パネルディスカッション |
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地域づくりと世代間交流 (パネリスト)
長谷川 法世(博多町人文化連盟理事長・博多町家ふるさと館館長)
瀧田 喜代三(博多祇園山笠振興会会長)
山川 千寿(古賀市えんがわクラブ代表)
大谷 清美(NPO法人チャイルドケアセンター大野城代表)
(コーディネーター)
林田 スマ(フリーアナウンサー、大野城まどかぴあ男女平等推進センター所長、青少年アンビシャス運動委員会副会長、筑紫女学園大学非常勤講師) |
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林田(司会) 昔は、家の中におじいちゃん、おばあちゃんがいて、おじさん、おばさんまでいて、いろいろな人がいて、もちろん地域にも世代間交流があった。でも今は、核家族になり、そして「知らんおいちゃんについていかんとよ」と、垣根がすごく高くなった。それをもう少し緩やかにできる社会をつくっていこうということだと思います。
まず具体的な活動をお話ください。
幅広い年齢層が関わる―NPO法人チャイルドケアセンター大野城
大谷 大野城市の中学校で開催している中学校サロンは、子育て中の親が、赤ちゃんや子どもを連れて気軽に立ち寄ることができます。中学校のOBに当たるお母さん、地域のシニアクラブ、民生委員を含めたボランティアで運営しています。千代中学校では選択授業の一環として、大野中学校では家庭科の授業として中学3年生のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちと地域の親子が交流できるスペースを設置しています。
ぽかぽか広場は、遊び場が欲しい、仲間と楽しく過ごしたいというお母さんたちの願いを受けて、毎日集える場所をつくっています。多胎児サークル、転勤してきた子育て中の親子のウエルカムパーティ、お母さんたちの学習の機会の提供や地域の方々との交流など、様々な企画で世代間の交流を行なっています。
小学校高学年、長期休暇中児童クラブ、キートスクラブは、大野城市の学童保育は1年生から3年生までで、4年生以上も実施してほしいとの要望に応え、保護者と一緒に長期休暇中の子どもの安全確保と規則正しい生活及び地域活動などの支援を行なっています。指導員として中高大学生、地域のおじいちゃん、おばあちゃんなど、幅広い年齢層が関わっています。
子どもは様々な人との触れ合いの中で大きく成長していきます。また地域の人々が関わることで、子育てを通じた助け合いが生まれ、それが地域社会の活力へとつながります。地域の方のまなざしの中で育つ子どもたちは、主体性を育み、自らの責任で行動し、自然や地域や人々との共同の中から、成長することを願いながら、私たちは、これからも地域社会、関係機関と連携して、地域の人たちとともに「育て合う」を合い言葉に活動していきたいと思っています。
子どもとの交流を通じて介護予防―古賀市えんがわクラブ
山川 えんがわくらぶというのは、子どもとの交流を通じて、元気交流所をつくって、介護予防をしていこうという施設です。小学校の中にあって、いつも子どもたちと交流をしながら、あるいは要介護状態にならないようにと、年に80回ぐらい集まって勉強しています。そのうちの30回は、子どもとの交流に使っています。
子どもたちの表情も、高齢者の表情も非常にいいです。ニコニコしています。そのくらい子どもと高齢者というのは、波長というか時間のペースが本当によく合うんです。だから、ゆっくりしたリズムで子どもたちと話もできるし、遊びもできる。
顕著な例が、お昼休み。子どもたちはえんがわくらぶに走ってくるんです。えんがわさんと遊びたいという一心でくるんです。子どもたちは、私たちのことを親しみを込めて「えんがわさん」と呼びます。そのくらい、自分にとって身近な関係、存在なんです。
先人への尊敬と感謝で山笠継承―博多祇園山笠振興会
瀧田 山笠の起源については諸説ありますが、仁治2年(1241年)、博多の承天寺の開祖・聖一国師が疫病退散を願ったのが山笠の発祥と言われています。それから768年間、順風満帆で山笠が今日を迎えているのではありません。
