交流・連携をはかるため、ニュースレターの発行やホームページの開設をビーンズが請け負っている。もっとも、3人は自ら「アナログ人間」と称するように、ホームページづくりなどはピカソクラブの面々にその多くを負っているのではある。「今の子育ての状況を変えたい」と言う3人の想いは、若いお母さんたちの共感を得て、着実に広がりつつあるといえよう。