1回目の存続の危機は明治5年。祭礼が禁止されて、博多どんたくの源流である博多松囃子、博多山笠などが禁じられた。華美なものはいかんということです。その後、松囃子は明治11年に、博多山笠は明治16年に解禁されました。
2回目の危機は明治31年。山笠禁止の理由は三つです。@ヤマが高くて電線を切る。Aふんどし姿の男は非常に見た目が悪い。B暴飲暴食して非常に不衛生。
それで博多の先輩たちがどうしたか。新聞社で大キャンペーンを打ち、県とも博多の人間とも話して、ヤマが高いなら低くしよう。半裸がいかんなら、町内ごとにハッピをつくれ、ふんどしが悪いなら、締め込みだ、地下足袋をはけ、キャハンをしよう、さらしの腹巻きをしようと。暴飲暴食も厳に慎めということで、翌年から再開しました。
3回目は昭和41年。文化省が町内会改革をしました。このとき世話人方式から街区方式になって、町内が133か所から24か所に減ったわけです。このように順風満帆ではなかった。
実は、平成20年3月に、地域づくり総務大臣賞をもらったんですが、受賞理由が、@伝統文化を継承していること。A博多山笠の発展に、地域と住民が一体となって取り組み、内外にそれを紹介していること。B山笠行事を通じて、青少年の育成、地域コミュニティの発展等に非常に貢献していることです。
私は、こういう賞をもらったときに、先人に対する尊敬と感謝の念を忘れてはいけないと思っておりますし、このことを次世代に伝えていかなければいけないと思っています。
山笠は人間関係や世間を学ぶ
林田(司会) 長谷川さん、歴史的にずっと世代間交流を続けてきた山笠ですが、問題点等があればお願いします。
長谷川 博多の祭りに限らずいろいろな場面で、手一本入れるという言い方をします。関東風に言えば、手締め。会議が終わった後に、手を入れて、全員一致なんです。山笠の場合は、多数決で決まったら、全員で手を入れる。なぜ全員一致で手一本入れられるかというと、山笠は毎年同じように回ってきますから、ここで手を入れておかないと、先へ進めない。だから、今年はみんなの意見に従おう。来年もう1回動議出してみよう。そういうことを繰り返しできる場があるんです。だから、問題は何にもないんです。
瀧田 博多山笠は大規模の祭りですが、細かい規則はないです。みんなが自主的に働いて、ヤマが動いています。その理由は、直会(ナオライ)※です。しきたりや社会の規律、世間一般に必要なことを、長老から話してもらい、そういう中で若手が勉強していきます。つまり、ヤマに出ることで、上下左右の人間関係や世間を知らないうちに勉強しています。
※直会:参加者が神酒を戴き神饌を食する行事。一般には、神事が終わった後の宴会(打ち上げ)と解されている。
家族の距離感とえんがわくらぶの距離感
林田(司会) 山川さんにお伺いしますが、えんがわくらぶは、福岡県の青少年アンビシャス運動―いろいろな地域で1300か所以上の子どもたち向け広場をつくっている―のモデルのような場所ですが、そこでも難しいことや問題点などはありますか?
山川 平成13年4月の立ち上げ当初は、行政も学校も私も初めての事業ですから、お互いにいろいろ困ったり苦労しまた。どうしても建前が先行して、本音の話し合いができない。建前ばかりだと解決しない。でも、そのうちに、話し方もうまくなってくるんです。行政を立てるところは立てる。今では、行政の方がかえって協力的です。
学校もそうです。校長先生は分かってくれる。ところが、担任の先生になると、子どもとの交流なんていうと仕事が増えるわけです。だから、先生によって、交流の時間が少なくなったり多くなったりというのが非常に困りました。例えば、年度末近くなると、いきなりえんがわくらぶに走り込んできて、「子どもとの交流をしていただけませんか」と。こっちはもうプログラムを組んでますから、調整するのがなかなか大変でした。今は、2年前から授業の中に組み込んでもらっています。年間20回、3年生を中心に昔遊びや竹細工などを取り入れたり、昔の生活を語るとか、七輪で火おこし、いろいろやりました。
林田(司会) 七輪で火おこし。私たちはできますが、今の子どもたちはどうですか?
山川 もうできないです。七輪で火おこして成功したら、もちを焼いて食べていいよとごほうびがついているわけです。そしたら子どもたちは喜びまして、餅をニコニコしながら焼いて食べます。こういうのも知らず知らずのうちに高齢者から受け継いできています。いわゆる伝統文化を一つずつ覚えていく。昔遊びもしかり、竹細工もしかりだと思います。どんどん優しくなって、思いやりのある子どもたちができる。
林田(司会) 家ではなかなか七輪で火おこしなんてできないけど、距離感のあるえんがわさんとの関係であれば、おっちゃんたちが頑張ってくださる。よそのおいちゃん、おばちゃんとの関係になると、この距離感が、逆に子どもたちが心地よい関係なのかもしれません。えんがわくらぶの成功の秘訣は、そういうところにあるかもしれませんね。
山川 そうですね。えんがわくらぶは昔の用務員宿舎を改装したところなので、子どもたちにとっては学校から離れているんです。おじいちゃん、おばあちゃんの家に遊びにくる感覚です。核家族の中で、疑似家族体験というか、おじいちゃん、おばあちゃんとの体験ができるということではないかと思います。
しつけについても、学校から必ず言われています。ですから、いきなり玄関から入ってくると、えんがわの人たちは「何か忘れとらんね」と子どもに言うんです。そうすると、子どもははっと気がついて、もう一度やり直して、「入っていいですか」と言って入ってきます。帰りも「ありがとうございました」と言って帰ります。一つ一つ教えていけば、子どもたちはちゃんと勉強して学ぶし、身につけていくということだと思います。
林田(司会) お話を伺って思ったのは、子はかすがいと言いますが、ひょっとすると地域のかすがいは子どもたちではないだろうか。
大谷さんのところは子育て支援についてネットワークを組んで頑張っています。今後の課題があれば教えてください。
親もおじいちゃん、おばあちゃんから学ぶ
大谷 私たちは、平成13年にNPO法人の認証を受けましたが、自分の子どももまだ小学校や幼稚園、保育園に行っているようなお母さんたちと立ち上げたわけです。その当時、まだ子育ての情報はそんなに多くはなかったですが、だんだん情報があふれてきまして、情報をキャッチすることばかりに忙しくなって、頭でっかちになっているお母さんがとても多くなってきているように感じています。
活動を続けていく中で、おじいちゃん、おばあちゃん、地域の方たちとの交流や教えてもらうことにはとても大事なことがたくさんあるということを、私たちスタッフが気がついてきたわけです。
最近のお母さんの状況は、どちらかというと、他人に口出しはしない。逆に、支援、応援も遠慮するお母さんも増えているのは確かです。といいますのが、地域の育児サークルはたくさんあるんですが、最近は地域のサークルには入らないんです。どちらかというと、地域を出て、周りが知らない方ばかり、ただ自分の子どもと年代が同じお母さんと仲間になっていく。そういう風潮を今感じているところです。ではいかにおじいちゃん、おばあちゃんたちの力を借りながら、お母さんたちにどう伝えていくのか。
活動の中に、おじいちゃん、おばあちゃん、たくさん地域の方が入ってくださっています。その中に、早期リタイアされた方で、元税関勤務の方がいます。奥様がファミリーサポートセンターの講習を受けるときに、男の人の力も欲しいということを聞いて参加されたんです。その方はおじちゃんなんですが、早期リタイアされて地域に帰ってきたけど、何にも情報が分からなかった、何をしていいか分からなかったと。今では、地域の親子や子どもたちに対しての支援活動を、本当に生き生きとしているんです。そういう顔を見たときに、退職後はいろいろな顔をもったほうがいいということを、その方から学んだと思います。そういうことも含めて、おじいちゃん、おばあちゃんたちの昔ながらの伝統、知恵、経験を今のお母さんやお父さんたちにたくさん教えてほしいなという思いで、世代間交流に一番力を入れてやっています。
林田(司会) やはり高齢者も一生懸命子どもたちのために何かやりたい。でも、今のお母さんたちは、どちらかというとうっとうしい人間関係は避けたい。近所のおばあちゃんが親切にしてくれたときに、「いらないお世話よ」と言われたら、その交流はそこで途絶えてしまう。ですから、世代を超えてつながって、元気になるためには認め合いがすごく大事ではないかという気がします。えんがわくらぶの方がなぜ楽しいか。多分、認められるからでしょう。「役目だから」ということだと、続かないでしょう。
子どもたちをお客様にしないこと
林田(司会) そこで、続いている皆さんから、うれしかったエピソード、感動的なこと、なぜこんなに続いているのかをお聞きして、ヒントが見えてくればと思います。長谷川さん、なぜこんなに山笠の世代間交流がつながって元気なのか。元気の源は何でしょう?
長谷川 出てみれば分かりますが、みんなが同じ目的のために一生懸命やれる幸せ、その中で自分がどれだけできるかという充実感、それがお祭りという非日常性の中で、大人も子どもも一緒にできる。いつもは大人に押しつけられて暮らしている子どもたちも、ヤマに出ると、「あのおじさんもあの年で一生懸命走りよるものな」と思って連帯感が生まれるんです。
瀧田 子供山笠を動かすために、大人は当然加勢しますが、主体はあくまでも子どもです。やはり子どもというのが、宝だと思います。私たちが小さいときは、必ず悪ガキの先輩がいました。悪ガキの兄ちゃんが、木登りするぞと。すると、「このムクの木は枝が細くても大丈夫やけん登りや」「この柿の木は、枝は大きいけど、ポキッと折れるけん登ったらいかんぜ」。それとか、橋のどの欄干から飛び込むとけがしなよといった情報が現実にありました。今ではそういうのがなくて、かわいそうだなと思いますが、われわれ大人は、どこか場所をみつけて、それこそ木登りからやらせたいなと思っています。
林田(司会) 一つよかったなと私思ったのは、子どもたちをお客様扱いしないこと。すべてお膳立てして、いいところだけおやりなさいというのではなくて、子どもたちだってやはり叱られる権利があるし、ちゃんとしなければいけないことがある。それをきちっと認めながら、そして動かしていくのは、とても難しいけど、大事なことだと思いました。
学校で一番自慢できるもの
山川 子どもは絶対に「おじいちゃん」「おばあちゃん」と言いません。「えんがわさん」または「おじちゃん」、「おばちゃん」です。80歳近い方もいますが、若いんです。子どもと遊んでいるから、若いエネルギーを吸収して若い。そういうことも若くなる秘訣の一つではないかと思います。
うれしいことは、古賀東小学校で、「わが校で一番自慢できるものは何か」という全校生徒へのアンケート調査があったんです。一番自慢できるもの、えんがわくらぶなんです。そのくらい子どもたちにとって、心の中に入っている。私も校長先生から聞いて、泣きたいほどうれしかった。
それから保育所の年長組さんたちとも交流するんです。というのは、翌年、小学校入学ですが、今はもう核家族だから、お兄ちゃんもお姉ちゃんもいない、一人だけで入ってくる子どもも多い。小学校に入学して、だれも知らないと寂しいから、せめて、えんがわさんでも知っていれば心強いなと思って、年に3〜4回交流しています。そうすると、入学したら、よその地域の子どもを連れて、遊びにくるんです。「僕はえんがわを知っとう」と自慢げに。うれしいですね。
もう一つだけ。えんがわくらぶに、朝出たら、中学生がじっと立っているんです。見覚えがないから、すっと行こうとしたら、「おはようございます」と言うんです。だれかと思って、私が怪訝な顔をしたんでしょう。「えんがわさんですよね」と言う。「そうだよ」と答えたら、「僕、ここ出身です」と言うんです。その子が3年生のときに交流しているんです。それで職場体験ということで、学校にきて、私の顔をみつけて、親しげにあいさつしてくれたんです。4年もたっているんです。これはうれしかったです。
おじいちゃん、おばあちゃんもお客様ではない!
大谷 今、子どもたちは遊ぶ場所が全然ないんです。昔は公園や山に行って、木登りしたり、穴を掘ったり、たき火をしたりというのは、普通の姿だったと思いますが、今、公園で火をたこうものなら、すぐ市役所が飛んでくる。木に登ろうものなら、すぐ「危ない」と言われる。そういう中で、プレイパークが広がりをみせています。大野城も、子どもの遊び場をつくろうということで、山を整備して、プレイパークをつくっています。
そこで関わりのある方を、やはりおじちゃん、おばちゃんたち世代―大野城のシニアクラブの方などにお願いして、関わってもらって、火をおこすところから子どもに見せていこうということになりました。それは、私たちの世代、どちらかというとまだ若者世代ですが、火を使うと、危ない、やけどするとかを気にしてなかなか一歩踏み出せなかったんですが、シニアクラブの方が入ることによって、今の子どもはマッチもすれない、もっと火を扱わせなきゃということでやってみた。すると、子どもたちはちゃんと学ぶんです。熱かったら、その前にやめるんです。そういう姿を見て、私たちも、「子どもって学習できるじゃないの」「過保護にしていてはだめじゃないの」というのを、また学ぶいい機会にもなる。そういうときに、おじちゃん、おばちゃんが本当に大活躍します。こちらがプログラムをつくらなくても、おじちゃん、おばちゃんは子どもと遊べるんです。
以前は世代間交流を進めていかなければいけないという思いから、どういうことをしていったらいいのかと迷っていました。初めの方はお客様状態で、まずイベントに参加していただいて、地域と交流してくださいと。すると、参加した方は、「自分たちは役割がないんだね」とおっしゃるんです。そこでまた、役割はきちんとないといけないということにこちらが気づく。どんなことをしてもらうかスタッフと考えて提案すると、今度は参加する方からいろいろなアドバイスを受ける。ですから、私たち世代もおじちゃん、おばちゃんから学ぶことがたくさんありますし、おじちゃん、おばちゃんも逆に、私たち世代のいろいろな考えを聞いてくださる。そういう歩み寄りというか、学び合いが、この事業をやってよかったと思うところです。
あとは、中学校のサロン。地域の親子と中学生が交流する機会は、今ほとんどないんです。中学生に何か注意をしたら刺されるんじゃないか、という時代になっています。そういう中で、交流してみたいということで、大野城中学校では、家庭科の授業として参加しているんですが、おじちゃん、おばちゃん、民生委員さんに関わってもらうことで、地域の方が、その地域の学校に入る、顔が見える、人となりが分かるということをやっていくのが息の長い活動につながっていくのではないかと感じています。実際お母さんたちからも、「中学生とこのように話をするなんて思ってもいなかった」とか、近くのスーパーを歩いていたら、中学生から「○○ちゃんのおばちゃん」と声をかけてもらったという話を聞いたときに、やはり地域に根差した活動をしていくことが大事だなと感じました。
林田(司会) 今、赤ちゃんを産む若いお母さんたちが、赤ちゃんに触れたことがないままお母さんになって、どう育てていいか分からないという状況があります。やはり自分の家族だけではなくて、どこまで手を伸ばしていくかが大事ですね。
先日、託児ボランティアの方がきたときに、「今日も子どもさんから元気をもらいにきました」と言うんです。その方の孫は遠くに住んでいて、ほとんどさわることができないけど、ここにくると2歳の感触を味わうことができる。自分の孫もこうなのかなと思いながら元気をもらいにくるんですと言われて、どっちも元気になれる。そういう場をこれからどんどんつくっていかなければいけないのではないかと思います。
世代を超えてつながる元気!!
林田(司会) それでは最後に、「福岡発、世代を超えてつながる元気」ということで、メッセージをお願いします。
大谷 人生の先輩であるおじちゃん、おばちゃん世代の方、人材の豊かさ、企業の経験などをどんどん生かして、地域に入っていってほしいんです。地域貢献したいけど、どうしていいか分からないという方も、行政に行けばボランティア団体等の一覧表があるはずです。そういうところに顔を出して、自分はこういうことをしたいんだ、こういうことができるんだというアピールをしていただきたい。そうすれば、私たちも、この方はこういうことができるんだ、こういうところでお手伝いしてもらいたんだということが分かります。しり込みせずに、どんどん地域に出ていただければと思っています。
山川 最初の一歩は、本当に難しいんです。考えることはできても実行に移せず一歩踏み出せない。それで、私らマニュアルもつくってます。見学にきて、「いいことされてますね」「世代間交流も大事ですよね」と言われますが、帰りに、「古賀は山川さんがいるからできるんですね」と言われる。でも、そうではないです。地域にいろいろな方がいる、その方々を引っ張り出せれば、できます。そういう運営マニュアルもつくっております。
瀧田 去年の博多祇園山笠振興会の総会で、次の三点をお願いしました。@安全第一でやろう。Aやる人も感動。見る人にも感動。B博多山笠の元気を社会に発信しよう。この三つをお願いし、今年は、不況の波が攻めくるから負けず飛躍して、山笠の元気さを世界に発信しようとお願いした。私は、子どもはしたたかさやたくましさを兼ね備えて、そして困難に立ち向かう子どもを育てることが山笠の後継者育成という点から必要だと思っています。
長谷川 「博多町家」ふるさと館の館長をさせていただいております。えんがわくらぶでは「こんにちは」とあいさつをしないと入れないという話がありました。私は子どものとき、人の家に入るとき「お邪魔します」のあと「ぞうきん貸してください」でした。コンクリートの舗装道路ではなかったから、足の裏が汚れるんです。その不便さと人とのつながりが町家にはあった。不便で取り壊されたり改築されたりするんですが、土間を通って、子どもを元気に外へ出して、山笠がどっと走る。地面を踏みしめて走る、その原初的な喜びで山笠がある。やはり家の中に地面を踏みしめられるところがある町家は、本当にすばらしい。今の家にも反映させたいと思っています。
林田(司会) 安心して子どもを産み、健やかに育てることのできる社会をつくっていきたい。そして、私たち高齢者も、この町で生きていてよかった、ここで暮らしてよかったと思いたい。そういう生きがいをもった、そして健康な社会をつくっていくために、みんなが出せる力を出せるときに出し合って、そういう空気をこれからつくっていかなければいけないと思います。ありがとうございました。 |
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